日比谷シアタークリエにて、ミュージカル『ダディ・ロング・レッグズ』を観てきました。コロナ以降初となるリアル観劇ですのでその記録も兼ねて、この作品の紹介および観劇レポを書いていきたいと思います。
「ダディ・ロング・レッグズ」について
ジーン・ウェブスターの小説『あしながおじさん(Daddy-Long-Legs)』を原作としたミュージカル作品で、脚本・演出は『レ・ミゼラブル』等のジョン・ケアード、音楽はポール・ゴードン。ワークショップやオフ・ブロードウェイ公演等を経て、2012年に日本へやってきました(翻訳はジョン・ケアードの奥様でもある今井麻緒子)。
日本版の初演キャストをつとめたのは坂本真綾と井上芳雄。二人のマッチングは高く評価され(坂本真綾は本作で菊田一夫演劇賞を受賞)、同一キャストのまま翌2013年、2014年、2017年と再演を重ねてきましたが、この2020年、コロナ禍における希望として再び待望の公演が叶いました。9/4のシアタークリエを皮切りに今月いっぱい各地をまわります。
「ダディ」の魅力
もともと坂本真綾のファンであるわたしは2012年の初演からほぼ毎回足を運び、今回でおそらく4度目の観劇になるかと思います。それはただ単に主演キャストのファンだからというだけではなく、この作品を愛しているからに他なりません。わたし以外の観客もきっとそうでしょう。そんな「ダディ」の魅力を少し紹介してみます。その前にまずあらすじですね。
あらすじ
孤児院育ちの少女ジルーシャ・アボット(坂本真綾)は、「ミスター・スミス」と名乗る紳士から支援を受けて大学へ進学できることに。スミス氏からの条件は、文筆の才能を伸ばすため毎月手紙を書いてよこすこと。感謝を述べてはならないこと。スミス氏は絶対に返事を書かないし、会うこともない、以上を了承すること。
一度だけ見かけた「スミス氏」のひょろ長いシルエットから長身の老紳士を想像したジルーシャはその姿をアシナガグモに見立てて「ダディ・ロング・レッグズ」と勝手に呼び、学校生活での喜怒哀楽を感情豊かにしたためて日々投函してゆく。
一方「スミス氏」はというと。彼は女の子嫌いの慈善家であったが、ジルーシャが想像するような老紳士ではなく若い青年だった。毎月どころではない頻度で届く手紙のウィットに、不本意ながら彼はすっかり魅了された。彼女に会いたい。しかし自らの取り決めが邪魔をする。幸か不幸か、ジルーシャの同級生に彼の姪がいた。そうだ、叔父として、ジャーヴィス・ペンドルトン(井上芳雄)を名乗って近付こう。
画策通りジャーヴィスはジルーシャとの対面を果たす。ふたりの距離は縮まるも、孤児院育ちと名家の御曹司という複雑な関係への想いをジルーシャは「ダディ」への手紙にのみ吐露する。それがよもや、直通のラブレターになっているとは知らずに──
あらすじ書くの難しいですね。なお原作(2012年から付き合っている作品だというのに遅ればせながらようやく原作を読んだのですが)はジルーシャの書簡でのみ構成され、スミス氏/ジャーヴィスが何者かであるかは最後の最後にようやく明かされる構成になっています。対するこの舞台版は、初めから彼の存在と行動が全て見えている状態で進んでいきます。よって舞台版に関してはこのあらすじがネタバレにはならない、ということを原作読者様向けに一応補足しておきます。
では、今度こそ魅力に迫ってみましょう。
「最小限」の作品であること
本作のキャストはジルーシャ役・坂本真綾、ジャーヴィス役・井上芳雄の2名だけです。「二人芝居」、これは魅力の最たるところであり、ソーシャルディスタンスを求められるご時世に公演が実現した大きな理由でもあるかもしれません。
ミニマムな二人芝居に合わせて、舞台セットはひとつだけ。四方八方に置かれたスーツケースが足りない要素を補い、演者自ら移動させて家具から山の頂まで様々なものを表現します。演者自らという点では衣装替えも例外ではなく、お色直しの多いジルーシャが舞台上で歌い踊りながら手早く着替えていく様は熟練の技です。音楽もシンプル。ピアノ、ギター、チェロの3名だけで幅広くこなします(初演当初はリズム隊も入っていましたが、より小さな編成となりました)。
「ダディ」といったらあのふたり、あのセット、あの音。コンパクトに手の中に収まるような、観客それぞれが大事に持っておける劇場体験。その「小ささ」こそが、愛される大きな理由ではないかと思います。
ジルーシャとジャーヴィスの魅力
たったふたりのキャスティングが最初から大正解だったのも特筆すべき点でしょう。ジルーシャを演じる坂本真綾には、ジルーシャとの共通点が多くあります。エッセイストであり、本の虫であること。そして何より、毒舌であることです(笑) ジルーシャが書く手紙というのはただユーモアに富んでいるだけではなくしばしば辛口コメントをお見舞いしてくるのですが、この舞台においても客席が笑いに包まれるのは主に彼女の歯に衣着せぬ物言いに対して。坂本真綾ファンとしては、ジルーシャのウィットは坂本真綾そのものであり、適任としか言いようがありません。
対するジャーヴィスは、ミュージカル界のプリンス井上芳雄が演じます。坂本真綾をして「カーテンコールで自然とセンターに立ってしまう(もう一歩むこう行け)」という生粋の主役タイプなわけですが、そのイメージ通り二枚目キャラだったはずのジャーヴィスは痛快毒舌少女ジルーシャから雑な扱いを受けまくり、すっかり形勢不利に。とにかく単純に可笑しくて、何度でも観たい! ジルーシャとジャーヴィスにまた会いたい! と思わせる傑作喜劇に仕上がっているのはこのふたりあってこそです。ロングランにより阿吽の呼吸が磨かれていくことがまた魅力を強めます。
現代社会に通じるストーリー
原作小説はジルーシャの書簡によってのみ構成され、スミス氏=ジャーヴィスは名前だけでしか登場しません。「一人芝居」なわけです。しかし舞台版においては彼の存在を具現化させるという手法をとっています。彼があくまでスミス氏としては沈黙を保っていた理由、いや実際は何度もペンを取っては置き、取っては置き、と葛藤を繰り返していたことをあの原作から感じ取って見事な脚色を施した脚本・演出のジョン・ケアードは偉大です。ジャーヴィスが慈善行為の難しさを涙ながらに歌い上げる楽曲『チャリティー』は本作のハイライトのひとつとなっています。
劇中ではジルーシャの成長も印象的に描かれます。孤児院育ちで知らないことだらけだった彼女は大学生活を経て様々なことを体験・吸収していき、二幕の頭には立派なフェミニストとして登場。手紙の内容は基本的に1912年刊行の原作を忠実に使っており、もちろん2012年の初演時(ちょうど100年だったんですね!)からも大きく変わっていないはずです。ですが今回の再演ではハッとさせられる部分が非常に多く、この数年で世の中の動きや自分の意識がだいぶ変わったことを再認識させられました。ジルーシャは「ファビアン主義者になるわ」と言います。不平等のない世界を、次の世代を見据えて少しずつ着実に変えていくという考え方。3年前の上演時よりジルーシャの思いが実っているのではと個人的には思いました。
──といったふうにコメディのなかに織り込まれた普遍的な問題提起が秀逸な作品ですが、トータルの味付けは胸キュンのラブストーリーでもあります。ずっと同じステージ上にいながら、ジルーシャとスミス氏=ジャーヴィスが本当の意味で対面するのはラストほんの数分だけです。そしてこの部分は原作から大きく膨らませられており、物語の納得度を上げるとともに最高の胸キュンも提供してくれます。今まさに多くの観客が求めているハッピーエンドと言えるでしょう。
魅力語りが想定外に長くなってしまいました(原作ではジルーシャのこういう言い訳も頻繁に見られます)。これぐらい魅力的な作品です。以上、終わり! 後半、急ぎ足で観劇レポを書いてゆきます。
初日ソワレ観劇レポート(2020.09.04/シアタークリエ)
コロナ以降初のリアル観劇ということで、クリエさんの対策などをまず記しておきましょう。公演日時点での情報です。
- 入場前に入口で手のアルコール消毒
- 検温はカメラで行われており、必要に応じて再検温要請あり
- チケットもぎりはセルフ。半券を枠内に置いて見せるスタイル
- 客席は一席空け市松模様のソーシャルディスタンスモード
- クリエ内での物販はなく(飲食物はあり)、パンフは隣接のシャンテにて販売
- 上演中も換気は強め。幕間の休憩は30分で、外出可
- 終演後は1〜2列ごとの規制退場あり
映画館を除けば、ソーシャルディスタンスモードでの「満席」を初めて体験しましたが、均一に人がいるのでまばらな感じはさほどなく、暗転してしまえば全くいつも通りという感じでした(ただし経験上、客席側からよりも舞台側からのほうがまばらに見えるはずなので演者さん側はまだ慣れないかもしれません)。拍手の音量感も十分。そもそも前後左右に人がいないのは単純に快適で好ましい&開演前の静寂が心地よかったです。観劇お一人様の時代が来ました(やったーばんざい)。
ちなみに30分も休憩があるおかげで幕間にシャンテへ行ってパンフを買ってくることができました。レジの店員さんに「終わりにしては早いなと思いました!」と驚かれるなど、ちょっと楽しい体験になりました。
さて、気になるのは公演内容がどれだけ変わったかということでしょう。結論から言うとほとんど変わっていません。すっかり敏感になってしまったこのご時世、えっ手を取り合っちゃっていいの、えっアクリル板なくていいの、えっ、えっ、みたいなことはところどころ感じたわけですが、まあ熟考の末の判断でしょうから無事完遂できることを祈るのみです。内幕で言えば、ジョン・ケアードさんが来日できなかったのでリモート稽古だったそうです。
そんななか唯一わかりやすく変わっているのは、大方の予想通りラストの濃厚接触シーンです。そう、まあ、キスはなし。この回では、重ねた手をどんどん積み上げるような謎のスキンシップをしており笑いが起きてました(笑) 今後バリエーションが増えるかもしれませんね。カーテンコールからのご挨拶的なものもこの回はありませんでしたが、これは公演時間等にもよりそうです。
あと、何気にバンドメンバーが変わっていました。初演からずっとバンマスだったピアノの林アキラさんが抜け、前回から参加のチェロ・松尾さん以外は新たな顔ぶれになっていました。ただ、パンフレットを見るまで全然気づかなかったどころか長年のタッグとすら錯覚させられる演奏でしたのでこれから行かれる方はご安心ください。
内容については思いのほか上記「魅力」のコーナーで語ってしまったので今更語り直すまでもないのですけども、ま〜〜毎回毎回思います、ジルーシャ可愛い。回を重ねれば重ねるほど可愛い。坂本真綾さん、40歳ですよ。余裕で天真爛漫の少女です。ほんっとにジルーシャ好きです。なんなら坂本真綾としての活動よりジルーシャのほうが好きな真綾ファン、一定数いるんじゃないでしょうか。
ジャーヴィー坊っちゃまとのハーモニーが向上している印象も受けました。芳雄さんって若干フラット気味のピッチを持ってる人だと思っていたのですが、今回はそれがほとんど見受けられず。ロングトーンも細かいリズムもばっちり決まって、ますます阿吽の呼吸なふたりになっていました。しいて言えば『マイ・マンハッタン』あたりのアッパーな曲になると、パワー系じゃない真綾さんに対して芳雄さんの声量がちょっと耳に痛いかなと。
曲名が出たついでで、前回から刷新された『マイ・マンハッタン』と『卒業式』の2曲、特に『マイ・マンハッタン』はまだ馴染んでないかなあという感じがします。「ダディ」の曲じゃない感じがしてしまう。もっともっと回を重ねていただいて、こちらとしても積極的に慣れていきたい所存です。
初演から回を重ねてきた楽曲たちはますます素晴らしく、特に今回の白眉は『チャリティー』だったと思います。真綾さんも後日の配信イベント(これ、非常に楽しかったです)で「今回のチャリティーがすごく好き」と言っていましたが、なんでしょうね、これまでとは訴えかけてくる力が段違いだったというか。芳雄さんとジャーヴィスの株がいっぺんに上がる、迫真のパフォーマンスでした。全体的にコメディとシリアスのコントラストは強くなっていたかもしれませんね。
といったところで、この時期ならではのという感じは全然なく、むしろきわめて通常運転だった2020年版『ダディ・ロング・レッグズ』。ジルーシャとジャーヴィスが変わらずそこにいてくれる安心感と、心温まる物語。今この公演を観ることができて本当によかったです。坂本真綾ファンとしては2011年3月31日のライブ(わたしの初・坂本真綾でした)を思い出し、こういうときに彼女はいつも率先して元気付けてくれるなあとしみじみ有難く思います。恩返しとなるよう今後も応援してゆきます。
追伸:ダディNY裏聖地巡り
2018年にニューヨークひとり旅をした際、「ダディ」にまつわるスポットもいくつか訪れました。なんといっても「ジャーヴィス・ペンドルトンの住所は実在する」、これは結構いいネタでございましょう。
物語の時代設定は1910年代前半。この邸宅が建てられたのは1907年だそうですから、新築ほやほやだったんですね。そのほか、ジルーシャたちが泊まった「マーサ・ワシントン・ホテル」、日本版以前にオフブロードウェイ公演が行われていた劇場など、僭越ながらわたしの旅行記にいろいろ書いてありますのでご興味ある方はどうぞ。
ホテルや劇場については続く記事に書いています。そうそう、『マイ・マンハッタン』終盤で畳み掛けられるニューヨーク関連のワード、配信イベントのおかげで聞き取れたので記しておきます。タイムズスクエア/ティファニー/メイシーズ/五番街/オスカー・ハマースタイン/メトロポリタン(文脈的に歌劇場)/J.P.モルガン/コニーアイランド、以上。
今回遅ればせながら読んだ原作。真綾ジルーシャが至高だと思っていましたが原作のジルーシャも負けていません。こんな手紙もらい続けたらそりゃ折れるわ、とジャーヴィス視点で大いに納得しました。「ダディ」ファンで、もしわたしのように未読の方がおられたら、とってもおすすめです。装丁もすごく可愛い。こんな本を子供時代の愛読書にできたら幸せ。