大林恭子さん・千茱萸さんとお会いできた夢のような日〜深谷シネマ「海辺の映画館」初日舞台挨拶にて〜
埼玉県深谷市の映画館「深谷シネマ」さんにて、大林宣彦監督・永遠の最新作『海辺の映画館─キネマの玉手箱』を観てきました(3回目)。2020年7月31日に封切られた映画ですが、深谷シネマさんでの上映はこの10月18日が初日。大林監督が名誉館長を務めていらした劇場でもあるということで、待望の初日に舞台挨拶が企画され、監督の奥様であり長年の共同製作者である大林恭子さんが登壇されることになっていました。
じつは今回、コロナの煽りで舞台挨拶らしい舞台挨拶をまだ一度もできていなかったという本作。全国公開から2月半ほどが経ってしまったこのタイミングで、ついに「初の舞台挨拶」と相成りました。そんな場に立ち会えたわたしは幸せです。
この記事では、深谷シネマさんのこと、舞台挨拶のこと、そしてサイン会で恭子さん・千茱萸さんとお話できたことについてたっぷり書いてゆきます。
酒造の映画館─深谷シネマ
深谷シネマさんは、古い酒蔵を改装した風情ある映画館。到着するや出迎えてくれたのは、この巨大な手描き看板でした!
あとから知ったのですがこの看板を描かれた方は、『海辺の映画館』劇中の映画館「瀬戸内キネマ」館内外に貼られているいくつもの映画ポスター(様々な名作のパロディになっている)と同じ絵師さんなのだそうです。パンフレットをお持ちの方はp19-18をご覧いただければ、「深谷シネマ」の名前がそこに。
館内はコミュニティカフェのような、ログハウス調の待合室が印象的。だいぶ早く着いてしまったのですが、神奈川から来たと言うと親切にいろいろお話ししてくださったりして、嬉しかったです。
上映前には館長(館長の竹石さんは『海辺の映画館』エンドロールの最後にお名前が出ています)から「残念ながらこれが遺作となってしまいました」「過去作の追悼上映などはしていく予定ですが、これがひとつの区切りにはなると思います」と、神妙なアナウンス。そして突然ひとりの青年が紹介され、……って主演の厚木拓郎さんっ!! さっき待合室で目の前にいらしたけど(関係者っぽいなとは思っていたのだけど)全然気付かなかった……!
厚木さんは普通に客席で鑑賞されていたので、上映中は「劇中の客席に厚木さん、現実世界の客席にも厚木さん」というウソから出たマコト案件が発生していました。深谷シネマさんの規模がまた劇中の瀬戸内キネマと近くて、リアリティあったなあ……。なお2月半ぶり3回目の『海辺の映画館』は、またしても理解の追いつかない映画に戻っていたという感想を持ちました。底知れぬ作品です。
夢のような時間その1
さて、上映が終わり、お楽しみの舞台挨拶へ。まずは大林恭子さんとご息女の千茱萸さんが一緒にご登壇。ここまでは想定内。続けて「常盤貴子さんです」えええ?! ええ?! これには客席も素直にどよめきます(わたしも素直な興奮の気持ちとして、うわ常盤貴子だよマジかよ、って思いました)。最後に厚木さんと館長の竹石さん、計5名が登壇となり、前情報と違いすぎる豪華な(言うまでもなく、恭子さんにお目にかかれるだけでも十分に豪華なのですが)「初日舞台挨拶」が完成。びっくり。
しかもさらにサプライズは続き、深谷市の市長さんがひょこっと登場!「コロナ禍で不要不急という言葉が流行ってしまったが、むしろムダこそが人生だろう」などと熱弁しておられたでしょうか、いい市長さんのいる町だなあとうらやましくなりました。前日に『この空の花』のドキュメントを観ていたわたしが連想したのはもちろん長岡の市長さんです。全国津々浦々舞台挨拶についてきて、必ず主題歌を熱唱していくという長岡市長。監督と地域の非常に密接な結びつきを、深谷にも見ました。
今度こそ舞台挨拶がスタート。最初のひとことは恭子さんからでしたが、舞台上の印象としては恭子さんだいぶお元気をなくされてしまっているように見え、ご本人も何度か「歳を取ってしまって…」とおっしゃっていて、なんだかつらくなってしまいました。さらには消え入りそうな声で「大林もここに来てるんですよ」なんて言い出すものだから劇場全体の涙腺がギュッとなりましたよね。いかんいかん、堪えろ堪えろと。しかしです、ふと舞台に目をやると、常盤貴子さんが早くもうつむいて決壊しているじゃありませんか。これによりまたしても劇場全体の涙腺、もう堪えなくていいモードに切り替わったのでした。常盤さんありがとう。こんなに泣いた舞台挨拶は初めて。
恭子さんも俳優陣も客席も感極まるなか、自分だけはしっかり保つぞと背筋を伸ばす千茱萸さん。恭子さんに代わっていろいろと話してくださいます。今回コロナがなければ、この映画をもって全国みんなでまわっていく予定だったし、海外の映画祭からも招待されていた。「全部なくなってしまって……」と。ただでさえ監督が亡くなられた悲しみがあるというのに、その最後のメッセージである最新作を公開することもできず、ファンと交流することも叶わずただ待ち続けた二重苦三重苦の数ヶ月間。どれだけ苦しくもどかしかっただろうと、あらためて思いました。今日こうして深谷にみなさんが集まってくれると知ったら、どんな状態にあったとしても監督なら「おれは絶対行く」と言うはずです(つまり恭子さんの言うとおり間違いなく「ここに来ている」)、とは千茱萸さんの談です。
パンフレットの開いたところに「ねえ映画で僕らの未来変えて見ようよ!!」という監督直筆のメッセージが印刷されていますが、これは亡くなる10日前(「2020.4.」まで書いてあるので4月1日でしょうか)に千茱萸さんに宛てて書いてくれたものを大急ぎで使ったのだとか。この話をする際にはさすがの千茱萸さんも、「字って、書けなくなっちゃうんだな……って」と言葉を詰まらせていました。
面白かったのは、主演のわりに影が薄くなりがちな厚木さんをプッシュしていく千茱萸さん。なんでも厚木さんは『マヌケ先生(1998)』のオーディションで当時キャスティングディレクターだった千茱萸さんによって1,000人ほどの子役から選ばれたスーパーボーイということで、千茱萸さん的にかなり思い入れが強いみたいです。「もっとアピールしなさいよ!」とけしかけていました。それにしても千茱萸さん、司会進行の感じが監督にすごく似ていて、親子ですね。
記憶が曖昧であまり事細かに書けないのですが40分弱の舞台挨拶はとにかくあっという間に過ぎてしまい、夢のような時間その1終了。しかし、嬉しいことに恭子さんのサイン会が公式に用意されていたため、夢のような時間その2が間髪入れずやってきます。
夢のような時間その2
一体なにをお話ししたものか、溢れる気持ちをどうにか整理できたかできてないかくらいのところで順番に。ご挨拶をすると、恭子さんはこれ以上ないほどの温かい口調で「ありがとう」と言ってくださり、ご時世的に握手はできないけれどまるで両手で包み込んでもらったような、とにかくものすごく大きく温かいものを感じました。この温かさが「大林組」を繋げていたのだと確信しました。
わたしは長年のファンではないのでそのことを中心にお話ししました。監督が亡くなられてから監督の映画に初めて触れたこと。そうしたらものすごく好きになってしまって、この半年間ひたすら観れる限りの作品を観てきたこと。あらあらそうなの、と驚かれていましたが、「監督の映画、いっぱいありますから、これからも観てあげてくださいね」という旨のことを言ってくださったように記憶しています。最後に「若いファンが増えましたよ、と監督にお伝えください」とお願いして失礼しました。
なお舞台挨拶ではだいぶ消沈されているように見えてしまった恭子さんですが、このときは全くそんなことを感じさせない、イメージどおりのお元気な恭子さんだったように思います。お会いできて本当によかったです。
ふわふわした気持ちで外へ出ると、ちょうど千茱萸さんがいらっしゃったのでつい欲を出してしまいました。すみません、初めまして、千茱萸さんにもサインお願いしていいですか…? 快く受けていただき、大林家お三方のサインが入った家宝が出来上がりました。というのもじつは前述したパンフレットの大林監督のサインの隣にさきほど恭子さんからサインをいただいており、千茱萸さんにも同じページに入れていただいたのです。帰宅後すぐ額装して飾ってありますが、今見ても現実味のない、夢のようなサインです……。
千茱萸さんにはまず「京都国際映画祭の大林監督特集、全部観ました!!」というご報告から(千茱萸さんがプロデュースされていた特集で、この日はまさにオンライン開催の会期中だった。詳しくはこちらの記事からどうぞ)。「えぇ、6時間のやつとかもあるのに」と若干引かれてしまいましたが(笑)、「はい! 6時間のも全部観ました!」と強火オタクっぷりをアピールしてきました。でもこの特集、かなり千茱萸さん奔走されたはずですから、直接お会いして強火のお礼をできたのは良かったと思っています。
それから恭子さんにお話ししたのと同じ「にわかファン」のエピソードもお伝えしたところ、「監督の映画の魅力を若い人たちにぜひ伝えてくださいね」と千茱萸さん直々に使命をいただいたので、気持ち新たにこれからもこのブログでは大林監督のことをいっぱい書いていきたいし、しつこく推していきたいです。
ご友人の方の記念撮影をお手伝いした流れで、千茱萸さんとは写真も撮らせていただきました。一度はしてみたかった「アイ・ラブ・ユーのハンドサイン」をぎこちなくしながら久しぶりにマスクを外した満面の笑顔で写っている自分が、これもやはり現実味のきわめて薄い一枚……。
そんなわけで、すっかり全身の力が抜けた状態で深谷シネマさんをあとにし、ぼんやりと電車に2時間半揺られて神奈川まで帰りました。
大林監督のことを知っていくにつれ恭子さんも千茱萸さんも「大林宣彦」の一部であると強く思うようになっていたので、今回このようにして最高のかたちでお二方とお会いすることができ、お話しすることができ、本当に嬉しかったです。また、お別れ会とまでは言わないまでも実際にみんなが顔を合わせて泣いたり笑ったりできる温かい時間がようやく少し実現したんですよね。それも嬉しいです。
恭子さん、千茱萸さん、この日は貴重なお時間をいただきありがとうございました。これからも大林監督の映画をいっぱい観て、いっぱい伝えていきます。