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映画「帆花(2021)」感想|生後すぐ“脳死に近い状態”と宣告された少女が小学校に上がるまでのドキュメンタリー

だいぶご無沙汰してしまいました。個人的繁忙期を抜けたので、溜めていたあれこれを思い出しながら書いていきます。まずは先週シネマ・チュプキにて観てきた『帆花(ほのか)』というドキュメンタリーから。


映画「帆花」ポスター
映画「帆花」ポスター


このドキュメンタリーは、生後すぐに「脳死に近い状態」と宣告された西村帆花さんと、彼女と共に暮らしてきた家族や周囲の人たちなどを捉えたものです。監督・國友勇吾さんは、密着取材を終えてから7年近い歳月をかけて本作を完成させたといいます(そのあたりの経緯は公式サイトのインタビューに詳しいです)。

まず最初にショックを受けたのが、帆花さんは生まれる直前まで順調に育っていたということでした。

帆花さんは2007年に生まれた時、へその緒の動脈が切れて脳に十分酸素が届かなくなる低酸素脳症となった。

「妊娠は順調で、陣痛が来るまではお腹の中で元気に動き回っていました。(後略)

脳死に近い状態の娘、帆花さんと14年間暮らしてきて知った命の姿

そんなことがあるんだ、と思いました。この導入だけで「他人事」ではなくなる作品です。また、非常に乱暴な言い方をすると「一見して意思を持っていると思えないような子供を延命させている」とも感じかねない本作の内容ですが、その点についても冒頭でストレートに触れられており、無知ゆえの怪訝を軽減した状態で観ていける、優れた構成のドキュメンタリーとなっています。

「一見して判断する」ことは「無知」と同義なのかもしれません。本作では帆花さんが生まれてから小学校に入学するまでを見ることができますが、はたから見ても確実に帆花さんは成長している。たった2時間の映画でそう思えるのであれば、6年間一緒に暮らしてきた家族はもっともっと彼女の機微を感じ取っている。世の中のそういったものを、わたしたちはつい「一見」で判断してしまう。きっとそれが戦争をも生む。

観ている最中に漠然と感じたのもやはり「これはコミュニケーションの話だ」ということでした。言語だけではない様々なアウトプットから機微を感じ取る。帆花さんの場合はモニター機器のアラームを鳴らすことによる意思表示なんていうものもあるんだそうです。

「あとはアラームを鳴らすのです。しょっちゅうではないですが、サチュレーションモニター(血中の酸素濃度を測る機器)を自分で鳴らします。トイレの時はほぼ鳴らしてくれるし、あとは嫌な時。いい時より、嫌だ、という時が多い」

「お腹を押しておしっこを出してあげるのですが、こっちが『もうやめちゃうね』と言っても、本人は出足りなかった時に鳴らしたり、数値を下げたりして、すっきりするとちゃんと100に戻してくれる」

脳死に近い状態の娘、帆花さんと14年間暮らしてきて知った命の姿

サチュレーションモニター語を会得してる家族、めちゃくちゃかっこいい、と思いました。

同時にぐるぐる考えてしまったのが、彼女は一体どれだけのことを知っていて、感じていて、思っていて、しかしアウトプットできずにいるのだろうかと。本作を通して彼女の成長や意思を確信できてしまった以上、そこに彼女本人のもどかしさを感じてなりません。

これは決して批判的な気持ちではなくて、普遍的な「言いたいことを言えない辛さ」を、一人の人間としての帆花さんに感じてたまらなくなったという意味です。本作を観なければ「一見、寝たきり」の人を見てそんなことは思わなかったことでしょう。知ることは大切。無知は危険。忘れないようにしなければ、と引き締まります。と言うのも、いくら映画から学んでも実生活に反映できない、後悔と自己嫌悪ばかりの日々だから。

本当に、いろんな気持ちで頭がぐらぐらする作品でした。映画館を「箱推し*1」していなければ、自分から進んで観ることはなかったであろう作品。観れてよかったです。

(2022年28本目/劇場鑑賞)

ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほか全国で公開中&順次公開。引用したBuzzFeed Japan Medicalによる前後編の記事はとても内容が濃く、鑑賞後のサブテキストとしておすすめします。

*1:【箱推し】ここ最近わたしはシネマ・チュプキでかかっている作品をなるべく全部観るようにしています。