映画「最後の決闘裁判(2021)」感想|14世紀末からずっと「#MeToo」の声を待っていた
リドリー・スコット監督の最新作『最後の決闘裁判』を観ました。あまり気に留めていない作品だったのですが、観賞後に速攻で原作本を買う程度にはインパクト大でした。
出演は、なんといっても『キリング・イヴ』などのジョディ・カマー(『フリー・ガイ』といい今年は飛躍の年!)、マット・デイモン、アダム・ドライバー、ベン・アフレック、『このサイテーな世界の終わり』のアレックス・ロウザーなど。超豪華なんですけどね、なぜか食指はあまり動かず。
そんななか観る気にさせてくれたのは、時間空いたからなんか映画観に行けるかな、と開いたFilmarksの感想コメント。ちらっと見えた「羅生門」「性的暴行事件」といったワードに「え、そんな話なんだ」と意外性を覚え、30分後には劇場で座っていました。人の感想、大事です。
さて、観始めてわりとすぐ、これ……「#MeToo」の話だ……と気付きます。近年の関連作品、例えば『その名を暴け―#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い―』『スキャンダル』『ザ・モーニングショー』『プロミシング・ヤング・ウーマン』『82年生まれ、キム・ジヨン』などなど様々な作品が頭に浮かんできます(『82年〜』は母体への精神的圧力という点がすごく重なって見えました)。
物語は確実にハーヴェイ・ワインスタイン報道を連想させる内容なのですが、しかし舞台は中世ヨーロッパ。予告の時点では『ゲーム・オブ・スローンズ』みたいだなと思っていたぐらいで、こんなにも中世の皮をかぶった#MeToo作品が作れるのかと。すごいなと。でも観賞後に「実話」だと知って驚きました。皮じゃなかった。それですぐ原作本を買ったわけです。
本作で扱われているのは14世紀末に起きた強姦事件をめぐる裁判の顛末。「物理的に闘って負けた方が有罪」となる「決闘裁判」制度により、訴えられた側の男性ル・グリが決闘に敗北。死刑となります。しかし勝利を得た被害者女性のマルグリットには冷ややかな目もまた多く向けられ、この事件はゴシップとして幾世紀にもわたり大いに消費されたそうです。権威ある「ブリタニカ百科事典」ですら1970年代まで週刊誌レベルの「伝説」を書き続けていたとか(文庫版「最後の決闘裁判」p337〜)。
そんな状況に一石を投じるのがこの本でありこの映画ということになるのですが、考えてみるとこれ、マルグリットは14世紀末からずっと「#MeToo」の声を待っていたのだなあと。現代の「#MeToo」運動が突然湧いてきた社会現象などではないことを(ここまで時代を遡って考えたことはなかったので)再認識しました。
原作本から、勉強になったところをいくつか抜粋しておきます。まず当時の倫理観について。
中世は無法の時代であり、婦女暴行が蔓延し、強姦は犯罪とは認識されていなかった……。現代の人は、そう想像するかもしれない。(中略)しかし、中世の法典と現実に起こった裁判の記録を見ると、強姦が重罪であり、極刑に値する罪と見なされていたことがわかる。(中略)つまり「路上を引きずられたあと、絞首刑」に処せられた、と。(文庫版「最後の決闘裁判」p120〜)
わたしの中世リテラシーはほぼ『ゲーム・オブ・スローンズ』なので、まさに「そう想像」していました。劇中でのあの「極刑」は強烈でした。
それから、そもそもの「決闘裁判」について。
フランスの法の下では、国王に上訴する貴族の男性には、相手に“決闘裁判”を申し込む権利が認められていた。つまり、決闘によって裁判をおこなうのである。決闘裁判は(中略)当事者のどちらかが偽誓をしたかを決定する正式な法手続きだった。決闘の結果は、神の意思にしたがい真実をあばくと広く信じられていた。(文庫版「最後の決闘裁判」p140〜)
ジャン・ド・カルージュとジャック・ル・グリの有名な闘いに関していえば、これはパリ高等法院が認可した最後の決闘裁判だった。この決闘の結果が物議をかもしたおかげで、決闘裁判という制度そのものがいっそう早く消滅し、当時も何人かの人々が、そして後世には多くの人々が、これが中世におけるもっとも野蛮な判例であると見なしている。(文庫版「最後の決闘裁判」p321〜)
読んだ印象として映画版はかなりこの原作に沿って作られているので、観賞後に読むと「あれはこういうことだったのか」と非常に興味深く読めると思います。
最後に「羅生門」のこと。黒澤明監督の映画『羅生門(1950)』は「一つの事件を関係者それぞれの視点からリプレイしていく」「言ってることが三者三様で何が本当かわかりゃしねえ」という一種の法廷劇。本作はまさにこの『羅生門』スタイルで構成されている、と各種インタビュー等で監督が語っています(「彼は取り憑かれたように黒澤明の話を…」リドリー・スコット監督が“3つの視点”で描く「最後の決闘裁判」 | 文春オンライン)。
で、始まってみると確かに章立てされていて。でもちょっと、お話がどっしりシリアスすぎてとても「それぞれの視点からリプレイ」なんてムードじゃないんですけど、でも忘れた頃に第二章がきて、予想以上にがっつりリプレイしていくという。細かい言葉のニュアンスが違ったり、同じ場面でも見え方感じ方がだいぶ違っていたり、「あれ、なんかその服……」なんて視線誘導させられてた件がのちに回収されたり、決して楽しい映画じゃないのですがこの『羅生門』スタイルに関してはかなり楽しめます。
カルージュの視点、ル・グリの視点ときて、最後マルグリットの視点になったときに(記憶違いでなければ)唯一「真実」と出るのもよかったです。喩えが悪いですけど、ホロコーストの有無の話ではないというか。そういう視点で作られてるんだなと思えて好印象でした。
ちなみに本作の脚本はマット・デイモンとベン・アフレックの久々リユニオンな共作なのですが、マルグリット視点のみ、ドラマ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』などのニコール・ホロフセナーさんが真の女性目線で脚本を手がけられているそうです。わきまえてきた義母が終盤で一瞬見せる表情の揺らぎ、印象的でした。
とまあそんなところで、『羅生門』であり「#MeToo映画」であり中世ノンフィクションであり、ジョディ・カマーは美しく、個人的趣味としてはベン・アフレックが金髪のリトルフィンガー(from『ゲーム・オブ・スローンズ』)みたいで性癖に刺さり、ラストの決闘シーンでは全身が指先まで硬直してしまい、等々いくらでも語りたくなる映画『最後の決闘裁判』。ぜひお見逃しなく、という気持ちです。
(2021年176本目/劇場鑑賞)