映画「Fukushima 50(2020)」雑感
初めて予告を観たときは全身が拒否した映画『Fukushima 50』、なんだかんだで観てきました。結論としては一転とてもいい映画、観たほうがいい映画だと思います。
概要
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故とその対応を描いた、事実に基づく物語。タイトルの「Fukushima 50(フクシマフィフティ)」とは、福島第一原発で対応業務に従事していた人員のうち、同発電所の事故が発生した後も残った約50名の作業員に対して欧米など日本国外のメディアが与えた呼称 とのこと(Wikipediaより引用)。
門田隆将によるノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」が原作(→読みました)。監督は若松節朗、出演は渡辺謙、佐藤浩市ほか。
観るまでの経緯
初めて本作の予告を映画館で観たとき、なんてもんを作ってくれたのかと全身が拒否したのをよく覚えています。こんなセンシティブな題材をこんな過剰演出のドラマに仕立てやがってと、異様に腹が立ちました。ただ、それは予告編との相性が悪かったのでした。後述します。
ではなぜ観ることにしたのかというと、非常に単純なというかお恥ずかしいというか、Filmarksの評価が星4つ(MAX5)から下がらなかったからです。そんなことかーい。でも結構参考にしてるんです。ていうかわざわざチェックしなくても一覧で星が出てるから目に入るんです。あれ、意外と悪くないっぽいなと。人の意見に左右されやすい人間ですみません。
本当は3.11の日に観ようと思っていましたが、ちょっと体調が優れなかったので大事をとってその日はよく眠っておき、翌日、東日本大震災から9年と1日の3月12日に行ってきました。
雑感
結論を先に言うと、とてもいい映画だったなと思いました。コロナ云々でメディアが大騒ぎな今日この頃。対応はどうなってるんだ、ちゃんと考えてくれてるのかと、はっきりしない報道や発表に悶々たる思いを抱くことも多いでしょう。でも、きっと今この瞬間も関係各所で懸命に動いてくれている人たちがいる。正確な報道がなされていないとしても、確実にそういう現場の人たちが存在している。そんなことを再認識させられる映画でした。
本作で描かれているのは主に福島第一原発で対応にあたっていた現場の人たち。2011年3月11日14時46分の瞬間から映画がスタートし、日時表示とともに進んでいきます。わたしは東京のはずれにいたので被害や影響は福島よりも圧倒的に少なかったですが、それでもやはり当日、翌日あたりのことというのは鮮明に覚えています。11日のこの時間は職場から自宅まで歩いていたなあとか、劇中みたいにロウソクで灯りをとっていたなあとか、その記憶と照らし合わせるように、この時あっちではこんなことになってたんだ…という生々しい追体験をすることができました。
予告編で受け付けなかったのは、必要以上に感情的な演出をつけられているように見えたところです。ただこれは良くも悪くも予告編マジック。他の映画でもあることですが、文脈に沿って観るとそんなでもなかったり、もしくは妥当な感情表現だったり。「頼むわ…」は本当に頼んでるだけだったり、「本店は何やってんだ!」は本当に「何やってんだ」案件だったり(笑)
ややドラマチックになりすぎかと思うようなところもあるにはあります。しかし思い出してみたい。あの当時、たとえ震源地から遠くとも、多くの人が己の人生にドラマを感じていたのでは。自分が映画の主人公みたいに思えた瞬間があったのでは。それが最も渦中の人たちであればなおのことなのでは。命を捨ててヒーローになってみようと思ったり、一息ついて遺書をしたためたりするくらいのことはあって当然では。
そんなことを考えていたら、この映画、とても斜に構えた感想は言えないなと思ってしまいました。
こういった題材ですから、賛否は当然分かれているようです。そうでなくとも実話ベースと謳う作品は、「観る人」と「題材」との関係性によって大きく評価は変わるでしょう。
本作の存在意義は、思い起こさせること、知ってもらうこと、記憶に残すこと、だと思います。わたしはノンフィクション作品が好きですが、東日本大震災に関しては「近すぎる話」と感じてしまい、これまで一切なにも調べたりすることなく9年を過ごしてきました。その状態で本作を観て、誰でも知っているあの建屋の中で何が起きていたのか、メルトダウンを危ぶむ報道の裏でどんな尽力があったのか、9年越しになってしまったけれど大まかに知ることができたおかげで、これからは毎年ニュースであの建屋を見るたびにあの人たちのことを思い浮かべることができます。
センシティブな題材をエンタメ作品にしてしまっているという批判もあるかもしれません。でも、何も知らない、覚えてない、よりは断然いいはずなのです。『日本のいちばん長い日(1967)』のおかげで玉音放送を耳にするたびあの背景を思い出せる。『黒部の太陽(1968)』のおかげで黒部ダムへ向かうトンネルにも熱いロマンを感じられる。ノンフィクションのエンタメ作品には、長い目で見ても非常に価値があるはずです。
…と思うので、やはりもうちょっと観たくなるような予告を作ってほしかったなという気持ちはあります(再浮上)。Filmarksで星4つ付いてなかったら、こんないい映画なのにきっと観ずじまいでしたよ。あんなハリウッド的パニックムービー調じゃないやつをね、作れるはずなんですよ。どういうものが正解かは分からないけど。と無責任なことを言う。
余談ですが、本作のものすごい既視感。紛れもなく『シン・ゴジラ(2016)』ですね。というか『シン・ゴジラ』がいかに3.11をモチーフにして作られたかがよく分かる、って感じでしょうか。テロップ出しただけで「っぽい」と思われちゃうのは不本意かもしれませんけど、でも「水ドン」あたりは逆輸入だと思います(笑)
登場人物では、本店のお偉いさんを演じていた篠井英介さんがまず強烈でした。観客全員の頭に血をのぼらせるような渾身の「あんッの野郎……!!!」っぷり。それから「総理」役の佐野史郎さん。こちらも渾身のクソ総理っぷりが、いいのかこれっていう(笑) この件については、どう考えてもモデルでしかない菅直人元首相がまさかのインタビューに応えていました。
――映画では、佐野史郎さんが「総理」を演じています。役名は「総理」であって、「菅直人」ではありません。(中略)もし、佐野さんが演じているのが「菅直人」だったとして、抗議されますか。
菅 いやいや、そんなことはしませんよ。周囲の人は、「描き方が戯画的だ」とか色々言ってくれるんですが、そんなに、ひどいとは感じていません。劇映画ですしね。
(中略)
たしかに、映画の「総理」は怒鳴っていますが、私もいくつかの場面では大声を出しました。火事場を想像してください。目の前で火が燃えているときは、「それを取ってくれ!」と怒鳴るでしょう。「それをこちらに持ってきてくれませんか」なんて悠長なことは言わない。あの数日間は、そういう場面の連続だったんです。だから、私も何度か、怒鳴っていたと思います。
さすが政治家、心が強い。
そしてもちろんダブル主演の佐藤浩市さんと渡辺謙さんも見応えありました。特に渡辺謙さんが演じるのは本作で唯一実在の人物、福島第一原発の吉田所長。氏のメモリアルとしても優れた作品になっています。
といったところで。間違っても変な映画ではないです。とても丁寧に作られた映画です。震災から9年を迎えたこのタイミングでご覧いただけるといいんじゃないかなと思います。
(2020年41本目/劇場鑑賞)
- 作者:門田 隆将
- 発売日: 2016/10/25
- メディア: 文庫