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ポン・ジュノ監督作品「Okja/オクジャ(2017)」雑感

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ポン・ジュノ監督の『Okja/オクジャ』を観ました。所謂「Netflix映画」ですがこの頃はまだマイノリティだったらしく、映画賞の受賞に際して物議をかもしたのだそうです。どのインタビューを読んでもその話ばかり振られていました。時代の流れは速いですね。

あらすじ

ニューヨークに本社を構えるミランダ社は、10年計画の「スーパーピッグ・プロジェクト」を立ち上げた。26ヶ国の指定農家は提供された新種の子豚「スーパーピッグ」を各農家それぞれの方法で育て上げ、その出来を10年後にコンペで競う。

ところ変わって韓国の山奥。ここで育てられたスーパーピッグを品評するべくミランダ社の人間が訪れる。ひとりの少女が「オクジャ」と名付け愛情を注いだその豚は見事優勝とされ、はるばるニューヨークへ送られることに。オクジャと別れたくない少女は妨害を試みるが太刀打ちできない。すると、少女に加勢する動物愛護団体が現れて──

雑感

序盤、実写版トトロとでも言えるような*1巨大スーパーピッグ「オクジャ」と森で戯れる少女ミジャ。まあとにかくこの豚ちゃんが愛くるしいです。でも、あらすじ的にきっと離れ離れになってしまうのでしょ? なんなら最後は後味悪く豚肉でもほおばるのでしょ? そんなことを考えると、ただただつらい。可愛さがこんなに苦しいとは。

意外にも豚肉はほおばることなく終わるのですが(こんなとき必ず頭をよぎるのは藤子・F・不二雄の『ミノタウロスの皿』ラストシーン。“待望のステーキをほおばりながらおれは泣いた”)、終盤の屠殺場シーンがなかなかショッキングでした。おそるおそる調べてみると実際の豚の屠殺場もあんなふうに押さえつけて殺し、ラインへ流していく仕組みになっているようで。なるほど、これはちょっと(実際の屠殺に対し)倫理的に声が上がるのも分かる。

ポン・ジュノ監督にとって本作と2013年の『スノーピアサー』はアメリカの資本が入った作品で、キャスティングやスケール感など、そのほかの作品とは目に見えて異なる部分が少なからずあります。わたしはそもそも『スノーピアサー』から入ったため抵抗はないんですが、韓国資本で制作された代表作たちを後から観て、だいぶ違いはあるなと思いました。

殺人の追憶』『母なる証明』『パラサイト 半地下の家族』といった韓国制作の作品を、監督は「自分にぴったり合うサイズ」と表現*2していて、それで言うとアメリカ資本の作品は確かに「サイズが大きい」印象を受けます。『スノーピアサー』であればやはり「ハリウッド超大作!」的な煽りが似合う雰囲気になっていますし、本作も全面的に用いられた視覚効果や場面転換の大きさ(ニューヨーク行き)などからそう感じます。

物語全体に登場する「CGによるメインキャラクター」というところでは『グエムル-漢江の怪物-』も同じなのですが、あちらは舞台となる場所や文化描写が「すごく韓国」なので結果「すごくポン・ジュノ」なトータルの印象を受けるのに対し、本作は部分部分である程度カラーを出してはいるもののトータルの印象としては韓国みポン・ジュノみ共に薄いです。逆に、こういうほうが観やすくて好き、と感じる人もいるかもしれないですけど。

さて、これでポン・ジュノ監督作品、多分ひととおり観終わりました。どれもそれぞれに面白かったです。近いうちまとめを書こうと思います。

(2020年67本目/Netflix