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大林宣彦監督作品「ふたり(1991)」2回目の雑感|脚色のことや、ありったけの感想など

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池袋・新文芸坐さんの2本立てで、大林宣彦監督の「新・尾道三部作」1〜2作目にあたる『ふたり』と『あした(1995)』を観ました。とはいえ『ふたり』はつい一週間ほど前にBlu-ray(新たにリリースされたもの)を購入して観たばかり。こんなにもすぐにスクリーンで観れるとは嬉しい誤算です。

『ふたり』の感想はすでに書いているのですが、あらためて書きたいと思います。というのも前回は「特典映像の感想」に逃げてしまって結局本編のことはほとんど書けずじまいだったから。大林映画って結構「生理的に好き!」の一言で片付けたくなってしまうのです。しかしそんなことでは、やはりいかんのだ。わたしは書きまくらねば。

概要・あらすじ

赤川次郎さんの同名小説を原作としています。この作品だけは映像化させたくなかったという赤川次郎さんをして「幸福な作品でした」と言わしめる、全てがうまくいったタイプの映画化事案だったようです。これ以降『あした』『三毛猫ホームズ』シリーズなど、大林宣彦×赤川次郎のコラボレーションは続くことになります。

ふたり (新潮文庫)

ふたり (新潮文庫)

物語は、ざっくり言うと幽霊もの。高校生の姉を事故で亡くした中学生の実加は、あるときからお姉ちゃんの幽霊が見えるようになり、いつも傍で支えてもらいながら成長していきます。本作で映画デビューとなった石田ひかりさんが妹の実加を、当時若きベテランの中嶋朋子さんが姉の千津子を演じました。

雑感リベンジ

脚色について

この一週間の間に『ふたり』についてはかなり深まったと思います。まず初見、メイキングやインタビューを観て、スクリーンで再鑑賞。その後、原作小説も読みました。もっとニッチなところでいうと、本作についてのことが書かれている脚本家・桂千穂さんの著書も拝読(桂千穂さんは今月の頭に亡くなられました)。我ながらなかなかの掘り下げっぷりでございます。

原作を読んでみた印象は、確かにこれはすごく大切に扱われているな、ということでした。登場人物の統合などはいくらかあるものの、基本的にはかなり忠実な映画化だと分かりました。「姉の千津子を別個のキャラクターとして登場させる」のは本作の映画化における最大の脚色らしいのですが、映画を先に観ているともはや原作もそのようにしか読めなくなってしまうのがすごいところです。

この「本来はそこにいないはずのキャラクターを具現化する」手法がうまくいっている例として、つい最近観たばかりの舞台作品『ダディ・ロング・レッグズ』と原作小説『あしながおじさん』のことを連想しました。少女からの一方的な書簡=ひとりごとで構成された原作を舞台化するにあたって、原作にはほとんど登場しない手紙の相手=あしながおじさんを常に舞台上に登場させておくという脚色手法が取られており、これが非常に功を奏しているのです。原作を真に理解した脚色は、ときに原作を超越するほどの魅力を生み出すことがあるようですね(『ダディ〜』についてご興味ある方はこちらの記事をどうぞ)。

桂千穂のシナリオはイタダキで書け!

桂千穂のシナリオはイタダキで書け!

  • 作者:桂 千穂
  • 発売日: 2017/06/27
  • メディア: 単行本

桂千穂さんは、『HOUSE/ハウス(1977)』から『花筐/HANAGATAMI(2017)』に至るまで(正確に言うと『花筐』は『HOUSE』以前の初稿段階から)大林作品のシナリオを手がけてこられた脚本家さんです。著書桂千穂のシナリオはイタダキで書け!』では具体例として『HOUSE』『廃市』そして『ふたり』の製作秘話やシナリオを読むことができます。特にやはり『ふたり』は、これ以上の正解はないのではないかとすら思える見事な脚色っぷりに、脚本家さんのお仕事ってすごいのだなあと感動しました。詳しくはぜひ本のほうでお読みください。

またこれは大林監督の著書『ぼくの映画人生』で読んだ話で、トラック運転手がラストで花を手向けに来るシーンは映画オリジナルだそうです。原作では先にフォローしていた部分を映画では最後にフォローしているかたちになるのですが、個人的にはこの「最後でフォロー」がかなり好きです。そこからのエンドロールは涙なしに見れません、てな話はまた後程。

一方で、ちょっと時代を感じてしまう部分もありました。序盤、レイプされそうになるシーンのあとで実加が父に言われる「襲われるような年頃になったんだな」という台詞。これは原作にはないのですよね。今だったら(良識ある父親からの言葉としては)絶対に入れられない台詞という気がします。それでいうと大林監督は娘をもつ良識ある父親そのものですから、時代の限界だったのかもしれません。

書きたいこといろいろ

▼冒頭「どこじゃどこじゃどこじゃ」は、一瞬でその世界観を作り上げる見事なオープニングシーンで鳥肌が立ちます。これは原作になく、しかも桂千穂さんの本によればシナリオにもない台詞です。おそらく監督の「差し込み台本」なのでしょう。原作を尊重する傍ら、こういった奇跡のマリアージュも生まれまくっているわけで、は〜〜っと溜息ですね。

▼千津子の初登場シーンも「来た!」って感じでとても好きです(シーン自体は上述の理由で苦手ですが)。右上に現れる下半身の「もののけ感」とでも言いますか。無性にたまらんのです。なお初見時はあのカフスボタンの意味がよくわかっていなかったのですが、事故の時の状態だと気付いてしまったら涙腺がたいへん。

久石譲さんの劇伴が『トトロ』寄りのテイストなことで、「成長段階でのみ見える何か」的ファンタジーの香りがかなり強くなっているように思います(トトロもそういえば姉妹ふたりの物語か)。各家庭1名ずつ人が死んでいくような家庭崩壊ドラマにも関わらず話が重くなりすぎないのは、久石さんの劇伴によるところが大きいでしょう。

▼『ふたり』と『あした』を連続で観て気付いたこと。絶体絶命のピンチを救う武器は「石」である、という共通点。これは両作品とも原作から「石」なので、赤川さんの何かポリシーみたいなものなんでしょうか、おもしろいですね。『あした』は頑なに「銃」を使わない(何丁か銃が出てくるのに、撃たれることはない)のも特徴だと思いました。問題解決に銃を使いたくないという大林監督のポリシーなのかもしれません。

▼千津子の全身が初登場するお風呂のシーン。中嶋朋子さんのインタビューで初めて知ったのですが、「お湯をすくえない」なんていう細かい演出があったのですね。ただし、そう思って見てみても分かるか分からないかくらいです。ところでこのシーン、水面ギリギリな実加のお色気シーンとしても非常〜〜〜に秀逸でございます。

「第九」のシーン、Blu-ray版では「合唱が始まったら」ホットチョコレートを買うと言っていますが、先日新文芸坐で上映されていた35mmフィルム版は「演奏が始まったら」と言っていたように思います。少なくとも「合唱」じゃなかった、確認してみよう、と思ったことを覚えています。どこかの段階で音声のみ差し替えられたのでしょうか、気になるところです。

▼マコは大林作品によく出てくる「家業を継ぐ子供」であり、独特の諦観が印象的。『ねらわれた学園(1981)』の薬師丸ひろ子さんを思わせる快活な学級委員長ノリで登場し、最終的には『廃市(1983)』の小林聡美さんレベルまでトーンダウンしていく、何気に振り幅の広いキャラクター。彼女が堪らず決壊するシーンは素晴らしいです(原作と映画では若干描き方が異なっており、映画のほうがより効果的に思える)。ベンガルさんにスイカがお供えされてるのはもちろん『北京的西瓜(1989)』のセルフオマージュですよね(笑)

▼振り幅という意味では、成長していく実加もあらためて当然すごいものがあります。ピアノ教室でのぼてっとしたドレス姿(いかにも発表会でよく見る服装で可笑しい)から一転、原田知世さんが着ていそうな細身のワンピース姿まで、本当にこれ同じ夏の石田ひかりさんで撮ってるの??と疑いたくなるほどの変化があります。内面的にも、ひとりで法事までできるってすごいですよね(あのシーンも原作にはない)。服装といえば「討ち入り」シーンで着ている水色ワンピースが雨でグラデーションになっているのも神懸かり的によい。あのシーンは天気からして想定外だったらしく、おそらく全てが偶然の産物なのでしょう。映画ってすごいなあ。

▼駅伝大会のシーンではチープな合成でふたりや生徒たちが走りますが、これ……『海辺の映画館(2020)』で主人公3人が真正面を向いてチープに走ってくるあのシーンと全く同じことをやっているじゃないか……と2回目の鑑賞で気付いて涙してしまいました(何にでもエモみを感じる)。

▼2回目の鑑賞では中江有里さん演じる前野万里子に目がいきました。序盤からしっかり描かれていて、とても丁寧に作られたキャラクターなのがよくわかります(彼女は原作の何人かぶんのキャラクターが合わさっている)。彼女が心中騒動を経て卒業式で実加たちと楽しそうに記念写真を撮っている姿は遠景としてしか映りませんが涙を誘うものがあります。原作にないところだと、「私のはね、ミッキーマウス……」の台詞が切ない。所詮は「妹」。まりっぺ、て。

▼ピアノ発表会のシーンに使われているシューマンのノヴェレッテンがすっかり好きになってしまいました。「どうせほとんどの人は知らないんだから」と言われているこの曲、(実家がピアノ教室だというのに)わたしも知りませんでした。おかげで今後も『ふたり』の曲、として記憶することでしょう。なお原作の同シーンに具体的な曲名は登場しません。さすがはピアノをこよなく愛する大林監督、演奏シーンとしても非常によくできていて、『のだめ』のハシりなのではと思えるほどです。幼少期からピアノを習っていた石田ひかりさんが実際(音はアテレコとしても)演奏しているリアリティも大きいです。いろいろ聴いてみてるけど、実加の演奏がいちばん好きだなあ。

……これは、思った以上にきりがないですね。

お姉ちゃんのテーマ曲、流してあげるからさ

多くの大林映画では音楽が非常に大切な役割を果たしますが、本作もその筆頭と言えるでしょう。『さびしんぼう(1985)』におけるショパン『別れの曲』と同じくらいの分量で「テーマ曲」として使われるのが、久石譲作曲、大林宣彦作詞の『草の想い』。この曲はもう完全にこの映画と一心同体になっており、原作を読んでいちばん物足りなく思ったのは「『草の想い』が流れない」ことでした(笑)

草の想い ~ふたり・愛のテーマ~

草の想い ~ふたり・愛のテーマ~

劇中では主に千津子や実加の歌声で繰り返されますが、エンドロールで流れる『草の想い』はなんと大林監督と久石譲さんのデュエット!(「監督と作曲家『ふたり』で歌ってね」という恭子プロデューサーからの提案だったそうです) あれは反則なんですよね〜。実加が坂道を駆け上がってきて、トラック運転手さんが花を手向けて、千津子の後ろ姿でエンドロールに突入し、大林監督の優しい歌声でご本人曰く「メロディのあるナレーション」として主題歌が歌われる。

……いつもならエンドロールの時間は涙を乾かすためにあるのですが、これじゃあ出てくるばかりです。もう電気が点いてしまう、どうしたもんか、と思っていたらこの日の新文芸坐、拍手が起きました。そうだよな。これで拍手しないほうがおかしい。わたしはといえば、涙が乾いていないことも恥ずかしくてなんだか中途半端な拍手しかできなかったのが悔やまれます。監督ごめんなさい。

といったところで脳内のあれやこれやをある程度は排出できたので(いや、いくらでも書きたいことは出てくるんだけど)、2回目の『ふたり』雑感これにて終わりといたします。

(2020年158本目/Blu-ray&劇場鑑賞) 1回目の(メイキングに逃げた)雑感。

ふたり [Blu-ray]

ふたり [Blu-ray]

  • 発売日: 2020/09/09
  • メディア: Blu-ray
リリースされたばかりのBlu-rayおすすめです!

大林監督を偲んで、5月に久石譲さんと娘さんが『草の想い』の演奏をアップしておられました。久石さんのピアノ、フルスコアが置けるサイズの譜面台がついてるんですね、すごい。

追記: 好きが極まってわたしも『草の想い』を演奏しました。