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映画「82年生まれ、キム・ジヨン(2019)」雑感|読書体験と映画体験の違い(主に原作からの変更点について)

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映画版『82年生まれ、キム・ジヨンを劇場鑑賞しました。日本でも大きく話題を集めた韓国の同名小説が原作となっています。この本に関しては別途記事を書いていますので合わせてお読みください。

原作はフェミニズム文学と呼ばれるものですが、フェミニズムと聞いて男性諸氏が想像するような攻撃的な作品ではありません。キム・ジヨンという「統計上1982年生まれの韓国人女性に最も多い名前」を持った主人公の半生が「カルテ」の体裁で淡々と綴られていくので、もちろんヒリヒリと刺激的ではありつつも案外読みやすいのです。しかし最後の最後に仕掛けが待っています。本当に最後の一文、ガツンとやられて終わります。ここがおそらく原作の感想として特に多く語られる部分でしょう。

ところが、今回の映画版では独自のエンディングが用意されていました。「終わり方が違う」というのは事前に知っていたので驚きはしなかったのですが、ざっくり言えば原作の後味が「悪い」のに対し映画版の後味は「良い」んですね。あの「後味の悪さ」が原作の肝だったわけですからいったい何故そんな改変を、と思わなくもなかったものの、妥当な改変であると比較的すぐに納得できたので、本稿ではそのへんを中心に書いていきます(原作のエンディングについて具体的には触れません。ぜひ読書体験をお楽しみください)。

読書体験と映画体験の違い

まず思ったのが、読書体験は能動的(自らの意思で読み進める)であるのに対し、劇場での映画体験は受動的(半ば強制的に見せられる)だということ。読書の場合は「淡々と読んできたラストにあの一文」でうわあとなって本を閉じ、しばし物思いに耽る、これはいい体験です。それが映画となると、後味の悪さというのはときに刺激が強くなりすぎる。

所謂「胸糞エンド」が肝となっている映画も沢山ありますが、それは「胸糞エンドが望ましい作品」の場合。この作品はそうではない、と思いました。原作は主に男性に対して「さらりと読まれすぎないため」に、最後にものすごい障壁もしくは奈落を用意しています。しかし映画の場合はどうでしょう、この映画をさらりと見ることはまずできないはずです。もう本編で十二分に突き刺さっているのですから、トドメの一発はいたずらに後味を悪くするだけの演出になりかねません。

また女性視点からはどうでしょうか。あくまで推測に過ぎませんが、原作の場合はラスト一文を読み終えてパタンと本を閉じるとき、「そういうことなんだよ!!」と奮い立つ気持ちに、もしくはこれまで抱えてきたモヤモヤに共感してくれる一冊と出会えた「そういうことなんだよ……」という気持ちになるんじゃないか、という気がします。それに対して映画版の場合、おそらくは原作以上に主人公ジヨンへ感情移入できてしまいますから、たとえ多少きれいすぎるとしても希望を見せて幕引きしないと、女性が肩を落として帰路につくという望まぬ結果を招くことになります。

そんなわけで端的に言えば「映画であのラスト見せられたら後味悪すぎるよね」っていう、好き嫌いは別として(個人的にはもういくらかヒリついていてもいいのではと感じた)賢明な映画化だったんじゃないかなと、そんな結論に帰りの道すがら至ったのでありました。

そういうことなんだよな

原作のラストは男性視点でも「そういうことなんだよな……」という衝撃を食らわされる箇所です。前述のように映画版において原作のそれはカットされていましたが、その代わりに映画ならではの視覚に訴える「そういうことなんだよな」が用意されていた、と思います。それはジヨンがチーム長に会うためおしゃれをするシーン。

回想を除けば劇中でジヨンがおしゃれ(心弾む行為としての)をしているのは多分あの一回だけです。見まごうほど活き活きとした鏡の前のジヨンを見た瞬間、無意識に目頭が熱くなりました。「そういうことなんだよな」と、ガツンときました。映画版でいちばん印象的なところです。

あらためて原作を読んでみて

82年生まれ、キム・ジヨン

82年生まれ、キム・ジヨン

映画を観終えてからもう一度読み返してみました。トータルとしては結末以外そう変わらない印象だったのですが、あらためて読んでみるとかなり脚色されていることが分かっておもしろかったです。世界地図のくだりは記憶から抜けてたなあとか、問題集を解くママ友のくだりはそこから移植してたのか!とか、脚色の工夫を垣間見るのってすごく好きです。

少し不満点を挙げるならば、尺の都合上仕方なかったのかもしれませんが、どうせ回想パートを入れるなら原作の密度で母にまつわるエピソードだとかそのへんも描き込んで欲しかったなと思いました。食卓で母が父に激怒するシーンなどはそこまでの描き込みがあってこそじゃないでしょうか。あのシーンを入れたい気持ちは分かりますが、だったらそこだけじゃなく、と感じました。

「ママ虫」のシーンも、原作では脚注がついているのでいいのですが映画版だと唐突にそのワードが出てきて、原作未読の人には分かりづらいんじゃないのかなあとか(母親を害虫のように表現する侮辱的なスラングだそうです)。あとは、せっかく映画向きな「憑依」のシーンもちょっと物足りなかったかなあとか。

チョン・ユミさんとコン・ユさんの配役は素晴らしかったです。『新感染』で生き残ったおふたりですね(ネタバレ)。チョン・ユミさんは原作のジヨンより暗い性格付けになっているなとは思いましたが、間違いなくジヨンでした(チェスターコートのせいか、しょっちゅう吉高由里子さんに見えた)。夫のデヒョン氏が原作よりもいい人になってる、という感想をよく見聞きするのですが個人的には原作の時点からすごくまともな人として描かれていると感じていたので印象変わらずでした。彼が「まともな人」であることはこの作品の非常に大切なポイントですから、コン・ユさんで良かったです。

総じて、よい映画化でした。ということで、読書体験とはまた違う映画館での『キム・ジヨン』体験、おすすめします!

(2020年171本目/劇場鑑賞) 心の暗雲を表現するような、地響きのような重低音がときおり微かに感じられて、これはすごい、映画館でしかできない体験だ、と思ったのですが、隣の『TENET』だったのかなあという疑惑も拭えません。