ドキュメンタリー「トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして」をNetflixで観た
Netflixで『トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして』というドキュメンタリーを観ました。
愛聴しているラジオ番組「アフター6ジャンクション」にてライムスター宇多丸さんが紹介しており知った本作。番組内での初出はこちらから聴けます(5:20あたりから)。
宇多丸さんの感想は「分かってないことが分かりました」。とにかくトランスジェンダーについて自分が全く分かっていなかったということが分かったと、「これを見る前と後だと完全に世界の見方が変わるぐらい」だったと。
その後も番組内では度々このタイトルが出ていたのですが、極め付けは昨日、2021年5月21日の放送ですね。
「LGBT理解増進法案」にまつわる胸糞ヘルジャパン案件の話(6:30あたりから)で改めて「この番組を聴いていただくにあたって結構なプライオリティの高い、必須参考作品だと思っていただいた方がいいかも」と紹介されていて、今観なかったらいつ観るんだとマイリストから引っ張り出してきました。
本作は主にトランスジェンダーの映画関係者たちによる発言と、膨大な映画作品のアーカイブ映像から成り立っています。記憶に新しいところでは『スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち(2020)』と近い印象のつくりでしたが内容はもっとヘヴィーで、決して明るい気持ちで観終えられるものではないです。
上述の番組内でも宇多丸さんが「自分が説明するよりこれを観て」と言っているように、わたしとしてもここにあれこれ要約的なものを書くのはまず正確に書ける自信がないので控えたいと思います。とはいえ全く書かないのもなんですし以下だらだらと書きますが、大前提として実際のところはぜひご覧になって確かめてください。
ただの「人」にすぎないのに
とにかく嫌というほど分かったのは、これまで映画やドラマ、メディアがトランスジェンダーをどれだけ暴力的に消費してきたのかということ。「トランスジェンダー」を飛び道具のように使い捨ててきた実例が、百聞は一見にしかずどころか“百見”にしかずのレベルで際限なく出てきます。
衝撃的なのが、実際のトランスジェンダー女性をトランスジェンダー役として起用していながら製作側の理解が全くないケース。演じていた本人がどう感じていたかという強烈な「副音声」がいくつも登場し、もうこの映画観れないよ……の連続でした(幸いにも未見の作品ばかりでしたが)。
また、トランスジェンダー役を非トランスジェンダーが演じることの是非。例えばエディ・レッドメインが「世界初の性別適合手術を受けた人物」を演じ評判を呼んだ『リリーのすべて(2015)』についてジェン・リチャーズさんは、作品の質は肯定しつつも「人物そのものの演技ではなく、トランス女性の演技になる」と言います。
これは目から鱗でした。男性が男性を、女性が女性を演じる際には生じ得ない、「人ではない何かを演じる」と言ってもいいような作業。(考えすぎるとよくわからなくもなってきますが……、この発言を聴いた瞬間ポロッと鱗が落ちたのは確かなのでその感覚を信じておくことにします)
現実世界でも、例えばトランスジェンダーの人がトーク番組に出演するとまず「生物学的な基本設定」から説明させられるという通常ではあり得ない事態が発生したり。本来、秘密でもないし明かさなければいけないものでもない。特別な要素ではないし「カミングアウト」する必要だってない。ただの「人」にすぎない。なのに何故か宇宙人かのような扱いを受ける。
「そういうことだったのか」と愕然とするこの感じは、フェミニズム小説『82年生まれ、キム・ジヨン』最後の一文を読んだ時の感覚を思い出すものでもあったし、大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館─キネマの玉手箱(2020)』の沖縄戦パートに出てくる「人だァ!」という悲痛な叫びを思い出すものでもありました。
理解のある人たちが作った『センス8』
個人的にすごく運命を感じてしまったことがあって、本作のファーストカットはNetflixドラマ『センス8』のワンシーンから始まるんです。今年の初めにわたしがどハマりしたドラマです。
このドラマにはノミ・マークスというトランスジェンダー女性が登場するのですが(演じるジェイミー・クレイトンさんもトランスジェンダー)、わたしはこのキャラクターがすごく好きで、なんなら一番感情移入できるキャラクターだと思っていたほどでした。完走後のキャラ語りでこんな感想を書いています。
いわゆるオネエ的な感じでは全くなく「ただの女性」として存在しているのがキャラ造形としてすごくいいと思う。人一倍理性があってすごく人間的で、最も感情移入しやすかったキャラクター。(Netflixドラマ「センス8」最終回まで観た感想&キャラ語り - 353log)
『センス8』のクリエイターは『マトリックス』シリーズのウォシャウスキー姉妹(ともにトランスジェンダーの、元・兄弟)。本作の中でリリー・ウォシャウスキー監督はノミについて「私の願望を形にしたキャラクターだった」と語っています。
また『センス8』にはゲイカップルも登場しますが、こちらもわたしにとっては珍しく抵抗を感じずに見れるキャラクターでした。
リトとエルナンドは多分わたしがフィクション世界で初めて心の底から受け入れられたゲイカップル。(Netflixドラマ「センス8」最終回まで観た感想&キャラ語り - 353log)
正直わたしは少なくともフィクション世界において、クィアなキャラクターというものがあまり得意ではなかったのです。しかし『センス8』で描かれるそれはゲイカップルもトランス女性も、いずれも抵抗なくすんなり受け止めることができて、少し不思議にすら思っていました。こんなことを書いてます。
とにかく、LGBTQを描いた作品は数多あれど『センス8』は一番わたし的に「しっくりくる」作品だったという話です。(Netflixドラマ「センス8」最終回まで観た感想&キャラ語り - 353log)
で、今回『トランスジェンダーとハリウッド』を観てすごく腑に落ちたんですが単純といえば単純な話で、制作陣に理解があるから、何の偏見もないからこのような作品が生まれていたわけなんですね。言ってみれば、これまでわたしが「苦手だな」と思っていたものは間違ったクィアだった。ずっと不味いグリンピースを食べていた。一体どれだけこの世の中には不味いグリンピースがのさばっているというのか。恐ろしい。
そんなわけで『センス8』、併せておすすめいたします。Netflixに感謝を。『トランスジェンダーとハリウッド』を紹介してくれたアトロク、宇多丸さんにも感謝を(本日52歳のお誕生日。おめでとうございます!)。
(2021年75本目/Netflix)