大林宣彦監督による永遠の最新作『海辺の映画館─キネマの玉手箱』。公開日の翌日には「とりあえず書き留めておく感想未満の何か」というかたちで感想未満の何かを書きましたが、このたび2回目の鑑賞もしてきましたので今度こそ感想を書きたいと思います。
3時間あるこの映画、複数鑑賞すると果たして印象はどう変わるか。わたしの出した結論は「2回目からようやく味わえる」でした。初回はとにかくスクリーンからとめどなく溢れてくるものを受け止めるだけで精一杯。感慨深くなったりしている暇はなかったのです。対して2回目はどうだったかというと、初回とは真逆で感受性および涙腺が大開放状態。マスクにどれだけ涙を吸わせたことか。あってよかった、マスク。
そんなわけで、本作は「2回観てようやく1回分の映画体験ができる映画」です、と言い切っておきます。1回目で恍惚として終わった方は、それまだ0.5回です。ぜひとも、残り0.5回をお忘れなく。
一応のあらすじ/出演者
尾道の海辺にある老舗映画館「瀬戸内キネマ」が閉館の日を迎える。最後の興行は、オールナイトプログラム「日本の戦争映画特集」。客席にいた3人の青年は上映が始まるや何故かスクリーンに吸い込まれてゆき、幕末から太平洋戦争まで様々な戦争を映画の中で体験することに。はじめは傍観していた彼らだが、次第にこれは「他人事ではなく自分事だ」と感じるようになってゆく。
出演(順不同): 厚木拓郎/細山田隆人/細田善彦/吉田玲(新人)/成海璃子/山崎紘菜/常盤貴子/小林稔侍/高橋幸宏/白石加代子/尾美としのり/武田鉄矢/南原清隆/片岡鶴太郎/柄本時生/村田雄浩/稲垣吾郎/蛭子能収/浅野忠信/伊藤歩/品川徹/入江若葉/渡辺裕之/手塚眞/犬童一心/根岸季衣/中江有里/笹野高史/満島真之介/大森嘉之/渡辺えり/窪塚俊介/長塚圭史/寺島咲/犬塚弘/中野章三ほか、ほか、ほか……。今回ばかりはキャストのお名前をずらりと並べておきたくなりました。
好きなところをひたすら書く
的確にまとまった映画評は他の方にお任せするとして、わたしはとにかく口数多く「雑感」を書き散らかすことにしました。構成も何もありません。思いついたままです。せめて少しでも読みやすいように見出しは付けておきます(笑)
『海辺の映画館─キネマの玉手箱』の、ここが好き!
- オープニング が好き
- 「映画の歴史」のくだり が好き
- 時をかけるパラレルワールド が好き
- 鳥肌の立つ伏線回収 が好き
- インターミッション が好き
- とめどない豪華キャスト が好き
- 『野ゆき〜』を思わせるあの世界 が好き
- 桜隊のエピソード が好き
- セルフオマージュ が好き
- 普通に綺麗な映画だって撮れる のが好き
オープニング
本作、冒頭の高揚感はただものじゃありません。感覚的には『時をかける少女』のエンドロールを最初に持ってきたかのような、「始まり良ければ全て良し」のようなオープニング。大好きです。
大林組常連作曲家・山下康介さんの壮大な序曲に導かれ、かと思えば一転陽気なカウントダウン、そしていきなりポカンとしてしまう「ヒントン・バトルさん」のくだり(※)からの、なんとも古風かつ斬新な「提供読み」。なんなんだこの明るさ楽しさは、と早速クラクラし、枠ごと下から現れる「A MOVIE」にそう来たか!と唸り、不意打ちで聞こえてくる大林ボイスのナレーションに涙腺をやられ……。早くも感無量なのでした。
※「キネマ旬報 4月下旬号」p19によれば「そもそも『海辺の映画館』はヒントンさんありきで始まった企画だった〈by 恭子プロデューサー〉」のだそうです。
とはいえ、いざ幕が開いてみると今度は「始まりそうで始まらない」スロースターターっぷり。主役である3人の青年が揃うのにも時間がかかるし、「瀬戸内キネマ」劇場内でも老体の映写機が不調を訴えたりしている。3時間の長尺を贅沢に使った「じらし」と言えるでしょう。ニクい!
「映画の歴史」のくだり
ここ、楽しいんですよね。サイレントからトーキーへ、黒白からカラーへ。アスペクト比もスタンダードサイズからシネスコサイズまで余白の部分がぐぐぐとリアルタイムに変わっていき、シネスコサイズのときはテクニカラー的色味になっていたりする芸の細かさ。全編通して場面転換が全てフィルム的な縦送りなのも「キネマの玉手箱」感があります。
個人的にはサイレント映画と尾美としのりさんの相性がツボでした。「声が出る!」と驚きながらトーキーに移行していくの、斬新。尾美さんは身体が入れ替わっちゃうところから始まって今度は声が出たり出なかったり、大変ですね。あと「トーキー!」の声に「ん?」と反応するユキヒロさんにも笑ってしまった。テクノポリス的な洒落よね、きっとね。
このくだりは山ほど特筆ポイントがありまして。たとえばサイレントのシーンでは「映画とはそもそも不自然極まりないものだったのです」というナレーションを入れることで監督の「正気」を観客に示している、とか。「そうか映画って不自然なものなんだ」と気持ちを切り替えれば、大林作品に免疫のない人でも残り3時間弱の濁流に身をまかせることができる(かもしれない)ってわけ。
他には中国戦線のシーンなら、「主人公やヒロインは弾のほうから避ける」「映画には落とし穴もある」「ときにセンチメンタリズムで命を落とす」「アクション娯楽風の音楽」などなど映画的手法のあれこれをメタ的に解説してくれたりとか。ここは浅野忠信さんがいい仕事しすぎです。
時をかけるパラレルワールド
幕末から太平洋戦争末期まで、タイムトラベルしつつパラレルワールドを移動していくようなかたちになっている本作ですが、これパンフレットを購入すると「瀬戸内キネマ」のロビーに貼られた10枚の映画ポスターを見ることができまして、じつはそのパラレルワールドひとつひとつがこの晩かけられる「映画」の一本一本であることが分かります。
これだけ沢山の「映画」を撮るとなるとその労力は大変なことです。タップダンスから殺陣までよくまあ皆さん頑張られたものだと(特に新人の吉田玲さんなどはどれだけ大変だったろうと……)感服いたします。
脚本に関しても、主人公たちが映画世界を転々としながら設定やアイテム(ハーモニカ等)を引き継いで行く様、「どこかでお会いしました?」な既視感の連発など、本当によく作り込まれているなあと。すごくエンタメなんですよね。
鳥肌の立つ伏線回収
こんなに自由奔放な作風なのに、じつはしっかり伏線が張り巡らされていて、それが後半へいくにつれ次々と回収されていく。真意の見えなかったコラージュが突如きれいに完成する。いやはや、これは今までの大林作品ではあまり体験したことのないような、見事なものでした。
最たるものはやはり、最初から最後まで執拗に登場する「ピカ・・・ドン」でしょう。もちろん何を表しているかは一目瞭然なのですが、終盤「桜隊」のエピソードで満を持して繰り返される「ピカ・・・ドン」、そして続く毬男の台詞には、背筋がゾクッッとしました。劇場内の空気も張り詰めていたように思います。同じシーンを何度も見ているはずなのに、なんなんだろうこの突然ピースのはまった感じは……。
劇場内の空気感ということでいうと、スクリーンの中と外の温度感をしっかり合わせてあるのも印象的でした。たびたび映る「瀬戸内キネマ」の客席。序盤はニコニコ楽しそうに体を揺らしたりコミカルな演出がされているのですが、後半へいくにつれ表情が硬直してきて、そしてそれを見る実際の観客も同じ表情になっているわけです(少なくともわたしは)。じつに細やかな作りでした。
インターミッション
あのインターミッションの「フフッ」感は映画館ならではの体験です。2回観て2回ともささやかな笑いが起きていました。このためだけにでも映画館で観てほしい。実質「無」ですけど。ちなみにわたしの行った回、どちらも満員御礼ながら、トイレに立つ人は皆無だったことに驚きました。この集中力も映画館ならではですね。
とめどない豪華キャスト
次から次へと投入される豪華キャスト、それは一般的な豪華キャストの場合もあるし、大林作品的な豪華キャストの場合もあるのですがまあとにかく楽しかった。印象的だったのはたとえば前者なら、稲垣吾郎・武田鉄矢・村田雄浩お三方の並びとか(役柄的にも超豪華で笑える)。後者なら中江有里さんとか(いい役でしたねえ)。まあでも今回の一番は根岸季衣さん、かな。別格というか。圧倒的なお顔でバーーーン!!!と登場したとき、間違いなく劇場どよめきましたもん。最後の大林作品にしっかり根岸さんがいてくれてよかったです。
豪華キャストのなかに尾道三部作のヒロインたちは残念ながら含まれていませんが、代わりに本作のヒロイン3人は尾道三部作からひとつずつ名前をもらっています。またパンフレットには、新旧尾道三部作のヒロイン代表として富田靖子さんと石田ひかりさんの対談が収録されています。
『野ゆき〜』を思わせるあの世界
劇中で訪れる様々な「映画世界」でいちばん好きなのは、上記の根岸季衣さんが出演しているエピソードです。パンフレットによれば『戦場の真実 木刀奇譚』というタイトルが付いているらしいこの世界はまさに1986年の『野ゆき山ゆき海べゆき』そのもので、成海璃子さん演じる色街の娘は鷲尾いさ子さんが演じた「お昌ちゃん」に重なります。
お昌ちゃん同様に今回の成海璃子さんも救われない結末となるのですが(その歴史も変えられないのだなあと切なくなる)、その前夜に茂との刹那的な一夜を過ごせているのが今回はかろうじて救いです。ハーモニカの「歌を忘れたカナリヤ」にオーケストラの劇伴が寄り添っていく大林映画お得意の音楽づかい、小屋での情事。悲しいけれど美しいです。
本作は直接的な性描写が多いのも印象的で、この情事以外は非常に残酷なものとして描かれています。なかでも根岸季衣さんの最後のシーンは、大林監督の言う「シネマ・ゲルニカ」、いやむしろ「ゲルニカ」そのものか、というような強烈な描写でした(なかでも、とは言ったものの、沖縄編・山崎紘菜さんのくだりも同じくらい直視し難いシーンです……)。
桜隊のエピソード
本作は脚本作業の段階で「戦争映画と桜隊」と題されていたそう。よって、この「桜隊」のエピソードが後半のメインであることは間違いありません。ここまで数々の「映画世界」で救えなかったヒロインたちが一堂に会す、ある種カタルシスもあるエピソードです。とはいえ、結末に軽はずみなカタルシスは用意されていません。
「今は昭和何年の何月何日ですか?」とか尋ねちゃうような超王道タイムトラベルものなのに過去を変えられないという意地悪な展開は、この映画のテーマである「映画で過去は変えられない。でも未来を変えることはできる」を強く出したもの。桜隊メンバーの最期が淡々と読み上げられていくくだりは感情的ハイライトのひとつと言えるでしょう。「未来を変えることはできる」を描いた作品は数あれど、「過去は変えられない」をここまで強調した作品はなかなかないのではと思います。
事前に映画『さくら隊散る(1988)』を観ておいたこともあり、深く味わうことができました
セルフオマージュ
尾道で「別れの曲」をバックにセーラー服の少女がフェリーに自転車を乗せて……、なんてみなまで言うのも野暮なところから始まり、歴代大林作品へのセルフオマージュや引用流用が非常に多い本作。これまでの大林映画ではあまりそういう手法は使われなかったので、だからこその楽しさ嬉しさが今作には沢山詰まっています。無伴奏チェロ組曲が聴こえてきて「あれっ」。格子戸と娘と中原中也の歌の組み合わせに「あれっ」。過去作を観ていれば観ているほど楽しめる映画です。
また、馬場毬男(マリオ・バーヴァ)、鳥鳳介((フランソワ・)トリュフォー)、団茂(ドン・シーゲル)というそれぞれ映画監督の名をもじった主人公たちの名前もこれは大林監督が40年前の時点から自らのペンネームとして考えていたもの。1992年に書かれた自伝(文庫版『ぼくの映画人生』前半部)が手元にあるのですが、ここで既にそのものずばり明記されています(p123)。他にも、劇中で突然出てくるように思える「ターザン」などですら幼少期の思い出としてしっかり書かれていたりするのですから、この映画に唐突で奇抜なことなどほとんどないのかもしれません。
普通に綺麗な映画だって撮れる
2000年代の大林作品に顕著な、あえて不自然極まりないままにしているグリーンバック合成の数々。肌に緑色が被っていようとおかまいなしでそのまま使ってしまう肝っ玉の強さ。夜の海辺のシーンをじつは真昼間に撮っていたりとかするわけです(NHKの特番でメイキングを事前に観ていたので、あのシーンがこれ?!と驚きました)。
もうすっかり慣れてはいるものの、でも昔はもっと普通に綺麗な映画も撮ってたのになと。ああいうのもまた観たかったなと。そう思う気持ちも多少はあります。何を言いたいかというと、じつはこの映画、さりげなく「普通に綺麗な映像」もちょいちょい混ざっているのです。撮ろうと思えばいくらでも撮れるの、でもあえてやってないの。なるほど了解です!! そんな会話を心のなかで監督としました。
といったところで今回の雑感は打ち止め。聞くところによると公開規模が約4倍に拡大されるとのこと、めでたい限りです! 3回目もとい1.5回目はいつ行こうかなと早速考えております。
追記:3回目はスペシャルな体験でした
Blu-rayも出ました!
- 発売日: 2021/03/10
- メディア: Blu-ray