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映画「キネマの神様(2021)」感想|対になるような作品「海辺の映画館」との共通点を掘ってみる

山田洋次監督の最新作『キネマの神様』を観てきました。松竹映画100周年記念映画ということで、奇しくも同じ日、その前に「フライングドッグ10周年記念映画」こと『サイダーのように言葉が湧き上がる(2021)』を観ていた……のはかなりどうでもいい話。


映画「キネマの神様」ポスター
映画「キネマの神様」ポスター


この作品に関してはなんといっても、主演予定だった志村けんさんが新型コロナウイルスによって亡くなられるという衝撃のニュースがありましたね。遺志を継いで主演をつとめることとなったのは沢田研二さん。沢田さんの青年期を演じるのが菅田将暉さん。その他、宮本信子さん永野芽郁さん小林稔侍さん野田洋次郎さんなどが出演しています。野田さんは朝ドラ『エール』でも志村さんと共演していましたからだいぶ激動の2020年だったのではないでしょうか。

ちなみにわたし、山田洋次監督の作品はずばり『幸福の黄色いハンカチ(1977)』しか観たことがないという、「寅さん」すら全く観たことがないという、そんな超門外漢でございます。それがなぜ今回は観ているかというと、晩年の大林宣彦監督との関係性から興味を持ったかたちでした。

山田監督と大林監督はほとんど同じ時代を生きてこられた映画人ですが、方や生粋の職業映画監督、方や自由奔放なインディーズ映像作家、まるで交差しない、全く別の世界を生きてこられたお二人なはずです。実際、ごく最近まで交流はなかったといいます。

しかし大林監督の晩年、お二人はついに交流を深めていくようになり、大林監督の遺作となった『海辺の映画館─キネマの玉手箱(2020)』の撮影現場には山田監督が陣中見舞いにいらしています(パンフレットやソフトの特典映像などで見ることができます)。『海辺の映画館』のチラシや予告編には山田監督のコメントが使用されていますし、エンドロールではSPECIAL THANKSの筆頭にお名前があります。さらには、脚本山田洋次/監督大林宣彦NHKの原爆ドキュメンタリー制作の企画も進行中だったとか。観たかった……。

そんな山田監督の、映画や映画館をテーマにした「キネマ」な作品。もしかしたら山田監督から大林監督へのアンサーないしメッセージが込められているかもしれないですし、観ないわけにはいきません。いささか不純ですが、これがわたしの、大林宣彦監督に心酔しているわたしの、『キネマの神様』鑑賞動機です。

まさかの「キネマの爺」

大林監督の『海辺の映画館』では、劇中の語り部として小林稔侍さん演じる「キネマの爺」という映写技師が登場します。すでに本作をご覧になられた方なら「あれ?」と思われるはず。そう、『キネマの神様』においても小林稔侍さんが映写技師なのです。そのものずばり「キネマの爺」なのです。

これにはたまげました。そんなことあるかい、と思いました。もしかしたらこの映画は期待していた以上に『海辺の映画館』と対になっている作品なのかもしれないと思いました。

また、『海辺の映画館』では高橋幸宏さん演じるもう一人の語り部「爺・ファンタ」が小林稔侍さんの旧友役。『キネマの神様』では沢田研二さん演じる主人公ゴウが旧友役(どちらも映画館で寝るキャラなのが可笑しい)。高橋幸宏さんも沢田研二さんも同時代のスターミュージシャンですから、なんだか不思議な話です。なお沢田研二さんは80年代に大林作品の主演をつとめたこともあります。

そのほかにも『海辺の映画館』との共通点はいくつもありました。以下に書いていきますが、ネタバレ要素を多く含みますので『キネマの神様』未見の方はご注意ください。

「海辺の映画館」との共通点

小林稔侍さんの役どころだけでも「同じ役」なので十分すぎるほどの共通点なのですが、まだまだあります。例えばフランク・キャプラ。『海辺の映画館』では大林監督自ら扮する謎の老人が『失はれた地平線(1937)』についてとくとくと語るシーンが登場。対する本作では宮本信子さん演じる老年期のヒロインが好きな監督としてキャプラを挙げ、『素晴らしき哉、人生!(1946)』の話で盛り上がります。

シェルブールの雨傘(1964)』がかかってる劇場外観のシーンで、道ゆく人の傘を真上から撮ってるのもニク〜い!って感じでしたがこれは関係ないな。あ、いや、大林監督はカトリーヌ・ドヌーヴでCMを撮っているのだった、関係あるか(こじつけ)。

あるいは「映画の中の人物がスクリーンから飛び出てくる」というアイデア。もちろんこれは劇中でも語られる通りバスター・キートン由来のものだそうですが(と言いつつ『キートンの探偵学入門(1924)』未見なのです、ごめんなさい)、『海辺の映画館』もまさにスクリーンと現実世界を出たり入ったりする物語。

極め付けはラスト。小津安二郎監督の『東京物語(1953)』を完全再現した『東京の物語』という映画が映し出されます。北川景子さん演じる人気女優がそのまんま原節子さんの場所に座っている可笑しいシーンですが、『東京物語』のこのシーンは広島県尾道市です。そして大林宣彦監督は尾道出身、数多くの尾道映画を撮ってこられました。これだけでも十分に満足、しかし山田監督はさらに「尾道の街中をゆく蒸気機関車」のカットまで入れてくれました。

もちろん、どこまでが意図的・意識的なものかはわかりません。パンフレットを買って読みましたが、「大林宣彦」の名前は小林稔侍さんのプロフィールにしか登場しませんでした。しかし山田監督が『海辺の映画館』の撮影を見学していたのは2018年夏。『キネマの神様』クランクインは2020年3月。大林監督が亡くなられたのは2020年4月。晩年のお付き合いを見るに、関係していないはずはないと、思います。まあ、希望的観測です。

というのが、直接本編とは関係ない個人的思い入れによる深掘りでした。

やっと普通の感想

はい、ようやく普通の感想を書きます。単純に、いい映画でございました。ここのところ再び大林沼にどっぷりだったのでやや感覚が麻痺していましたが、やはりどれだけ大林監督が映像の異端児だったのかを再認識した気持ちです(笑)

特に良かったのは過去パート。松竹全面協力!といった感じの、古き良き撮影所の再現がとてもわくわくさせられます。北川景子さん演じる女優さんも永野芽郁さん演じる食堂の看板娘も、令和に生きる人間と思えないほど昭和の香りがしてたいへん素敵です。

つい最近も『地獄の花園(2021)』でメロメロにさせられた永野芽郁さん、つくづく好きです。おばあちゃんになったら本当に宮本信子さんそっくりかもしれませんね。『おらおらでひとりいぐも(2020)』の蒼井優さんと田中裕子さんなども連想させる、お見事なキャスティング!

余談ですがわたしこういう最新の劇場映画で魅力的な女優さんを観ているとき(ノスタルジーな作品だとなおよい)、半世紀くらい先の人がこの映画を見たらどう感じるのかな。往年の大女優「北川景子」や「永野芽郁」の若かりし頃として見るんだろうな。自分はその「往年」をリアルタイムに生きた人間になってるんだよな。みたいなことをよく考えます。余談終わり。

菅田将暉さんもさすが、良かったです。菅田さんって顔が強いので、予告やポスターの段階では(すごく失礼な言い方をすると)食傷気味な印象を受けてしまうんですけど、『花束みたいな恋をした(2021)』しかり実際に本編映像を観てみると全くクセのない好演を常にされているんですよね。生まれ持った顔の強さをお芝居で消せる人なんだなって思います。沢田研二さんとも結構似てますよね。

野田洋次郎さんも、最近はもうすっかりRADWIMPSより俳優としてのイメージが強くなりました。なんだかんだ初主演ドラマ『100万円の女たち(これNetflixに入ってるんですね! 面白かった記憶あり)』から朝ドラ『エール』まで、結構観ているわたしです。小林稔侍さん演じる老年期にしっかり繋がっていく、とてもいいお芝居でした。

老年期から振り返る、在りし日の青春。この点においては、冒頭で挙げた無関係の映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』と通じるところもありました。老いぼれた今からは想像もつかないけれど、そんな輝かしい日々があった。半世紀くらい先、そんなふうに人生を振り返ってみたいものです。

コロナ禍を切り取った映画として

最後に。この映画、コロナ禍に起因する撮影中断&仕切り直しを余儀なくされた作品ということで、結果的に「コロナ禍」初期のドキュメンタリー的要素も織り込まれることとなりました。

ハッとしてしまう冒頭、一旦忘れ、改めてハッとしてしまう終盤。マスク姿の登場人物。瀕死の映画業界。なんといっても「一席空けの映画館」。これを描いた映画は、わたし初めて見ました。公開延期を食らいつつもコロナ禍への本格突入を前に亡くなってしまった大林監督が描けなかったものを代わりに山田監督が描いてくれたのかな、なんて思いました。

コロナ禍は歴史として教科書に載るのでしょうけど、いつかコロナ禍を知らない世代がこういう映画を見たらどういう感想を抱くのかな。朝ドラにおける太平洋戦争突入みたいな、そういう感じなのかな。やっぱりそんなことばっかり想像してしまいます。

(2021年121本目/劇場鑑賞)

今更ながら、原作は原田マハさんの同名小説。大九​明子監督が映画化した『でーれーガールズ(2015)』もふたつの時代を行き来するお話でしたね。パンフレットによれば原田さんは、本作を映画化するなら山田洋次監督がいい……とずっと妄想し続けてきたのだそうです(実現に至るまでお素敵なエピソードはパンフレットでどうぞ)。

映画化に際して脚本は監督により大幅に書き換えられたらしいのですが、こちらの本はなんと、映画版を原田マハさんがノベライズしたもの。原田さんが書いた原作小説を山田監督が映画脚本として書き換え、完成した映画を再び原田さんが活字に戻す。すごくおもしろいなと思いました。