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主に映画の感想文を書いています

「ロマン・ポランスキー 初めての告白(2011)」雑感

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ローズマリーの赤ちゃん」「戦場のピアニスト」などで知られるロマン・ポランスキー監督の波乱に満ちた半生を、本人の語りで振り返る自伝的なドキュメンタリー作品。

鑑賞のきっかけは言うまでもなく「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」。あんな惨劇のあとに残されたポランスキー監督のことをもっと知りたいと思って、観ました。

※補足: クエンティン・タランティーノ監督の2019年公開作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」において、1969年にロサンゼルスで起きた「シャロン・テート殺人事件」が取り上げられました。カルト教祖チャールズ・マンソンの指示で、女優シャロン・テートら複数の男女が無差別かつ凄惨に殺された事件です。ロマン・ポランスキー監督は、その殺されたシャロンの夫でした。

進行役をつとめるのは、ポランスキーの長年の友人アンドリュー・ブラウンズバーグ。LAからシャロンの事件が知らされた際ポランスキーと共にいて、先に電話を取った人物、だそうです。

スイスのグシュタードにあるポランスキー邸(別荘)で二人は向かい合って座り、幼少期のことから話を始めます。この別荘がまた、すごいウッディーでお洒落なんだな…。

パリ生まれのポーランド人だったポランスキーは、不運にも第二次大戦でドイツの侵略が始まる直前にポーランドへ引っ越し、クラクフゲットーへ押し込まれます。幼かった彼はゲットーの時点で逃げて命拾いしますが、母親はアウシュヴィッツガス室行きとなりました。

この頃の経験をもとに撮られたのが「戦場のピアニスト(2002)」で、ポランスキー曰く、棺に入れるフィルムを一本選ぶならこれとのこと。未見なので近いうち観たいと思います。クラクフゲットーのことは「シンドラーのリスト(1993)」で観たのが印象的。あの中にポランスキーもいたのですね。

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生き延びたポランスキーは、かくかくしかじか映画制作の道へ。「ロマン・ポランスキーの吸血鬼(1967)」の撮影で出会った女優シャロン・テートと恋に落ち、結婚。「人生で一番輝いていた時期」とのことですが、あの事件が起きてしまいます。

事件当時、シャロンは妊娠中。ポランスキーは母親がやはり妊娠中にアウシュビッツで殺されたことから、妊娠に対する恐怖心がありました。「妊娠が悲劇でしかないような時代に僕は育ってきた」と語り、「シャロンの妊娠で僕も普通の生活を送れる気がした」とも語っています。

このくだりでは、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でマーゴット・ロビーが演じていたままの、幸せそうに日常を送るシャロンの動く姿をドキュメンタリー映像として見ることができ、なんともいえない気持ちになります。

以降の詳細はここでは省くとして、ポランスキー、あまりに不運な人です。運悪くポーランドに帰ってしまい、運悪く「テリー・メルチャーが住んでいた家」を買ってしまい…。ホロコーストの被害者というだけでもうこれ以上の不運があってはならないのに、その先に待つ人生があまりにも…です。映画監督としての成功で釣り合いが取れるものでもないでしょう。

さらには不運とは言えない淫行事件も起こしてしまい、2009年には「生涯功労賞」を受け取りに行ったスイスで逮捕されるとかいう人生。その時期に「そろそろ振り返ってみない?」と言われて撮ったのが本作…。よく今まで生きてますよ、この人…。ちなみに今は再婚して今度こそ子供もいます。アカデミーからは除名されたらしいですが…。

終盤にポランスキーが語った、彼が言うからこそ印象的な言葉。「僕は楽観主義者だ。瓶が半分カラでも残りの半分を見る」。もちろん真似しちゃいけない部分も多々あるわけですが、この考え方は見倣いたいものだと思いました。

最近よく知るようになったところだと「プレイボーイ」のヒュー・ヘフナー、映画監督ウディ・アレン、そしてロマン・ポランスキー。この時代を生き抜いてきた人たちのドラマはすごいです。

(2019年109本目)

今回はTSUTAYA DISCASの物理レンタルで観ました。