宝塚歌劇団 雪組公演『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)※以下「ワンス」と略します』をBSプレミアムで観ました。セルジオ・レオーネ監督による1984年の同名映画を小池修一郎先生の演出で舞台化した作品で、ミュージカル化は世界初とのこと。
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わたしこの映画がとても好きなもので、宝塚で舞台化されると聞いたときは興味半分、「できんの??」半分でした。懸念は主に二点。「モリコーネの音楽がない(であろう)ワンスはワンスなのか??」そして「わりかし猥雑で過激な映画だが大丈夫か??」。
一体どうやるんだろうと興味津々での鑑賞となりましたが、結論としてはむしろよくまあここまで映画という偉大なオリジナルに「引っ張られずに」舞台化できたなと感心しました。本作は『ポーの一族』に次ぐ小池先生の念願叶ったりプロジェクトだったそうですが、舞台化のコンセプト的には『ポー』の真逆なんじゃないかと思います。
以下いろいろ書きなぐっていきますけども、小池先生の発言等はこちらの制作発表レポートをだいぶ参考にしました。あらかじめご参考までに。
懸念1:音楽
予想通り宝塚版の音楽は完全書き下ろしで、かつ“寄せて”もいませんでした。映画『ワンス』はモリコーネの劇伴あってこそだと思っているわたしとしては少々ぐぬぬと思わんでもない案件。それこそ『ニュー・シネマ・パラダイス(1988)』をあの曲抜きで舞台化したらそれは全くの別物じゃんっていう。とはいえ元々がミュージカル作品ではないので仮にそのまま使うとしてどう使うのよ?という話でもあり、権利関係云々以前に妥当な判断ではあるのでしょう。
なお小池先生によれば『アマポーラ(モリコーネの曲ではないが映画版では第二のテーマのような扱いで頻出する)』は当初使うつもりだったようですがそれも使われていませんでした。使われていた既存曲は、気付いた範囲でガーシュウィンの『スワニー(映画では出てこない。ガーシュウィンだと『サマータイム』は出てくる)』くらい? モーの店のジュークボックスから『イエスタデイ』が聞こえてくることもありませんでした。
コックアイの楽器をハーモニカに変更している点も注目です。映画版での彼はパンフルートを常に持っており、その音色が劇伴に直結するようになっていました。音楽は別物なのにパンフルートの音色が聞こえたら、知っている人はどうしても連想して比べてしまう。そんなノイズを避けるための変更じゃないかと思います。ちなみに同じくセルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト(1968)』ではチャールズ・ブロンソンがハーモニカを常備していますから、代替だけどオマージュ、と捉えることもできますね。
先ほど『ポーの一族』の真逆と書きましたが、『ポー』の場合は原作ファンの想像力を裏切らないよう傷付けないよう実写化する必要があったのに対し、『ワンス』の場合は実写映画というかたちで既に総合芸術的な完成品がある。これは大きな違いでしょう。モリコーネの劇伴のない『ワンス』は確かに「あの味わい」こそありませんでしたが、その味わいはレオーネ監督の映画版が秀でたところであって、宝塚歌劇版は全く新しいワンスを見せるぞという気概を感じました。
懸念2:猥雑で過激
ワンスと聞いて真っ先に思い出すのはゴミ収集車です。初めて観たときのインパクトはすごかった。「うわ」っていう。そのほかにも冒頭からバイオレンス山盛りですし、性のにおいも強い。アレの品評会とか、警察官のエピソードとか、記憶に刻まれているのは下品で卑猥なものばかりです。つまり、できるのか宝塚。っていう。
当然ではありますがまあうまいことそのへんは割愛していました。バイオレンスでいうと、モーが拷問受けてるシーンとか一応ちょっとだけありましたけど、映画版だとあんなかわいいもんじゃなくて逆さ吊りの血だるまなんですよね。口から臓物飛び出そうな、パンッパンのね。
性のにおいというところでは、例えばヌードルスが出所した際、ご褒美としてデボラに会わせてあげるシーンが宝塚版にはありますね。映画版でも同じタイミングで再会してはいるのですが、実際マックスたちがご褒美としてまず用意したのは売女でした。
また、ヌードルスの失恋シーンは展開的に山場でもあるのでどうすんのかなーと最も心配していた場面。貸切レストランでデートそして……っていう。これ映画版だと最低最悪の車内レイプで決裂するんですよね。宝塚版でも意外や結構手荒に押し倒していて「おっ」とはなりましたが、さすがに当然未遂。しかしすごいのがそこからの「大量の薔薇を背負って失恋」という力技。強っ。宝塚、強っ。一幕ラストがこれで、いろいろ全部吹っ飛びましたわ。望海さん薔薇似合いすぎ。
ほかにはデボラの強烈な「化粧落とし」なども映画版のハイライトですが、これも宝塚版では無し。その代わり、サナトリウムでキャロルと再会するシーンは同じかそれ以上に締め付けられるような残酷さを出せていてすごく良かったと思います(あれは映画にはないですね)。
ちょいと話はずれますけど、真彩希帆さんのデボラは映画版と比べてかなり陽性なキャラクターになっていて、特に少女期がジェニファー・コネリーの衝撃的美少女なデボラとは違うベクトルでめちゃめちゃ可愛かったな〜。ていうか映画版独特の切なさ苦さってのは「ジェニファー・コネリーからエリザベス・マクガヴァンになってしまう」っていうキャスティングの妙(な副産物)にあって、そこからの化粧落としなので、うん、真彩デボラならあんな化粧落としはしない。正解!
最初に書いたゴミ収集車も、まあなかったんですけど。これについてはインタビューで「清掃車どうなりますか」って直球の質問受けてて笑っちゃいました。みんな考えることは同じか。小池先生の回答はずばり「起きることは変わりませんが清掃車は出てきません」。
これな〜。例えば回り舞台でグイーンってゴミ収集車出てきてグイーンって通り過ぎたらマックス消えてるとか、みなさん公演後どんな気分でお茶飲んだらいいのかわかんなくなるでしょうしね。あれを再現したがるのは、エゴに過ぎないのだろうな〜。小池先生さすが、と言わざるを得ない。
あとはなんだろう、回り舞台といえば「阿片幻想」のシーンは舞台版ならではの演出でようございました。あれは映画よりこわい! 舞台版ならではといえば、デボラの活躍シーンが増えてフォリーズが観れたりしたのも良かったですね〜〜。久々に『巨星ジーグフェルド(1936)』が観たくなりました。
なかなかどうして、語りたいことは尽きません。
ジミーの件
宝塚版で驚いたのが、全米運送者組合のジミーっていう、明らかに全米トラック運転者組合ジミー・ホッファをモデルにしたオリジナルキャラクターが出てきていたこと。……と思ったらこれわたしの認識不足で、映画版にも出てるそうです。全然覚えてない。エクステンデッドverも観たのにな。
こちらなぜそんなに驚いたかというと、マーティン・スコセッシ監督の最新作『アイリッシュマン(2019)』で描かれた人物だったからなのです。
ジミー・ホッファを演じたのはアル・パチーノ。そしてこの映画の主人公である、ジミー・ホッファを暗殺した腹心の男フランク・シーランを演じたのはロバート・デ・ニーロ。映画版『ワンス』でヌードルスを演じたのはデ・ニーロです。いろいろ繋がってきますね。
後半の黒幕であるジミーを前面に出すことで、やや分かりづらい映画版のストーリーを分かりやすく補強できており、なるほどこれはいい脚色だなと思いました。映画版でのジミーが全く記憶にないのはおそらく『アイリッシュマン』以前の鑑賞だったからでしょう、そろそろまた観返さなくては。
そんなところで、だいぶ偏った感想ではありますが映画から入った雪組『ワンス』雑感でございました。宝塚版のイメージしかない方にとってはおそらく観る気を削ぐようなことをたくさん書いてしまいましたけども、いやしかしそれでも映画版『ワンス』はたいへん素晴らしい映画です。ぜひご覧ください。
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