韓国映画「ハウスメイド(2010)」雑感|「パラサイト」にも影響を与えた古典映画のリメイク版
『パラサイト 半地下の家族(2019)』公開時、たびたび映画評などで見かけた『下女』という1960年の韓国映画があります。ポン・ジュノ監督自身もこの作品から大いにインスパイアを受けたと語っていました。そんな古典的作品『下女』をリメイクしたのが、今回鑑賞した2010年公開の『ハウスメイド』です。
韓国映画には「格差社会」を描いたものが非常に多いですが、『下女』はその象徴として「高低差」を印象的に使ったエポックメイキングな作品のようです(とか言いつつ未見→観ました)。このへんのことに関しては、ユリイカ「韓国映画の最前線」特集号に掲載された記事「韓国映画における空間と身体の政治学」がとてもおもしろかったのでご興味ある方はぜひご一読ください。本作についても詳しく書かれています。
さてこの『ハウスメイド』、ネタバレも気にせずざっとストーリーを書いてしまうと、チョン・ドヨンさん演じる主人公ウニが家政婦の面接を受け、金持ち家族の邸宅に住み込みで働き始めるところから幕を開けます。ウニはそれなりにうまくやっていくのですが、あるとき主人に誘惑されて関係を持ち、結果として妊娠してしまいます。それをいち早く嗅ぎ付けたのが一家の女たち。秘密裏にウニを流産させてしまうのです。
観ている側の感情の動きとしては、まず「お、これはエロいですね」という序盤。つくづく韓国映画の濡れ場は思い切りがいいです。しかし徐々に事態はどろどろしてきて、ショッキングな流産描写のあたりではだいぶげっそりな気分に。マタニティホラー的トラウマ映画の悪寒に震えていると、もうおそらく比較的終盤と思われる頃に主人公ウニが「復讐をする」と言い出します。今から復讐? そんな時間あるのか??
少ない残り時間で主人公がとった復讐の手段、それはさて何だったのでしょう〜〜ということで、結末だけは書かないでおきますね。ヒントは、エグくて最悪。
でも結末を書かないと感想が書きづらいので、以下はネタバレします。
結末ネタバレ感想
これはきつい。前述したユリイカの記事を読んで、家が燃えて終わることは知っていたのですが、どう燃えるのかは知らなかったんですよね。そんな燃え方かい、っていうか燃えるのそっちかい。ただでさえ『ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)』級なのに、ダメ押しの焼身でトラウマはマシマシ。スプリンクラーがかえってエグい。
復讐ってやっぱりどこか勧善懲悪的スカッと感を期待してしまうので、そこが欲求不満に終わってしまったときの後味の悪さったらありません。無論、後味の悪さというのもまたひとつの魅力になり得るので欲求不満イコール不満でもありません。
ところで鑑賞中ずっと気になってたのは「彼女(ウニ)、何を企んでいるんだ??」ということで、例えば彼女、自室で休んでるときは必ずノートパソコンを開いているのです。何を見ているんだ?と。これは絶対に回収されるはずだ、と。しかし全く回収されないんですよね。ただ見てただけ。
でもこれってもしかすると偏見かもしれなくて。『パラサイト』の系譜的な作品として観ていたせいもあり、要は「どんな魂胆で庶民が金持ちの家に寄生してんのよ?」って目で「家政婦」を見ちゃってたってことですよね。よくよく考えたらわたしだって自室で休んでるときはおおかたノートパソコン開いてるわい、と。本やスマホ見てるのと別段変わりませんからね。そこに魂胆があると考えるほうが、なんならちょっとおかしい。
ここで突然ですがイム・サンス監督のインタビューをウェブ記事から一部引用させてもらいます(太字はわたしが「いいな」と思った部分)。
「この映画は、テレビの連続ドラマのような、ありふれた題材を扱っています。私にとってこの映画は、ありふれた物語を一瞬たりとも緊張を緩めずに、いかにして最後まで撮るかという挑戦でした。事前に、ヒッチコック監督のサスペンスを観て研究しました。おそらく集中力を逃さない作品に仕上がったと思います。また、官能的な作品でもあります。さらに、2010年における韓国社会の重要な問題も取り扱っています。資本主義社会の中で見られる、お金のある人がない人に対して侮辱する行為も描いています。いろいろな切り口があるので、皆さんの好みでご覧ください」(ASIAN CROSSING:インタビュー:『ハウスメイド』イム・サンス監督)
これを読むと、「回収されない伏線」こそがこの映画のミソなのかなと思いました。ウニが妊娠した際、金持ちの家族たちは「絶対こいつは何か企んでやがる」と思い込んでいたけれど実際はそんな大それたことはなくて、悩んで苦しんで選んだ「復讐」の方法も捨て身の焼身自殺でしかなかった、そんな普通の(ちょっとマイペースで人並みに性欲が強いだけの、ぐらいの注釈は入れたい)人だったのだ、という回収されない伏線。緊張だけを生む、思い込みだけの伏線。映画の技法としては巧いし、お話としてはなんとも嫌〜〜な感じです。
引用したコメントからもう一箇所、「皆さんの好みでご覧ください」というところ。ユリイカの記事では本作の結末から「メイドの死はなかったことにはなっていない」と広義の希望を読み取っている(ように読んだ)のですが、個人的にはあのラストシーンはかなり絶望的に見えました。ウニが希望を託した少女も、あんな託し方じゃいい方には転ばない気がするのだよなあ、結局ウニの死は何ひとつポジティブなことを生まないだろうなあ、と。わたしの「好み」としては、そういう解釈です。
(2020年195本目/PrimeVideo)
チョン・ドヨンさんの「深津絵里といとうあさこを足して割った感じ」がすごくすごく良かった。ずっと深津絵里じゃないところがいいんだよな。掘り返してみたら2年前に『初恋のアルバム〜人魚姫のいた島(2004)』という作品でチョン・ドヨンさん拝見してたんですけど、なにやらこのとき“予感”があったみたいですね。チョン・ドヨンさんがですね、たいへん好みです。塩顔女性が好きなもので、そういう意味じゃ韓国映画って沼だな…と危険を感じ始めています。女優さんで韓国映画もう少し掘ってみようかな〜〜ハマる予感がしてきたな〜〜。(初恋のアルバム 〜人魚姫のいた島〜(2004) - 353log)
きみ、2年ぐらい後にハマったよ。あときみ、ここでも「回収されない伏線」に噛み付いてるね。