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主に映画の感想文を書いています

サンライズ瀬戸で行くノープラン旅行記【④予想外のプロペラ機で関西へ】

サンライズ瀬戸の話は初回で終わったタイトル詐欺な旅行記サンライズ瀬戸に乗りたい(ただしその先は決めてない)」その4。松山で充実の夜を過ごした353。目が覚めると今度はいきなり伊丹へ飛んで、神戸などを散策したりしました。これにて最終回。『すずめの戸締まり』関連スポットもちょっとだけあり。

サンライズ瀬戸の乗車記はこちら。


2月3日(金)am:四国を発つ

日本刀で背中から斬られる夢をみて起きた。ヤクザ映画のせいかな。気を取り直して、チェックアウト前に喫茶店でモーニングをするべし。

選んだのは大街道商店街にある「CAFÉ BC」さん。店舗紹介にこんな文章があって、即決した。

1969年 おいしいコーヒーをお届けしたくて、自家焙煎のコーヒー専門店としてはじまりました。
当時の大街道はとても賑やかで。BCの隣は映画館でした。舞台挨拶のために訪れた役者さんが立ち寄ってくれたり、映写技師の人が日課のように来てくれる日々。携帯もない時代です。「待ち合わせ」でご利用いただくシーンもよくありました。(cafe bc

外観はいまどきのおしゃれカフェ、しかし入店すると1階は昔ながらの「カウンターの喫茶店」。と思いきや2階へ上るとやはりおしゃれカフェで、さらに上もあり、と、只者ならぬお店のようだ。小倉トーストでエンジンをかけ、今日を始める。なおこの日はこれ以降ひたすら食いっぱぐれ、次にちゃんとした食事をしたのは19時過ぎだった。小倉トースト、頑張ってくれた。

山形パンの小倉トースト、サラダ、コーヒー。
頑張ってくれた。

快適だったホテル「ドーミーイン松山」をチェックアウトし、すぐ近くのバス停へ向かう。リムジンバスに乗って向かうは松山空港。そう、わたしは早くも四国を発つ。

松山空港は、想像していたよりも大きかった。もうちょっとこぢんまりした空港かと思っていたので嬉しい。そういえば飛行機に乗るのはコロナ禍に入ってから初かも。ただでさえぎこちない保安検査が、冬だから余計にぎこちなかった。

ターミナルビル1Fターミナルビル2F 大きいポンジュース看板が印象的
シャンパンタワーならぬ「みかんジュースタワー」なんてのもあった。

で、どこへ行くのかというと、ここからは大しておもしろくもない。そこそこ慣れ親しんだ関西である。ただ、ひとつ問題があった。今日のフライト、プロペラ機なんですって。えええ、初めて乗りますプロペラ機。まさか離島とかじゃなく松山〜伊丹で乗ることになるとは……。正直、こわいぞ。

おまけに、結構早く空港へ着いてしまったので待ち時間が案外ある。でも大丈夫。なぜなら、今日の旅程を全く考えていないから。いかんいかん。搭乗ロビーで必死にGoogleマップや乗換案内と睨めっこしていたのはわたしです。

12:20。ANAだけどLCC並に狭い飛行機で松山空港を発つ。座席はちょうどプロペラの真横あたりで、怖さもひとしお。機体が動き出すと、まるで爆撃機かのような音がする。離陸時の加速もやたら速い。ああ、この、いったん命を預ける感じ、好きだわ。飛行機って死生観にアクセスしてくるのがいいんだわ。そんなことを思いながら、ウン年ぶりにふわっと舞いあがる。

窓から見下ろした下界。視界にはプロペラが大きく入っている。
飛行機でこんなに窓の外ばっかり見てたの初めてかもしれない。

この日は全国的に曇りだったが、雲の上はもちろん快晴。ああ、この感じも久しぶり。ところでこの松山〜伊丹の空路(和歌山経由)は、窓から見下ろす地上の景色が非常に見応えたっぷりだった。衛星写真で見るような「山脈!」って感じの山々と、その間に薄っぺら〜〜く存在する人間の街。あまりにもスケールが違って、ああ、こんなの、自然にかないっこないじゃん、と思った。天災被害の数々が、あまりにも「どうしようもないじゃん」と思えた。今までにない感覚だった。


2月3日(金)pm:駆け足な、西。

ANAのプロペラ機。
松山ではボーディングブリッジだったが、伊丹はタラップ。

13:10。大阪伊丹空港着。そういえば伊丹って乗るばっかりで降りたことはなかったかも。モノレールと阪急で梅田まで行き、ロッカーに荷物を預けて再び阪急へ。神戸方面へ向かう。

まずは三ノ宮。駅から少し歩いて、お目当ての「商店街」を目指す。また商店街? そんなにアーケード好きになっちゃいました? いや、今回はちょっと違う。これだ。

古びた商店街

忘れた頃にやってくる、映画『すずめの戸締まり』聖地探訪。この「二宮商店街」は映画を観た人ならわかると思うが、すずめが一晩お世話になった神戸の第一村人「ルミさん」の店舗兼住居、があるところ、である。

アーケードへと続く路地メイン通りから分岐している細いアーケード
この通り(細いアーケードのほう)も出てくる。

ただしここ、よそ者があまり踏み込んではいけない領域のような感じがした。写真など撮っていても、なんとなーく人の目が気になる。さらっと通り抜けるくらいにしておいたほうがいいのかもしれない。

洞窟のような、やたら高い天井。クセの強い看板などあれこれ。
ちなみに、細いアーケードのほうを中に入ると思いもしなかったような世界が現れる。すごい。

なお、もう何駅か離れたところには、劇中で商店街の入口として使われていた「東山商店街」もある。時間がタイトなので諦めたが、またこっちへ来る際にはリベンジしたい。そもそも「淡路島からの神戸入り」を実現できていないので、そのへんも含めてまたいつか。これにて『すずめの戸締まり』プチ聖地探訪・神戸編、あっさり終了。


▲『すずめの戸締まり』聖地探訪・四国編はこちら。


二宮商店街から神戸線高架沿いをひたすら歩いていると、今度は単純に気になるアーケードを発見。これはいい。平日昼間とは思えない賑わい。やっぱり商店街は楽しいなあ。

白ベースにビビッドなアクセントカラーの入った店舗名看板が整然と並ぶアーケード
鮮度、高そう!

そんな寄り道をしつつ向かったのは「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」。神戸は比較的よく訪れる地だが、阪神・淡路大震災に関連づけて見たことがなかった。そもそも阪神・淡路はまだわたしが9歳の頃に起きた震災で、新聞の見出しが特大だったことくらいしか記憶がない。東日本大震災への感情と比べて、あまりにも実感がなく、日付すら覚えられていない。それがずっと、うっすら引っかかっていた。なので、手始めに来てみた。

青みを帯びたガラスで覆われた8階建てくらいの建物。
壁に書かれた「5:46am」「1995」の字がインパクトあり。

かなり巨大な施設なのだが、この日、この時間帯のお客はわたし1人だけだったのかもしれない。少なくとも最初に案内される2つのシアターは、完全に貸切だった。少し気まずかった。でも、0人にならなくてよかった、と思った。

阪神・淡路の情報をまるで取り入れないまま生きてきたわたしにとって、冒頭2つのシアターだけでもなかなか衝撃は大きい。とにかく、こんなに建物って崩れるものかと。「さすがに嘘じゃないかな」と思ってしまったぐらい現実味がなかった。シアターとシアターの間にある「揺れ発生直後の街の実物大ジオラマ」が、少しだけ想像を助けてくれた。

シアター以降の展示は求めていたものと少し違ったのでざっと見るのみにとどめたが、防災のコーナーで解説員の方とお話できたのは大きな収穫だった。南海トラフの話になり、昨日ちょうど愛媛の八幡浜港まで行ってきたんですよ、なんて話もできた。「四国から来た東京のほうの人」という、わけわからん人になった。

そのあとは、ただただ急いで大阪まで戻り、和歌山のほうにある友人宅まで南海電車ダッシュ。朝9時ぶりの食事を19時過ぎに摂取し、GLAYの「カタカナ禁止飲み」でけらけら笑いながら、ありがたく就寝。

翌日は友人と共に大阪市内を少し散策。あこがれの「シネ・ヌーヴォ」さんを外観だけ拝み、スリランカ料理を食べて胃がスリランカに。スリランカがちょっと落ち着いたところで、のぞみに乗って帰路についた。なお「S Work車両」という、パソコン開いてパチパチお仕事しててもみんな了解済みよ!ってな車両にしたので早速この旅行記を書き始めてみたが、数段落書いたところで睡魔に襲われ、新横浜まで寝た。

ブリキ製の巨大なバラのオブジェがすごい
シネ・ヌーヴォさん。想像してたより少し小ぶりだった。友人と一緒だったので中には入らず。いつかあらためて映画を観に来たい。

黄色い看板が庶民感100%なスーパーマーケット
パチンコかと思ってたスーパー玉出

本場のカレーの盛り合わせみたいなワンプレート料理。混ぜる前はカラフルできれい。
ギャミラサというメニュー。ぐちゃぐちゃに混ぜて食べる。

帰宅後、洗濯を2回ほどまわし、所属吹奏楽団の練習に出て、23時ごろ再帰宅。これにて、「サンライズ瀬戸で行くノープラン旅」全旅程終了。おつかれさまでした。


ただし、旅はまだ続くのです。