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主に映画の感想文を書いています

大林宣彦監督最新作「海辺の映画館─キネマの玉手箱(2020)」待ちに待った公開日、とりあえず書き留めておく感想未満の何か。

2020年7月31日、大林宣彦監督の最新作『海辺の映画館─キネマの玉手箱』を観ました。ついにこの一文を書ける日が来て感無量です。大林監督は2020年4月10日に82歳で亡くなられましたが、奇しくもその日は本来であれば本作の公開日でした。というのも新型コロナウイルスの影響で公開が延期となっていたからです。

2020年4月10日、じつはこの時、わたしは大林監督の作品をひとつも観たことがありませんでした。初めて大林作品に触れたのは訃報を受けた2日後です。せっかくの機会だから観てみようと軽い気持ちで商業映画デビュー作『HOUSE/ハウス(1977)』を手に取った、もとい再生しました。それが始まりでした。気付けばこの再設定された公開日までの3ヶ月半、貪るように大林作品を鑑賞し、その数およそ30本。未だかつてこれほどまでひとりの監督に心酔したことはありません。

そんな事情があったため、今回この「最初で最後の最新作公開日」を迎えるにあたり、そして感想を書くにあたり、一体どれだけの想いが溢れてしまうのだろうとむしろ憂鬱でした。しかし実際その時を迎えた今、意外や頭の中はすっきりしています。というよりも、感想の言語化をきれいさっぱり諦めてしまったような心境です。こんな映画、観てもらうほかないじゃん。そんな気分です。

とはいえ、何も書かないのもそれはそれでよろしくないでしょう。なにかしら初見の感想を書いてみようと思います。まとめるのは難しいので、日記のように。


公開初日、TOHOシネマズ新宿

上映館が少ない! そう驚いたのは数日前のこと。やむなく選んだTOHOシネマズ新宿は、よりによって歌舞伎町ど真ん中。本当なら今いちばん行きたくないエリアだが、細心の注意を払って赴いた。さらにホテルも取った。3時間の大作だから、上映開始は20時台でも出る頃には日付が変わる。終電に走るよりは、ゆっくり余韻に浸りたい。

TOHOならではのメタ構造

TOHOシネマズでは上映前に山崎紘菜さんナビゲートによる「幕間の時間」がある。山崎紘菜さんは『この空の花 長岡花火物語(2012)』以降、大林作品の常連だ。常盤貴子さんと並ぶ「最後のミューズ」のひとりと言えるだろう。いつものように「幕間の時間」が始まると、心なしか観客もみんな顔を上げ山崎さんをしっかり見ているような気がした。思えば、こんなに「山崎紘菜をよく知っている観客」が集った映画館もそうない。

ところで『海辺の映画館』劇中では観客が映画の中に入ってしまうメタ構造が使われるのだが、ここTOHOシネマズの場合は「そろそろ幕間の時間も終わりです」といったん別れたはずの山崎紘菜さんにスクリーンの中で再会するという、さらなる重層構造が生まれることになる。おもしろい。

万全を期してなお、戸惑う

どんなものが来ても受け止められるつもりでいた。しかし、「想像を絶する」という想像すらも絶する目の前のことに、見事に戸惑うのであった。映画評論家の柳下毅一郎さんは「本作で初めて大林作品に触れる人」に向けて「(卒倒するかもしれないけれど、むしろ)卒倒してほしい」と言っていたが、とはいえいきなりこれは刺激が強すぎるのではなかろうか。「本作が初めて」な人の感想を聞いてみたい。

あんなに滅茶苦茶だったのに

ずっこけそうになるインターミッションを挟んで後半。そこまで滅茶苦茶、破茶滅茶、やりたい放題だったものが一気に伏線として回収されていく。規格外だったはずなのに、きわめて映画的な作品として収束していく。感服した。劇場全体からも、アッと息を呑む気配が伝わってきた。一体こんな映画、どうやって作っているんだろう。大林監督の脳内はどうなっているんだろう。いや違う、大林監督の脳内なら3時間まるまる覗き見ていたところだ。あれこそがそうなんだ。

考えてもみれば、人の脳内を覗き見れたとして「感想」など言えないのが普通か。結局ここに感想はまだなにも書いていないのである。

と、それっぽく言い訳したところで最初の感想(未満の何か)はここまでにしましょう。明日また観てくる予定なので、無粋な感想はあらためて書きたいと思います。本作は現時点で上映館が非常に少なく、3時間尺という回転の悪さゆえ上映期間もそう長くないはずです。ご興味ある方はぜひお早めに映画館でご覧ください。

(2020年124本目/劇場鑑賞)


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