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気まぐれ自叙伝 わたしの音楽遍歴【第3章:PUFFYと森高と父とギター】

何者でもない「わたし」の音楽遍歴をたどる暇つぶし自叙伝、第3章です。第2章はこちら。

引き続き父から受けた影響の話と、初めて買ってもらったギターの話。

PUFFYと森高

はじめに一応クラシックマニアと紹介したものの、父の趣味はよく分からない。あるときはPUFFYにハマっていた。「あのユルさがいい」のだそう。音楽の趣味を父と共有していたわたしもまた、自然な流れでPUFFYにハマった。お気に入りだったのは初期のアルバム3枚で、なかでも『JET CD』は生涯ベスト5に入るアルバムと言っていい。

この頃のPUFFYには奥田民生井上陽水など非常に豪華なミュージシャンが携わっており、その楽曲も多彩だった。それまで聴くジャンルが比較的偏っていたわたしは、PUFFYのおかげで様々な音楽ジャンルの文法を知ることができたように思う。

余談だが、のちにとある音楽フェスでTHE WHOを観る機会に恵まれ、上に貼った「ジェット警察」がTHE WHOへのオマージュであることをTHE WHOの生演奏で知るというリッチな体験をした。


父は森高千里にもハマった。突然『STEP BY STEP』を買ってきて、PUFFYと平行してやはりひたすら聴いた。森高はドラムも叩く人なのだけど、特にこのアルバムでのプレイは唯一無二のヘタウマ。そんじょそこらのドラマーには真似できない。英国のリンゴ・スター、我が国の森高千里、といった感じだ。

森高のアルバムは何枚も聴いたが、特に『ROCK ALIVE』が好きだった。「私がオバさんになっても」が入っているアルバムで、「いとしのレイラ」風のずばり「ギター」という曲がひときわ印象に残っている。当時ガットギターしか持っていなかったわたしは、この曲を聴いてエレキギターに憧れた。

といったところで、ギターの話をしよう。

ウクレレを買うつもりが…

小学5年生。ギターを買ってもらった。その日はウクレレを買ってもらうため楽器屋へ来ていたのだが、どういうわけか6本弦の楽器を手に帰宅した。記念すべきファースト・ギターとの出会いは、気まぐれだった。

このとき買ってもらったのは、正確に言うとヤマハの「ギタレレ」という楽器だ。名前のとおり、ギターとウクレレの合いの子。ウクレレ感覚で弾ける小さなガットギターで、人気モデルとして今もなおラインナップされている。

ウクレレを買わなかった理由は「ギターのほうが後々よくない?」という母の一声だったように記憶している。やはりこういう運命の分かれ道みたいなところはさらっと母がもっていく。ウクレレを買った人生は、果たしてどうだったのだろうか。

期せずしてギターのようなものを手に入れたわたしは、右も左も分からないので教則本を見ながら練習した。そのうちまどろっこしくなり、教則本から逃げた。ピアノと同じで、耳から覚えてなんとなく弾くほうが楽しかった。結局、コードネームのひとつも覚えないまま今に至る。

ギタレレはコンパクトな楽器のため車に乗るときも必ず持ち込み、後部座席で弾いていた。カシオペアなどを当てずっぽうになぞるうち、だんだん弾けるようになってきた。子供の吸収力ってすばらしい。

こうしてすっかりギタレレが友達になったのだが、「ホームページを手打ちできる世代」のわたしは同じ頃HTMLやCSSにも夢中だった。車から降り、「HTMLタグ辞典」にかじりつきながら団地の階段を上る。片手にタグ辞典、もう片手にはギタレレ、そして格子状の手すりと、仕上げに注意散漫。バキッ。テコの原理が働いた。

泣いた。多分、この世の終わりとばかりに泣いた。ヘッドの部分が縦にパッキリ割れ、弦は張力を失っている。見かねた父が木工用ボンドで取り急ぎくっつけてくれた。そんなんじゃ直んないよと思ったが、現在まで全く問題なく使えている。またしても父の株をうっかり上げるエピソードだ。

次章へ続く。