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主に映画の感想文を書いています

LOGAN/ローガン(2017)

X-MEN」シリーズ通算10作目。スピンオフ「ウルヴァリン」シリーズの最終章にあたり、17年間ローガンを演じてきたヒュー・ジャックマンの出演は本作が最後になります。あらすじからネタバレだらけですので未見の方は鑑賞後にお読みいただいたほうがよいかと思います。

あらすじ

ミュータントが絶滅しつつある2029年。治癒力の低下から少しずつ老いてきていたローガンは、チャールズ(かつてのプロフェッサーX)の介護をしながら運転手の仕事で生計を立てていた。チャールズもまたひどく老いており、発作による能力の暴走を度々起こしてはローガンを悩ませていた。

かつての活躍は見る影もない彼らだったが、ローラという少女の出現で事態は変わる。彼女は人工授精によりウルヴァリンの遺伝子を持って生まれたミュータントだという。厄介ごとには巻き込まれたくないローガンをよそに少女の追っ手が現れ、不本意ながらローガンとチャールズと少女、三世代ミュータントたちの逃走劇が始まる。

「ミュータント狩り」の追っ手たちにとっては、ローガンとチャールズもまた狩りの対象である。道中、寝込みを襲ってきたアダマンチウムの爪によりチャールズが殺害される。彼を殺したのはローラと同じくウルヴァリンの遺伝子から生み出されたクローン、X-24だった。

長時間の逃走と身体の酷使により衰弱しきったローガンは、最後の力をふりしぼってローラと幼いミュータントたちの国境越えに協力する。国境を目の前にX-24が再び投入されローガンは致命傷を負うが、ローラがアダマンチウムの銃弾を撃ち込んでX-24は殺害される。泣きじゃくるローラに見守られながら、ローガンは200年近い生涯に念願の幕をおろす。

あらすじ書きながら泣く

はい、というわけでついに辿り着きました「LOGAN/ローガン」。同志の皆様はお分かりかと思いますが今わたしは大変な喪失感に襲われております。長い期間をかけて人の生涯を描いた大河ドラマ的作品はお別れのショックも大きいものでございます。にしてもそうですか、17年もローガンやっていたのですかヒュー・ジャックマン。おつかれさまでした。

普通に考えて本作、めちゃくちゃシブいです。スピンオフとはいえ描かれるのは2大メインキャラクター、ローガンとチャールズという豪華キャスト。だってのに、ふたりとも老け込んでて死にそうだし、っていうか最終的に死ぬし。あんなにいたはずの仲間たちも多分もう死んでて助けに来てくれないし。これまで本気でヤバいときは手を組んでくれてたエリックすら来ないし。ローガンがwww老眼wwwとか言ってられるのも最初だけです。

R指定で見せる「コミックとは違う」現実

本作でおもしろいのは、「X-MEN」のコミックが存在している世界だということ。シリアスな世界観のなかにメタ的要素? デップーちゃん的な?という感じですが、「デッドプール」での「第四の壁」的な使い方とは違い、あくまで映画「X-MEN」シリーズ全体に共通している「史実に乗っかった地続きの世界」がそのまま続いているだけなんですよね。

自分自身の伝記でも読んだかのように「ここに書いてあることは事実を基にはしているが、実際はこんないいもんじゃない」とローガンは言います。つまり「ここまでの映画シリーズは言うなればコミックだけど、君の観てるこの映画は現実だよ」という、本作における大事なアナウンス役をこの「コミックの存在」は担っているのだと思います。

で、本作で明らかに印象的なのは「生々しいバイオレンス描写」です。ローガンの爪アクションなんて考えてみれば血の海になるはずなんです。それが過去作ではそこまで残酷には描かれていない。しかし今回だけは別で、刺したらブシャーッと鮮血が吹き出るし、切ったら首は飛んで転がるわけです。それはただR指定を付けたからではなく、本作が「コミックではなく現実だから」ということでしょう。現実はいくらヒーローでも目を覆いたくなるような惨状が広がるのです。

さらに作り方がうまいところとして、スプラッタなシーンを最初に見せるのはローガンじゃなくてローラなんですよね。まだ小脇にぬいぐるみ抱えてるような年齢の女の子です。悲鳴が聞こえ、彼女がふらっと出てくる。抱えていたのはぬいぐるみじゃなくて頭部でした。うわっ………。てなるんですよね。やってることは過去作でみんなが喜んで見てきたローガンと同じかもしれない、けど、いたいけな少女に置き換えてごらんよ、実際はこういうことだぜ?っていうのを強烈に示してくれるので、のちの「実際はこんないいもんじゃない」という言葉も刺さるわけです。

現実的という意味では、プロフェッサーXを象徴する乗り物だった近未来ちっくな車椅子も、本作では「チャールズさん(要介護)の車椅子」になってたりしますね。ローガンがチャールズを後部座席に乗せ、車椅子を畳んでトランクに入れる、という一連の動きが哀しくも印象的です。かつてハンクがチャールズの介助をしていたのとは比べものにならないくらい現実的な「介護」の姿です。シリーズの根幹がこんなところにも出ています。

ローガンはまだギリギリでヒーロー的要素も残してはいますが、「ウルヴァリン: SAMURAI」のときのように散髪して見慣れた姿に戻ってくれるわけでもなく、辛うじて残ってるアダマンチウムの爪もなんか出が悪いみたいだし、要はコミックのような、スーパーヒーロー映画のようなカタルシスは期待できないな…って思っちゃう状況。ゲンジツとはかくもせつなみがあふれるものなのですね…。

明るいほうへと向かうロードムービー

とはいえ、です。そこまで暗いわけではないのです。希望ともとれるローラの出現によりいつの間にか始まったロードムービーは、どこかとてもよいのです。盗んだサングラス(よくない)で外を眺めるローラ。微笑ましく見守るチャールズ。黙々と車を走らせるローガン。特に、お呼ばれされたお宅での夕食シーンは刹那的な幸せが溢れていて、ローガンがチャールズを「父」と紹介するシーンなど涙なしには見れませんでした。結局この家は「ウルヴァリン: X-MEN ZERO」のケースと同じく惨劇の舞台となってしまうわけですが…。

チャールズ亡き後の二人旅も、よいものがありました。ローラを演じたダフネ・キーン嬢、幼くして素晴らしい女優ですね。大人の女性に見える一瞬もあったりして、今後も活躍が見れたら嬉しいです。そういえばローガンは17年前の初登場時もどこの馬の骨か知らない女の子(ローグ)を拾って車走らせてたんでした。

さて、文章書いててもなかなか辿り着かせたくなくて引き伸ばしちゃうんですが、物語はついに終わりを迎えます。X-24に追い詰められ、切り株の枝が胸を貫通したローガン。昔のローガンだったらなんのそのだったかもしれないけれど、現実のローガンはもう立ち上がれません。トドメをさされるかというところで、持っていたアダマンチウムの銃弾をリボルバーに装填しX-24の頭を撃ち砕くローラ。格好良すぎる…。

「俺が愛する人はみんなひどいことになる」とローラに冷たくしていたローガン。その裏腹な言葉から愛情を感じ取り、「愛する人」を護ろうとしたローラ。これまで感情を多くは出してこなかった彼女がローガンを「パパ」と呼んで泣きじゃくり、ローガンは生気を失いながらも「そうか、こんな気分なのか」と少し満足気に口角を上げてから息を引き取ります。

こんなにハッピーエンドなことってあるだろうか、いやない! とても悲しいシーンだけども、チャールズすら見ていない200年近いローガンの人生を見てきた我々にとって、これはハッピーエンドですよ…。大事な人を失い続けながらも不死身ゆえにひたすら自分だけ生き延びてきてしまったローガンの待ちに待った最期に、人肌のぬくもりと愛情がある…。落涙…。現実も捨てたもんじゃあないよ…。

ええ、いつにも増してまとまらない文章になってしまいましたね。仕方ない。ていうか、このあとにどんな顔して「デッドプール2」見りゃいいんですかね(笑) というわけで以上、2週間ほどかけて「X-MEN」シリーズ現時点での完走をいたしました。少し余韻が冷めてから「デップー2」おかわりして、それからちょっとまとめ記事でも書こうかしらなどと思っております。お付き合いありがとうございました。

(2018年128本目)