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主に映画の感想文を書いています

映画『オブセッション 災愛(2025)』感想

ここんとこ映画を観れてないとはいえ、『アイ・ワズ・ア・ストレンジャー』がとても良かった話とか、『スーパーガール』わたしは好きだったよみたいな話とか書くべきことは他にもあるのだけど、しかしタイミング的に今書きたくなったのはこれなのでということによる『オブセッション 災愛』。ムービーウォッチメンのガチャに当たったため鑑賞。

ジャンルはサイコ・ロマンス・ホラーといったところだろうか。意中の人になかなか想いを打ち明けられない主人公が、胡散臭いおまじないアイテムにヤケクソで「彼女が僕を愛してくれますように!」と祈ったら愛されすぎてヤバいことになっちゃうお話。ちょっとこれ、最近『シラート』でも同じこと言ったのでオオカミ少年みたいになっちゃうなと思いながらも、普通に途中退室したいぐらい怖かった。わたしにとってのホラーは暴君ハバネロみたいな、辛いは辛いけど美味しい激辛スナック的存在なのだけど、これは食べきれず捨てそうになるくらいのやつだった。

全体を通してひたすらジャンプスケア祭りなのがまず勘弁してほしいし、音楽使いもあまりに親切。地震そのものより緊急地震速報のほうが怖いように、約束されている恐怖はほんとにいやだ。そしてそのジャンプスケアをほぼ一人で担っているのがヒロインのニッキーだ。演じているインディ・ナバレッテさん、かなり可愛い。序盤、だいぶヤベえことになってきてもなおキュンキュンさせてくれる圧倒的なヒロイン力がある。のだが、少し古い言葉で言えば「ヤンデレ」の極限までいってしまうのが、このニッキー。

人は、社会性を失った時に恐ろしく見えるのかなと思う。「死体」がそれの最たるところかもしれないけれど、とにかくTPOに適した表情・行動を取ることが、「魅力的な人」の大前提なのだ。いきなり大きな声を出したり、変な顔をしたりするのは怖い。「とびきりの笑顔」とかでも、その表情で固まられると怖い。がっかり顔も、絵文字じゃないんだから静止は禁物。つくづく人間は社会性をもってして共生できているのであって、それが失われたときは絶望的に怖い存在だよなと終始思いながら観た。

監督はかなり若くて、アリ・アスターの『ヘレディタリー/継承』を17歳のときに観た、と言っている。詳しくは知らないが元々YouTuberらしく、それにしては(というか、映画畑の人でないにしては)相当よく出来ている。シンプルに女性側が可哀想な話なのでこの時代に作られる映画作品としてモヤっとしなくもないが、そんじょそこらのホラーよりも思い切りよく楽しませてくれるのは確かである(誰がそこまでやれと言った、と言いたくなるくらいである)。一箇所だけ笑えるところがあったとすれば、「お金」のくだりは『ジュマンジ』みたいだなと思った。そういえばファンタジーだったんだ、と、あのくだりで思い出した。『ジュマンジ』もだいぶ怖い映画だし、系統としては似ているかもしれない。

映画『ロングウォーク(2025)』感想

サンキュー、チャック』が記憶に新しいなか、またしてもスティーヴン・キング原作の新作映画が放たれた。『サンキュー、チャック』の原作は2020年刊行の新しい作品だったが、一方この『ロングウォーク』はキングが大学生時代に書いた、キャリア超初期の作品らしい。

ものすごくシンプルな、デスゲームの映画である。事実上は辞退することのできない「ロングウォーク」という競技のメンバーに選ばれた50人の若者たちが、ひたすら「歩く」。立ち止まったり速度が落ちたら警告が出され、三度目の警告で処刑される。休憩はなく、ゴールも定まっていない。「最後の一人」が確定した時点でゲームクリアとなり、莫大な賞金が与えられる。

同じくキング原作で、今年の初めに公開された『ランニング・マン』があったが、ケレン味の差こそあれこちらも同様のデスゲームだった。そもそもデスゲームというジャンル自体を大きく広めた作品のひとつが、本作の原作『死のロングウォーク』であるそうだ。原作は未読だが、とにかく削ぎ落とされた「歩く」だけの物語で、原点にふさわしい潔さがある。

それにしても、つくづく自分は「死」が怖いのだなと思った。『シラート』もそうだし、『急に具合が悪くなる』のときにも「知見を蓄えた一人の人間がこの世界から消えてしまう、ということについて、わたしは恐怖と畏怖を強く覚える」と書いたが、現実の死はもちろん怖いし嫌だし悲しいのだけど、「物語における死」への入り込み方がもしかしたら人より強いのかもしれない。ドキュメンタリーやノンフィクション作品と比べ、劇映画やドラマでは、たった今まで「生」だった命が「死」になるまでの時間が劇的に描かれがちだ。静かに息を引き取る瞬間、頭を撃ち抜かれる瞬間や斬首される瞬間、世界が丸ごと終わる瞬間もある。

物語によって人物に思い入れているから衝撃が大きいのかというと必ずしもそうではないようで、時代劇における斬首の瞬間などはそれが初登場の村人などであったとしても強烈に食らってしまったりする。さっきまで生きていたのに、鋭利な刃物が首を切り落としただけで全てが無に帰してしまうのかという恐怖。断末魔だとしても今の今まで意思を持って言葉を発していた人間が、一瞬でただの物体になってしまうことの恐ろしさ。映画は作り物だからそこで人が死んでいるわけなどないのだが、これに関しては如何とも、作り物だとか関係なくなってしまうらしい。

といった具合にいくらでも「死、怖い」は語れるのだけど、その意味で『ロングウォーク』は疲弊した(これは褒め言葉でもある)。 終始、人の頭が撃ち抜かれ命が終わっていく。殺し合いではないのがまたしんどいのかもしれない。最後のカウントから引き金が引かれるまでの時間に耐えられない。客席側の疲弊感が高まれば高まるほど、スクリーンの中で「楽になりたい」と死を選ぶ者の気持ちもわからないではなくなってくる。言わずもがな、競技「ロングウォーク」は人生だ。ゴールは定まっていないし、道中どれだけのことを積み上げたとして死ぬときは一人。そりゃ険しいわけだよな、と再確認した40代最初の一本でした。