是枝監督の新作「怪物」を2回観たらだいぶ印象が変わったはなし。
こないだもちょっと書きましたが、是枝裕和監督の最新作『怪物』を観ました。初見の感想は「なんてエグい羅生門」「好きじゃないわー」「あ、でも後味は案外いいかも」。どちらかといえば絶賛はできないほうだったのですが、これほどのビッグタイトルを、しかも明らかに「初見じゃ評価できない」系の構造を持つ作品をぬるっと通り過ぎるのは癪だったので、もう一度観てきました。で、予想通りかなり違った印象を受けました。
最も印象が変わったのは第一部。初見は誰でもそうでしょう、とにかく腹立たしくて不快な、この第一部。しかし2回目、かなりの部分「誤解」だったことが判明してから観る第一部は、びっくりするくらい冷静に、客観的に観れます。物語の文法ってすごいですね。初見だといじめの予兆にしか見えなかった「水筒に石」が、知った上で観ると「あ、お母さん、それ、違います……」としか見えない。他にもとにかく巧みに仕込まれた「予兆、の騙し絵」みたいなものが、ことごとく「なーんだ!」となる2回目。思い込みとは恐ろしいです。
2回目の『怪物』を観てつくづく思ったのは、あくまで自分の視点は「視点1」でしかないんだということ。これは本作のベースとなる考え方で、それこそ教室の黒板に「何を書くのか/どれぐらい書くのか」と、ずっと書いてあるのでした。それって思考法として活かせそうだし、活かしたい。「あ、今なんか悪意向けられたな」とか思うことがあったとして、たとえば悪意と感じたその表情の数秒前に何があったかなんて意外と他人にはわからない。自分が常に「麦野が教室で暴れているところしか見ていない保利先生」の立場であり得ることを忘れないようにしなければいけない。ところで保利先生ってその字なのね、いま初めて知りました。
わかりやすく本作のテーマのひとつが示されている部分として他に2回目で気付いたところは、冒頭の「白線越えたら地獄ね!」「子供のときでしょ」っていう会話。ああ、これ、そうだよ、「子供のときって白線越えたら地獄」な話じゃん。きっとこういうのがいっぱい仕込まれてるんだろうな。全てのピースが気持ちよくはまる作りではないので、「伏線回収」的なものを期待してしまうとモヤッとはするのですが、初見でモヤッが強かった方も、気持ちが許すなら2回観るまでひとまずの評価はお預けにしておくのがおすすめです。
まあ、羅生門スタイルの大作では『最後の決闘裁判(2021)』が記憶に新しかったり、小さめの作品なら『ミセス・ノイズィ(2020)』で「“クソババア”が視点次第でぐるっと変わる」のは既にやってたり、行き着くところ的には『雑魚どもよ、大志を抱け!(2023)』がすごく似ていたりと、特別新しいことをやっているわけではないのですが、そこは是枝映画のブランドで大きな作品になってるなあと思いましたし、こういう映画をみんなが観て、いろいろモヤモヤ考えてくれたらいいですよね。