パク・チャヌク監督作品「サイボーグでも大丈夫(2006)」雑感|B級だけどちょっといい話
パク・チャヌク作品集中履修、だいぶ進んできました。今回は2006年公開の『サイボーグでも大丈夫』を鑑賞。不思議なタイトルですが原題もそのまんまです。なお『サイコだけど大丈夫』という似て非なる(はずの)韓国ドラマがありますね。何か関係あるんでしょうか。
監督は本作と、続く『渇き(2009)』、さらに続く『イノセント・ガーデン(2013)』の3本を「人間ではない存在の三部作」として製作したのだそう*1。『イノセント〜』は未見ですが『渇き』はヴァンパイアのお話で、本作はタイトルの通りサイボーグのお話となっています。
さて、これはなかなか異色作です。それまでのフィルモグラフィーとはがらりと作風が変わっており、是枝裕和監督のやはり異色作『空気人形(2009)』を思い出しました。『空気人形』はペ・ドゥナさん扮する「ダッチワイフ」が心を持ってしまう物語。まさに「人間ではない存在」ですし、シュールでナンセンスな空気感も通じるところです。空気感というところでは最近観たドラマ『保健教師アン・ウニョン』的でもあるかなと思います。
あらすじ
舞台は精神病院。といっても、実害の少ないレベルでネジが外れてしまったような、ちょっと変な人たちが入院しているところ。そこに新しく入ってきたのがサイボーグ少女のヨングン(イム・スジョン)。サイボーグだから話相手は蛍光灯や自販機だし、食事時には乾電池をペロペロと舐める。でも最近元気がないみたい。
じつは彼女、サイボーグなんかじゃなかった。自分をサイボーグだと思い込んでいる、ただの人間の女の子だった。だけど思い込みはそう治らない。人間のご飯を食べたら故障すると思ってる。そんなわけで機械技師のイルスン(チョン・ジフン/RAIN<ピ>)は「ご飯を機械用のエネルギーに変換する装置」を開発し、彼女の背中を開けて埋め込んだ。と思い込ませた。思い込んだ彼女はおっかなびっくりスプーンを口に運び、ごくりと飲み込んだ。めでたしめでたし。
※公式のあらすじがすごく良かったので負けじと物語調に書いてみた。
雑感
はい、そんなお話です。どこまで冗談でどこまで本気なのかわからん感じなので、ああ、本当にサイボーグのお話なのかな〜と思いながら観ていて。そのうち彼女、10本の指をマシンガンにして病院内で大殺戮を始めるんですよ。タランティーノ×ロドリゲスの『プラネット・テラー in グラインドハウス(2007)』的な“最高”がそこにあります(あ、こっちのほうが後ですね。本作が『プラネット・テラー』に繋がっている可能性も十分に有り得る)。
ですが終盤、とっちらかったナンセンス感がちょっとだけマジな顔を見せてくるといいますか、あ、そういうわけでこの子はサイボーグしてるんだと。妄想性の拒食症だった患者がみんなの支えでついにご飯を喉に通すという突然の感動エピソードで謎にじ〜んとさせられて終わります。あれ、こんな映画だっけか……??
『プラネット・テラー』の感想に「超B級ネチョネチョ案件から一転、ちょっと『いい話“風”』になる」と書いてあって、ネチョネチョではないけど、そこんとこも通じるなあと思ったのでした。
ここに挙げたような作品たちが好きだったり嫌いじゃなかったりするような方は観てみてもいいんじゃないでしょうか。ぐらいのプッシュ度です。ちなみに監督曰く「これは断じてB級映画ではない」そうです。
(2020年194本目/TSUTAYA DISCAS)
このキービジュアルに騙されてはいけない(わりかし騙された)。ところで、パク・チャヌク組の超常連オ・ダルスさん(藤井隆みたいな顔の人)が、見れば見るほど好きになっちゃうんですよね〜。本作でのキャラもすごい好き。申し訳なさのあまり後ろ向きにしか歩けないとか。あ、『ザ・クラウン』のシーズン4が始まったんでした観なきゃ(宮廷歩き)。
- 作者:パク チャヌク
- 発売日: 2007/09/01
- メディア: ムック
*1:追記:インタビューを漁っていたら、「人間ではない存在の三部作」とは冗談交じりに言ったことだったらしい? こちらの記事より引用→ 「チャヌク監督は主題の継続性を否定した上で、「さかのぼること『サイボーグでも大丈夫』(06)、『渇き』(09)、そして『イノセント・ガーデン』の三作は順番として連続しているので、半分冗談で"人間ではない存在の三部作"と皆の前で言ったことがあります(笑)」と、"復讐三部作"に続く新章の幕開けを宣言!」