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主に映画の感想文を書いています

「ジョーカー(2019)」雑感

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話題作「ジョーカー」観ました。

ちょっと凄すぎる映画だったなと、とてもじゃないけれど感想を言語化できない映画だったなと思いました。

それでも一応の雑感

ホアキン・フェニックスの演技は、もはや「演技」を超越して主人公アーサー/ジョーカーそのもの。一体なにをそんなに笑っているのだろう……と思わずざわついてしまう冒頭部で彼を凝視したが最後、あとはもう嫌でも目が離せない存在に。

感情移入できたかと思えば次の瞬間にはあまりにも逸脱していて理解不能になったり、変質者を見るような目で見ていたかと思えば恍惚と崇めた目で見てしまう瞬間もあったり、彼に対する感情・評価がコロコロと変わっていくので落ち着けません。

没入感がありすぎて、ときには一種の不快感からくるような軽い吐き気や酸欠感を覚えることも。単におもしろいからという理由ではなく何故か大きく見開いて釘付けになってしまう目。脳裏をよぎる「時計じかけのオレンジ*1

また、どこまでが妄想なのかという揺らぎ。現実と妄想の境界線は判別できていたつもりだけど、終盤になって大きく覆されたりして。果たして劇中どれだけの部分が現実だったのだろう…。

エンドロールになっても、レイトショーにしては珍しく誰も席を立たない映画館。立たないというよりも、あれはなかなか立てなかったですよ。身体が座席に張り付けられたような感覚で、腰も妙に痛くて。客電点灯後「腰が痛い…」とつぶやいている人が多かったのは偶然ではないでしょう。

語弊のある言い方をすれば「問題作」を観てしまったという気持ちにさせられる映画でした。過激だとか暴力的だとかそれだけのことではない、非常に特殊な感覚。とにかくホアキン・フェニックス演じるアーサー/ジョーカーの逸脱した魅力が目に焼きつく一本ですが、これを好きな映画と言える勇気はないかな…。

と言いつつ好きなシーン

トークショーの練習をするシーンがすごく印象に残ってます。アーサーの一人芝居に見惚れてしまう場面ですが、なんてことない居間のセットが急に作為的で演劇的なものに見えてくるおもしろさ。ソファーの配置はそういうことだったのかと、ゾッとしました。

時折なんとなく「シェイプ・オブ・ウォーター(2017)」を重ねながら観ていたのですが、フレッド・アステアの映画が出てくるという具体的な共通点も。「シェイプ〜」では「艦隊を追って(1936)」のダンスシーンが妄想として登場し、本作では「踊らん哉(1937)」の1シーンがブラウン管に映ります。

船のエンジン室で繰り広げられる無駄に豪華なダンスシーン。アステア映画の創意工夫は並々ならぬものだなと久しぶりに観て思いました。2019年の新作映画で、スクリーンの大画面でアステアを見れたぞ!という、本作における数少ない単純な興奮ポイントとなっております。

印象的なということでは、タイムカードを“打って”事務所から出ていくときの神々しさだとか、ドーランを塗った顔面で受ける返り血の気持ち悪さだとか、あとはやはりトークショーでの、スクリーンの前の我々すら生放送だと思い込んで固唾を吞む緊迫感だとか。あっけにとられて凝視するしかないですよね、あんなの。

ちなみに、予習は必要ないと思います。アメコミのキャラクターを原案としているだけで、これは単独の映画「ジョーカー」。ひとつの重厚な映画です。心身のコンディションだけ整えて行かれてください。

(2019年108本目/劇場鑑賞) 心身のコンディションは、大事ですよ(念押し)。

*1:奇しくも同じタイミングで「午前十時の映画祭」の上映作品が「時計じかけのオレンジ(1971)」になりました。本作と並べて語られることが多くなりそうなこの作品、この機会にぜひ。ハシゴはおすすめしません。