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映画「キャリー(1976)」雑感|ホラーテイストで痛烈に“いじめ問題”を描いた作品

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ひたすら日本の戦争映画を観ていた流れから「何故!!」っていうような『キャリー』観ました。ブライアン・デ・パルマ監督による1976年公開のホラー映画で、原作はスティーブン・キング。これもスティーブン・キングなのか……。

この作品、Netflixのドラマ『ノット・オーケー』を評する際の関連作品としてよく見かけたタイトルでした。先日テレビをつけたらちょうどMGMのライオンが吠えていて、キャリーと出ていたので反射的に録画。まあどこでも観れそうなやつだけど……と思いきや、全く配信されていないんですね*1。ありがたやWOWOW

ストーリーをざっくり言うと、いじめに遭っている女子高校生キャリーが超能力で怒りを爆発させるだけのお話(前述の『ノット・オーケー』も大体そういう話です)。

様々な出来事が積み重なってついに……というタイプの物語ではなく、「私はいじめられている」「まわりが全員敵に見える」「ちょっと救いが見えたかも」「やっぱりそんなはずなかった」「完」みたいな、非常にエピソードの少ない作品なんですが、それをどう100分に伸ばすか、っていうところが面白いなあと思いました。よくまあ「バケツが落ちるか落ちないか」をあんなスリリングに描けるもんだ。これに尽きます。

キャリーは「絶対これ罠だ」と思いつつも一抹の希望を抱いて出席したプロムにて、まさにその一抹を掴む、夢のような体験をします。この時のキャリーは本当に綺麗で可愛い。でもその頭上には豚の生き血がなみなみと入ったバケツ。まあ普通に考えて「そうなる」やつでしょう。しかしこの映画は「そうなる」までの至福のひとときを執拗に盛り上げて盛り上げて盛り上げて、スローモーションでめーっちゃくちゃ美しく撮るのです。

予想を裏切らず、執拗な盛り上げの先にキャリーは生き血を頭から浴びます。そしてその辱めは彼女の超能力を暴発させ、体育館は火の海に。さあ大変だ、ここからどんな復讐劇が展開されるのか! と思いきや、なんとこのタイミングで彼女の敵は全員死亡。あれっ?!と面食らっていると、ほどなくして映画はエンドロールに突入します。えっ早!!

そんなこんなでとにかくエピソードの少ない、一発勝負の物語。なんとも独特で、切ないホラーでしたねえ……。何が切ないってキャリーにはじつのところ味方が何人もいたわけなんですよね。夢のような体験も、あれは罠じゃなく真実だった。なのに数人の「いじめっ子」の愚行でこのバッドエンドです。また、直接的に関与していなかったとしてもそれはつまり──。いじめを描いた作品として痛烈なメッセージを感じます。

ところでこの映画、オープニングからもう名作の予感しかしません。すっぽんぽんの女子たちが行き交う更衣室を左から右へゆっくりと水平移動していくカメラと、妙に甘ったるい音楽。そして思わず鳥肌が立つシャワーシーン。これから何が始まるんだという静かな高揚感に満ちた、つい真似したくなるシークエンスです。

この場面を観て真っ先に大林宣彦監督の『瞳の中の訪問者(1977)』という映画を連想しました。公開は1年違い。女子更衣室的な情景とシャワーシーン、それこそ「つい真似したく」なって撮ったようなものにも見えます。当時の大林監督はハリウッドと日本の往復をしていた頃でしょうし、もしかすると関連性があるかもしれません。

そんなニッチなところ以外にも、超ベタベタに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』であるとか、あるいは『ゲーム・オブ・スローンズ』でデナーリスが炎の中から現れるシーンであるとか、そしてもちろん『ノット・オーケー』や『ストレンジャー・シングス』等々、本作からわかりやすく影響を受けている作品は多そうです。

さきほど甘ったるい音楽と言いましたが、言い方を変えればメロウでムーディ。およそホラー映画らしからぬ音楽であり、そこも本作に「切なさ」を感じさせる大きなポイントでしょう。音楽を担当したのはピノ・ドナッジオさん。モリコーネっぽいなあと思ってWikipediaを覗いたら、案の定「モリコーネを巨匠として尊敬している」の記述が。大林作品常連の作曲家・山下康介さんしかり、モリコーネリスペクトに溢れたソングライターが推定「モリコーネ寄せ」で書いた楽曲はどれもしっかり上質のジェネリックモリコーネ節で驚かされます。

(2020年137本目/WOWOW

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*1:配信ないと思っていたらU-NEXTにありました。さすが。しかもマイリストに入れてた(記憶にない)。