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主に映画のあらすじと(まとまりのない)感想文/期間限定でNY旅ブログ連載中

シンドラーのリスト(1993)

リーアム・ニーソン主演、スティーヴン・スピルバーグ監督作品。

概要

第二次世界大戦ポーランドナチス・ドイツによるホロコーストと、虐殺から多くのユダヤ人を救ったとされるドイツ人実業家オスカー・シンドラーを描いた作品。スピルバーグは本作で初めてアカデミー賞を受賞。なんでも「ジュラシック・パーク1993)」は本作用の資金繰りとして製作した、らしい。

あらすじのようなもの

前々から観たいと思っていたのですが、上映時間が3時間以上と長いこと、テーマが重いことなどからなかなか手に取れないでいました。この度ようやくの鑑賞です。想像以上にショッキングなところもあれば想像以上に人間ドラマなところもあって、195分はあっという間。併せて、DVDに収録されていた「生存者たちの声」という記録映像も鑑賞。生還したユダヤ人の方々が語る当時の話は、スピルバーグが前説で言うとおり「映画以上」のものでした。

さて本編。序盤は予想よりもだいぶ人道的な迫害(ものすごい矛盾)度合い。クラクフ・ゲットーと呼ばれる地区に詰め込まれたユダヤ人を、シンドラーというナチス党の男が労働力として自分の工場に雇用、ナチらしからぬ温情にユダヤ人たちも感謝する。なんだかハートウォーミングなサクセスものじゃないですか。ずっとこの感じで続くのだったらだいぶイメージと違うのだけど。

しかし。しばらく経った頃、迫害されているなりに落ち着いてきていたゲットーに悪夢のような一日が。クラクフ・プワチュフ強制収容所へ移送するため、ゲットーのユダヤ人たちは強制的に身一つで退去させられます。息を潜めて隠れていた人たちも執拗な捜索によって多くが引きずり出され、少し抵抗でもしようものなら、いや何もせずとも親衛隊の気分次第で残忍に撃ち殺されていきます。

強制収容所へ収監されてからも「人間以下」とされるユダヤ人は軽率に次々と頭を撃ち抜かれ、人材として有能な技術者であろうとも配慮はされませんでした。せっかく育てた自分の労働力をあっさり殺されては大損だ。単純に損得勘定でそう考えたシンドラーは工場の稼働を再開、ゲットー時代の労働者たちを再び集め、彼らに比較的マシな生活環境を与えます。シンドラーに対する「命を助けてくれる慈悲深い人」という評判は広がるばかりで、全てを金儲けのためにおこなっている彼にしてみれば不本意です。

ユダヤ人への迫害はさらにエスカレートしていきます。ついには「絶滅収容所」ことアウシュヴィッツ強制収容所への送還が決まり、処分=死へのカウントダウンが開始。もはや損得勘定以外の感情も入り混じりどうしても見過ごすことのできなかったシンドラーは、工場従業員や家族たちを残らず記載した「シンドラーのリスト」を作り、用意した新たな工場に軍需名目で移送するよう交渉。工場経営で稼いできた巨額の資産を賄賂として投げ打ち、交渉を成立させます。

一件落着と思いきや、男女に分かれさせた列車のうち女性を乗せた列車が手違いでアウシュヴィッツへ。あわや処刑されそうになるも、またしてもポケットマネーをはたいて奪還。終戦までどうにか粘り、結果的に1,000人以上のユダヤ人を解放に導いたのでした。

と書けばやはりハートウォーミングですが

その全てに残忍な迫害描写がついてまわります。まず最初はゲットー解体の日。怒鳴り散らす親衛隊に一切の字幕がないことも相まり、ただただ一方的な圧力に辟易します。本作は基本モノクロで作られているのですが、撃ち抜かれたユダヤ人からどくどくと流れ出る鮮血は、本当に「鮮血」と思えるほど鮮やかです。黒澤明が「椿三十郎(1962)」で赤い椿をより赤く見せるために黒く塗ったというエピソードがあります。もしかしたらこの血も、そのように撮ったものかもしれません。

解体の日、高台からゲットーを見下ろすシンドラーの目に、赤いコートを着たひとりの女の子が映ります。本当に有彩色の赤です。冒頭いきなりカラーから始まるという変化球があったので何かそういう工夫があってもおかしくないなとは思っていましたが、あまりに小さな「赤」だったので最初はてっきり見間違いかと。

これはパートカラーと呼ばれる技法で、黒澤明の「天国と地獄(1963)」で使われたのが有名だそうです(未見)。このシーンに関してスピルバーグは、「天国と地獄」に影響されたと明言しています。ちなみに前述の「椿三十郎」でも本当はパートカラーで椿を赤くしたかったのだとか。「椿三十郎」といえば、板張りの床下に隠れてるシーンはオマージュっぽいなと思いつつ、作風的にオマージュとかしてる精神的余裕はなかったのではという気持ちにもなりつつ…。

この「赤い」女の子、のちに再登場します。ただし死体として。一体どういう意味があったのか考えてみると、のちの台詞を借りるなら「人間1人」の価値を見せようとしたのではないかと思います。先日鑑賞した「エレファント(2003)」では高校生ひとりひとりがわけもなくピックアップされて、「彼らはモブではない」と意識させられたうえで皆殺しにされます。そういった意図もおそらくあるのでしょう。

収容所へ入れられてからのシーンで特に印象的なのは、蝶番職人の囚人が「なかなか撃たれない」シーン。あれはものすごい映画体験です。きっと誰もが目を背けたくなったのではないでしょうか。対して、軽率に撃たれるシーンももちろん健在で、ちょっとくらいの射殺ならあまりなんとも思わなくなってきている自分に気付きます。「シティ・オブ・ゴッド(2002)」でスラム街の命の軽さに慣れてきてしまうアレと同じです。なんとも認めたくない、逆ベクトルでの映画体験ですね。

身体検査や断髪、シャワー室でのシーンなど、通常の映画撮影では有り得ないレベルで「大量の裸体」が登場するのも印象的です。魅力的に描かれたドイツ側の裸体とは違い、人間扱いされていないユダヤ人側の裸体は「毛刈り後の羊」状態。ただ引っぺがされた裸の人体です。こんなに大量の裸体が出てくる映画ってなかなかないんじゃないかと思うんですが果たして…。

アウシュヴィッツのシャワー室シーンは、水か殺人ガスかわからないまま待ち続けた永遠の数秒間というのがエグいですね。なぜあんな嬉しそうな反応をしてるのか最初わからなかったのですが、「ガスじゃなかった」ことに安堵していたんですね。少し前のシーンでの「怖い話」が伏線になる、数少ない映画的エンタメ要素とも言えます。

映画的エンタメ要素という意味では、本編ラストシーンは少しエンタメ的な色付けがされているのかもしれません。シンドラーが実際あんなふうに感情を爆発させたかどうかは知らないのですが、映画を観る側としては最後でああいうわかりやすい「泣かせ」を入れてくれたことは少なからずありがたかったです。エンタメ作品制作に長けたスピルバーグらしい後味の操作だと思いました。

残忍な所長について「平和な時ならあいつも普通の男だ」と言ったように、「人間1人だぞ」と泣き崩れたように、平常時ならあの女の子だけでなく全ての人に色彩が付いていたはず。全てが色を失ってしまっていたこの時代について知れる、貴重な映画体験でした。またこの1940年代というのはわたしが好きなハリウッド映画の時代でもあります。アステアなど当時のスターを身近に感じているだけに、歴史というよりももう少し自分に近いものとして感じられた気がします。

ちなみに、ですがわたしがホロコースト関連作を観なければと強く思ったきっかけは「X-MEN(特にファースト・ジェネレーション)」でした。様々な時代背景をストーリーに取り入れた「X-MEN」シリーズ、一番最初に登場するシーンはポーランド強制収容所なのです。いま思えばあそこで親と引き離されたことも理解できるし、あっけなく母親が殺されるシーンも(当時の状況として)理解できます。あらためて「X-MEN」シリーズ、深い作品です。

まさかのヒーロー着地をしそうだったので話を戻して。ジョン・ウィリアムズによるテーマ曲、素晴らしかったです。DVDのメニュー画面に流れた時点で鷲掴みにされました。こういう曲も書くんですね…。

映画音楽の大切さというのもあらためて感じさせられる作品でした。

長々とまとまりがなくなりましたが、このへんで。

(2018年163本目)