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映画「フタリノセカイ(2021)」感想|“多様性”はそんなに割り切れるもんじゃない

シネマ・チュプキにて、飯塚花笑監督の映画『フタリノセカイ』を観ました。6〜7月のチュプキは映画館製作の作品をセレクトしていますが、本作は高崎のシネマテークたかさきさんが製作に関わった映画とのことです。


映画「フタリノセカイ」ポスター
映画「フタリノセカイ」ポスター


こちら、ポスタービジュアルがよくできているなと思いました。LGBTQをテーマにした作品であるということだけ知っていたのですが、その先入観でこのポスターを見たとき、女性同士のラブストーリーなのかなと想像したんです。つまり背中を向けている右側の人物も女性なのだろうと思い込んでいたんですよね。なので物語が進んでいくにつれ結構な驚きがありました。

本作は、シスジェンダーの女性(女性の身体を持って生まれ、女性であると性自認している人)トランスジェンダーの男性(女性の身体を持って生まれ、男性であると性自認している人)が、自分たちなりに納得できる「家族」のかたちを探し求めていく物語。ヘテロセクシュアルの女性がそうとは知らず交際し始めた男性がじつはトランス男性だった、というなかなかに複雑な話です。この説明も間違えているかも。違っていたらご指摘ください。

トランス女性を描く、もしくは登場させる物語は多いですが、トランス男性が描かれるのは比較的珍しいように思います。それも本作は敢えてシスジェンダーの男性をキャスティングし、特殊メイクで乳房をつけ、それを見せている。正直に言えば違和感の強い演出であり、見る側の受け取り方が試されます。なお監督ご自身はトランスジェンダー男性であり、あくまで「敢えて」であろうことを付け加えておきます。

はじめは文字通りの意味として捉えていた『フタリノセカイ』というタイトルも、終盤にかけて明確に「フタリ」だけではなくなっていきます。最初の選択は一般的とも言え、精子の提供だけではだめだったのか?と思わなくはないまでも、共感できる展開です。ここで終われば納得度の高い感動的な物語として後味を残すでしょう。

しかし最後の最後、「フタリ」がとった次なる選択。これは「フタリノセカイ」たり得るのか? いや、「フタリ」の選択なのだからいいのか? 根本的な問題として、性別を超越してしまったというあの人物はこれらの行為が可能なのか? 等々ぐるぐるが絶えません。

理解できる・尊重できると思っていたつもりの「多様性」は、じつはかなり狭い認識だったかもしれない。わかりやすく定義づけて分類できる程度のものを「多様性」と思っていたのかもしれない。そんなことを気付かされる作品でした。

(2022年104本目/劇場鑑賞)