『春原さんのうた(2021)』杉田協士監督の過去作『ひとつの歌』と『ひかりの歌』を、いずれもポレポレ東中野の特集上映にて観ました。
『ひとつの歌(2011)』
こちらの鑑賞日は、日中に聖蹟桜ヶ丘の「キノコヤ」さんというカフェを訪ねました。『春原さんのうた』に登場するお店で、映画そのままの雰囲気と桜が素晴らしかったので、探訪記事のほうも是非あわせてお読みください。そして夜は杉田監督作品の特集上映へ。ポレポレ東中野さんに行くのはじつは今回が初めて。中央線沿いのこのあたりって妙な精神的距離があって一歩踏み出せずにいたのですがようやく打破しました。東中野の夜桜も見れて、今日はツいてる。
『ひとつの歌』は、『春原さんのうた』と非常によく似た作品だと思いました。『春原さんのうた』には金子岳憲さん演じる「バイクのおじさん」が出てきますが、『ひとつの歌』ではその金子さんを主演に据え、「バイクおじさん」の若い頃を描いたような作品になっています。バロバロうるさいビッグスクーターの音がすると彼が現れる。その感じが全く同じで可笑しかったです。
そして『春原さん』同様とにかく喋らない。説明がない。これはどういう状況なのだろう、と頭のフル回転を強いられるシーンが長く続きます。それでいて最終的には、喪失と再生の物語であることが見えてきます。また杉田監督は一貫してスタンダードサイズを使用しており、2011年の作品も2021年の作品も同じアスペクト比であること、これも連作のように感じられる理由でしょう。
これまでシネスコサイズなど横長な画面のほうがスタイリッシュで好ましいと思っていましたが、今回、次の『ひかりの歌』も含めてスタンダードサイズの作品を連続で観たことによりスタンダードサイズの魅力に気付かされました(そんなわけで写真もトリミングしていません)。特に、映画館で観たときの「大きい真四角を観ている」感じはすごく独特でした。
それからそうそう、日中に聖蹟桜ヶ丘の川沿いを散歩していたおかげで気付いたことですが、「キノコヤ」さん近くの風景が度々登場するのですね。
あとはなんだろう、杉田監督は濱口竜介監督と親しくされているようなのですが(『春原さん』のパンフに素敵な写真が!)、駅や電車の使い方に通じるものがあって、なんかすごく納得の作品でもありました。終盤のほう、主役の男女が夜の屋外で会話をしていて、しばらくして電車が画面に突っ込んでくることでそこが駅のホームだとわかる画作りとか、痺れました。
昨晩の『ひとつの歌』トーク回にご来場くださった皆さん、ありがとうございました。『河の恋人』からずっと私の監督作の音を作ってくださっている黄永昌さんと人前でお話しするのは初めてで、とてもありがたい時間でした。タケも飯岡幸子さんも大川景子さんも駆けつけてくれて、たのしい夜でした。 pic.twitter.com/oU6hZ0HtbH
— 杉田協士 (@kyoshisugita) 2022年4月3日
上映後のアフタートークでは、杉田監督と音響の黄永昌さん、それに急遽、主演の金子岳憲さんが進行役としてご登壇。監督と黄さんがとにかく低体温で(笑) こんなに静かな舞台挨拶は見たことがないぞという感じでしたが、徐々に熱を帯びてきて、いろいろと貴重なお話を伺うことができました。ちょっとメモしておきます。
尺の編集が仕上がったところで監督は黄さんに「音」をお願いする。そこから先は黄さんの解釈も入ってくるため、仕上がった音を映像に当ててチェックしたとき監督自身も驚きがある。
『春原さんのうた』で「おかっぱ頭の女性(春原さんと思わしき人物のことを、そう監督は呼んでいた)」の映るシーンにだけ秒針の音が入っている。これは黄さん独自の解釈と演出であり、監督は関与していない。
黄さん曰く、仕上がった音についての感想を「よかったです」程度しか監督から聞かないのでちょっと心配なところもある。それに対して監督は、言葉にしてしまったらおしまい(野暮)な繊細な部分なので、なかなか普段は言語化して感想を述べることが難しい、と回答。
電車の撮影などは基本的にゲリラ。音声に関しては役者のピンマイクとカメラマイクを中心に組み立てる(黄さん曰く、映像の視点といちばん近いカメラマイクは重要な音声。なるべく生かして使っている)。
駅のホームでじゃんけんをしている女子高生はエキストラ。エキストラの使い方が変だとよく言われる。
「TwitterのDMを開放しているのでそこに質問を送ってください」という独特な質疑応答スタイルも面白かったです。「残り時間5分」から盛り上がり始めるマイペース、なるほどこの監督にしてあの映画あり、なのかもしれません。
『ひかりの歌(2019)』
こちらは翌日にやはりポレポレさんで鑑賞。『ひとつの歌』を観たことで他の作品も観たくなってしまい、日曜の夜回はちょっとなあと躊躇しつつも結局行ってしまいました。悔いなし。
『春原さんのうた』同様に「短歌」を原作とした作品なのですが、4首ぶん4話から成るオムニバスなのが本作の特徴です(少しずつ重なる群像劇なのもよい)。濱口竜介監督は最新作の短編集『偶然と想像(2021)』制作時に本作に勇気づけられたのだとか。
本日、京都みなみ会館では『偶然と想像』と『春原さんのうた』のハシゴ鑑賞ができるようです。両作ともに飯岡幸子さんによる撮影です。
— 杉田協士 (@kyoshisugita) 2022年4月3日
濱口竜介さんは『偶然と想像』の準備期間に『ひかりの歌』(来週上映)をご覧になって、オムニバス長編として勇気をもらったと何度か伝えてくれたご縁もあります。 https://t.co/1VavniVNcK
ここまで『春原さんのうた』『ひとつの歌』と続けて観てきたわたしはてっきりその「語らなさ」が杉田作品全てに通じるところだと思っていたため、本作でまず驚いたのは「めっちゃ喋る」ことでした。とにかくよく喋る! イコール「語っている」わけでもないのですが、ただ作品の印象としてはだいぶ違うものになっており意外でした。監督のことがわからない。
そんななか、前述のアスペクト比はもちろん、「肝心なものが見えない」カメラアングルなどは変わらずで、嬉しいというか可笑しいというか。開始早々「見えねえ!」と喜んでしまいました。わからないと思いきや、やっぱりわかりやすい作家性、わからないなりに、すき。
さて、『春原さんのうた』以来、短歌というものに惹かれております。本作ではまず1首目〈反対になった電池が光らない理由だなんて思えなかった〉。ここからうっすらとクィアな物語に膨らませているところがとても興味深いです。電池の向きは決まっている。そうでなければいけないことになっている。「正しい」とされる向きでないと光らない。思えば思うほど、なるほどそうとしか見えなくなってくる一首です。
2首目〈自販機の光にふらふら歩み寄り ごめんなさいってつぶやいていた〉。これは世界に誇るジャパニーズカルチャー自動販売機をこれでもかと神秘的に切り取ったカットがお見事です。超くだらない歌詞をやたら上手に歌う謎ユニットのくだりが最高に面白かったけど、おっさんアンタはちょっとそこに座んなさい(あのおっさんが『春原さん』の「日髙さん」と同一人物とはにわかに信じ難い)。
3首目〈始発待つ光のなかでピーナツは未来の車みたいなかたち〉。小樽を舞台にしたささやかなビフォア・サンライズ。お話としていちばん好きかもです。わたしも旅先でダウンジャケットもらったことあるなとか。ひとりで行った小樽駅のホームはなんか寂しかったなとか。カメラの巻き上げ?の音がやたら小気味よく録れてるなとか。
4首目〈100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る〉。これ、この日は雨だったんですけど、よかったら雨模様の本日にと監督がツイートしてたのが決定打になって行くことにしたのですよね。ビニール傘越しの夜景ってわたしも好きなので。実際観てみるとそこはちょっと取ってつけたような印象も受けてあまりストライクではなかったのですが(主人公たちの年齢が自分に対して高めなのもあると思う)、なんにせよ求心力のある短歌です。
そういえば監督のインタビューで、登場人物のなかに「被災地にいた設定」の人物が一人いるとあったのですが、この話の彼なのかなあ。わたしはちょっとそこまで読み取る力がありませんでした(ムショ上がりなのかとか思っちゃった)。ポレポレ東中野での『ひかりの歌』の上映は本日を入れて残り2回になります。20:30の回です。
— 杉田協士 (@kyoshisugita) 2022年4月3日
100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る
沖川泰平/第4章原作短歌
雨模様の本日に、よろしければどうぞお越しください。 https://t.co/yxfOG1ZjgK
というわけで、突然に連日ポレポレった話でした。またポレポレりたいです。
(2022年60・63本目/劇場鑑賞)