今週末から公開になった韓国映画『KCIA 南山の部長たち』を観てきました。韓国では昨年の興行収入第一位を記録している映画だということですが扱っている題材は重く、1979年の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺事件についての作品です。
自ら築いた独裁的な軍事政権で長年権力を行使し続けてきた朴正煕大統領(パク・クネ大統領の父親ですね)は、任期中の1979年10月26日に宴席で暗殺されます。彼を撃ち殺したのは側近であるKCIA(韓国中央情報部)の部長でした。
主犯の金載圭(キム・ジェギュ)は事件後まもなく絞首刑に処せられてしまいます。そのため事件の詳細な真相は闇の中なのだそうですが、本作ではそのベールに包まれた部分を「事実に基づくフィクション」として描きます。
出演は、大統領を暗殺した腹心の「KCIA部長」役に、言わずと知れたイ・ビョンホン。彼の前任者であり退任後はアメリカへ亡命中の「KCIA元部長」役に、『哭声/コクソン(2016)』のクァク・ドウォン。そして朴正煕大統領役に『工作 黒金星と呼ばれた男(2018)』のイ・ソンミン、他。
予習として
こういう作品は背景を知らないと置いていかれることもあるので、普段よりしっかりめに予習して臨みました。まずは池上彰さんの『そうだったのか!朝鮮半島』で該当部分をチェック。Wikipediaの関連項目もざっとチェック。
それから、こういう新作はおそらく町山智浩さんが「たまむすび」で紹介してくれているだろうと踏み、予想通りだったのでこちらもチェック。映画の「背景」について知りたい場合はつくづく町山さんの解説が分かりやすくてありがたいのです。
後述しますがこの解説で本作と『アイリッシュマン(2019)』を町山さんが繋げてくれたことで、すごくイメージが掴みやすくなりました。
なおタイトルの「KCIA」は、韓国版CIA「大韓民国中央情報部」のこと。その本部がソウルの南山(ナムサン)にあったため、アメリカのCIAを「ラングレー」と呼ぶようにKCIAは「南山」と呼ばれ恐れられていたそう(町山さんによればナチスドイツのゲシュタポ的存在だったとか)。ちなみに南山とは、Nソウルタワーが立っているお馴染みのあの山です。
あ、あともうひとつ、「青瓦台(チョンワデ/せいがだい)」というワードがよく出てきます。予習が及ばなくてあとから知ったことですが、これは大統領官邸のことでした。
確かに「アイリッシュマン」だった
さて、ここからは感想。町山さんがこの映画と『アイリッシュマン』はよく似ている、と言っていたのですが、確かにこれ、韓国版『アイリッシュマン』と言ってもいいくらいの、手触りや噛みごたえまでよく似た感じの作品でした。
まず『アイリッシュマン』について、観た当時に書いたあらすじを引用しておきましょう。マーティン・スコセッシ監督による2019年のNetflix映画です。
1975年アメリカ、当時「大統領に次ぐ権力を持った男」とまで言われた大物ジミー・ホッファ(劇中ではアル・パチーノ)が失踪。その行方は未だわかっていない。しかし、長年ホッファの右腕を務めていた男フランク・シーラン(劇中ではロバート・デ・ニーロ)が、2004年に自らのインタビュー本において「自分が殺した」と告白。その書籍『アイリッシュマン』を原作として制作されたのが本作である。(「アイリッシュマン(2019)」映画と原作の感想 - 353log)
腹心の男に暗殺された権力者の話であるところ、事件の起きた年代、さらに本作においては「元部長」も「部長」の指示により暗殺されますし(史実的には「パリで失踪したのを最後に行方不明」。しかしKCIAにより消されたのは確実であるとされているそう)、大統領と部長&元部長は若い頃から親交があったという三角関係っぷりも『アイリッシュマン』のパチーノ、デ・ニーロ、ジョー・ペシのトライアングルを思わせて──と見事なまでに共通の要素を持っています(極め付けにはミ◯チまで!)。
特に強く共通しているのは権力に振り回された男たちの切なく悲しい物語であるという点で、ジャンルとしては「ハードボイルド・ブロマンス」、本作の場合は「ハードボイルド・ポリティカル・ブロマンス」と言ってもよさそうです。まあとにかく切ない。
朴正煕大統領というと歴史後追いの身としては独裁者のイメージが強くて、少なくともいいイメージは持っていなかったのですが、本作ではそういう面も当然描きつつ、DV夫のごとく「憎めない」一面も時々ポロッと出してくる作りになっていて、そこが切なさマシマシでした。
「昔よく飲んだよな」と「マッソ(マッコリ×ソーダ)」なるお酒を作って飲んで「こんな味だったっけ……」と漏らしてみたり、日本統治下の若い頃を思いながら「昔はよかった」と(日本語で!)ボヤいてみたり。なんだなんだ、いきなり弱いとこ見せてくんなよ、殺せないじゃないかよ。盃を交わしながら部長もそう思っていたはず。イ・ビョンホンもイ・ソンミンも演技が沁みるのだわ……。
そんなツンデレを経たクライマックスの「決行」シーンでは、フィクションらしい色付けではあるのでしょうが最後に友としての忠告を包み隠さず吐露し、それでも聞かないというならいっそ楽にしてやるから「死ね!」と愛の一発、二発。ああ切ない。切なすぎる。カタルシスは、ない(警護室長には、ある)。
さらにその後史実では、哀しいかな政権はまたしても独裁者たる全斗煥(チョン・ドファン)の手に渡り、あの「光州事件」などに繋がっていくわけです。なんという……って感じ。言葉が出ない。
また、切なさのみならず緊張感も尋常ではなく、唾を呑み込む音すら劇場に響いてしまうような、心臓の音が聞こえてしまいそうな、クライマックスは特にそんな緊張感がピシィッと張り詰めており印象的でした。なかなかあそこまで集中して映画を観れることはありません。この頃には正直「ハードボイルド・ブロマンス」などという浮かれたワードは頭から飛んでいました。まあ書くんですけど。
光州事件を描いた『タクシー運転手 約束は海を越えて(2017)』、そこから繋がっていく民主化運動の顛末を描いた『1987、ある闘いの真実(2017)』などと並び、これから韓国近代史を語る際には本作のタイトルも間違いなく挙げられることでしょう。韓国映画の底知れなさがますます塗り替えられる大傑作『KCIA 南山の部長たち』、素晴らしかったです。
(2021年19本目/劇場鑑賞)