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映画「パワー・オブ・ザ・ドッグ(2021)」感想|2回観てもなお戸惑う、怖い映画。

Netflix製作の映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を観ました。同じくNetflix製作の話題作『ドント・ルック・アップ(2021)』は早々と観たのですが、こちらのほうは西部劇(的ルック)でいまいち食指が動かなくて。でもアカデミー賞最多ノミネートとか言われちゃうと、やはりミーハーなので観ずにはいられませんね。


映画「パワー・オブ・ザ・ドッグ」ポスター
映画「パワー・オブ・ザ・ドッグ」ポスター


「西部劇(的ルック)」と書いたのにはわけがあって、ぱっと見た感じは荒野とカウボーイと、って感じの映画なんですけど、じつはこれ時代設定が1925年なんです。あと15年もすれば太平洋戦争が始まるってぐらいの近代なんですよね。だから蓋を開けてみると自動車とかも普通に走ってて、パリッとした紳士淑女と埃っぽいカウボーイが混ざってる、なんかちょっと幕末的な(?)、そんな設定のお話なのがおもしろいところです。

しかしこの映画、かなり地味なうえに、かなり先の読めない映画となっておりまして。仕事終わりの眠たい頭で、小さな画面で観るもんじゃなかった。映画館で観るべきだこれは。あまりの展開に困惑したのでわたし2回観てしまいました。

ネタバレ控えめに書いていきますけど、まず前半部。紳士的な牧場主の家に嫁いだら、お義兄さんがめっちゃネチネチ嫌味ったらしい粗野なカウボーイで……という嫁姑問題みたいなやつがしばらく続きます。嫁いでくる子連れ未亡人ローズをキルスティン・ダンストが、時代遅れなカウボーイのフィルをベネディクト・カンバーバッチが演じます。

さらに、非常に重要となってくるのが、ローズの一人息子ピーター。演じるコディ・スミット=マクフィー氏は、なんだろう、男版アニャ・テイラー=ジョイさんみたいな、「線は細いが強烈」な役者さん。いわゆる「男らしさ」からは対極にいる彼と、男性性の塊(のような)フィル、この二人が最悪なマッチングを見せるところから物語は始まってゆきます。

しかし後半ある出来事を境に、二人の間に通じ合う何かが生まれます。さながらクリント・イーストウッドがやはり「男らしさ」をテーマにした最新作『クライ・マッチョ(2021)』で描いていたような、マッチョと新世代の交流。心温まるヒューマンドラマ。なんだ、いい話なの?

いい話になってくると警戒心が解けます。静かな映画なので、眠くなります。うつらうつらとして、ちょっと時間が飛びます。そして大いに混乱します。「えっ?? 何があった??」。考えられるのは「つまりそういうことだった」ってことなんだけど、えっ、ここまで描いておきながら本当に「そういうこと」だったわけ?? えっ、怖っ。

もしかしたら大事なところ寝落ちて観てない可能性もあるんで、先に書いたとおりもう一回観たんですね。実際、観てなかったシーンもありました。でも「えっ??」てなったとこはそのままだったわ。あまりに急のことだったわ。怖っ。冷たっ。強っ。

というわけで、本作はなかなかの怖い映画です。ホラーでもサスペンスでもミステリーでもないけれど、心理スリラーってところなのかしら。観た後に「どういうこと?!」って語り合える相手がいればもっと楽しめるだろうなと思いました。

はみ出し雑感

  • トーマシン・マッケンジーさんがものすごい脇役で出てるのプッシュしたい。なんか一瞬「発展」しそうになるけどしないのがいい。ウサちゃんの耳ピョンコピョンコやるのかわいい(からの「ガーン」よ)。

  • ジュマンジから今に至るまでずっとキルスティン・ダンスト様への「好き」が揺らがないのは我ながら不思議である。

  • 前半部とにかく最悪なのが「ピアノ」にまつわるエトセトラ。あの「苛つく」ラデツキーから、地獄のリサイタルまで。もう、とにっかく、最悪。共感性羞恥で無事死亡。“歩く事典”じゃねえよ!(思い出し苛つき)

  • でも、ラデツキー・バンジョー・マウントのシーンは、それこそホラーかよ!って全力でツッコミを入れた。大いに笑った。ジェームズ・ワンの『インシディアス 第2章』で全く同じようなカット割のシーンを見たぞ。以降ちょいちょい出てくるラデツキーの口笛もホラーみがあってとてもいい。

  • じつのところ、あそこでマウントとってくるフィルは、羞恥じゃなく共感できるところがある。わたしはあのシーンからフィルが身近に感じたし、他人とは思えなくなった。わたしも同じようなことをやってしまうかもしれない。ローズよりは上手く、ギターでラデツキー弾ける自信があるから。

  • それで言うとわたし、前時代的で粗野な男性性にはもちろん抵抗があるけど、同時にフィルが嫌うような「男らしくなさ」に対しても共感してしまう部分があり(つまり、ピーターに苛つく)、それなりにマッチョイズムを持ち合わせているんだなと気付かされてしまった。そんな意味でもなかなかしんどい作品だった。

  • ジョージは勝手に知事だのグランドピアノだのと先走ってしまうあの感じもアレなんだけど、何より1時間ぐらいずっと「兄よ風呂入ってくれ」で悩んでるのが笑えてしまう。2回観ると、冒頭から思っきし気にしてるのがわかってより可笑しい。大自然の中で悩みが小さい。まあ兄も兄でロープへの異常な執着だったり、似たもの同士なのかもしれない。

  • 一度だけフィルがフォーマルな格好してるシーン、「既に死んでる」感じがして異様にゾッとする。髭を剃った顔もインパクトが強い。ていうか「似てる」。ああ……って腑に落ちる感があった。

  • ラスト、ピーターが手袋しつつあのロープをまじまじと触っているシーンは複雑でよい。決行できる冷たさと強さは持っていたけど、本当に心を通わせていた部分もあったのだと思う。いやどうなんだろう、わからん。あいつはわからん。

  • どんどん調子っ外れになっていた劇伴のプリペアド・ピアノ(なのかな、あれは。最終的には櫛カリカリさせてるような音になっていた)が、最後「外の二人を見てピーターが微笑む」シーンで再び正しい調律を取り戻しているの、怖い。バンジョーがいつの間にか劇伴から消えているのも寂しい。でもエンドロールで戻ってきたからちょっと嬉しかった。

  • ピーターにもジョージにも共感できる部分はあるけど、やっぱりいちばん共感できてしまうのはわたしの場合フィルだ。全てじゃないが、細部にわたって共感できてしまう。つらい。

(2022年26本目/Netflix

『パワー・オブ・ザ・ドッグ ジェーン・カンピオンが語る舞台裏』という短いメイキングドキュメンタリーも同時配信されているので、併せて観ると少しだけ後味が良くなるかもしれません。