ろう者の世界を描いた作品は近年とても増えており、それらを観ることで自分の認識を改めたり、新しい世界を知ったりするきっかけとなっている。新宿武蔵野館で先日観た香港の劇映画『私たちの話し方』は、またひとつ解像度を上げてくれる作品だった。
香港では2010年まで、口話教育(ろう者に対し、手話を禁じるもの)が推進されていたらしい。本作の主人公は、その時代にろう学校で育った3人の若者たち。おもしろいのは、ろう者と一口に言ってもそれぞれに「話し方」が異なること。ひとりは、人工内耳(手術を要する、埋め込み型の補聴器のようなもの)ユーザーで手話は使えない。ひとりは、やはり人工内耳ユーザーだが手話も口話も使い分けている。ひとりは、人工内耳や口話を疎ましく思っており手話のみを使用する。つまりこの映画は、ろう者のグラデーションを描いている。ほかにも、聞こえ方の違いを擬似体験させる音響効果も興味深いし、香港手話が「ありがとう」さえ日本手話と全く異なることにも驚いた。日本語と中国語、と考えたらそりゃそうなのだけども、そんなことすら知らないのが現状だ。
『CODA あいのうた』『私だけ聴こえる』『ぼくが生きてる、ふたつの世界』といった作品たちが「CODA=Children of Deaf Adults(耳の聞こえない親を持つ、聞こえる子供)」の存在を広く知らしめたように、「ろう者」もまた当然ながら一言では括れないことを本作は一発で理解させてくれる。こういった作品があることで、ひとつフェーズが進むような気がする。(わたしが馴染みの深い視覚障害者の世界でもそれは同じで、見えていた経験のある人、ない人、光を感じる人、感じない人、点字を使える人、使えない人、盲導犬ユーザー、白杖ユーザー、さまざまなグラデーションがある。)
——といった話も大事なのだが、『私たちの話し方』の最大の魅力は、その青春映画っぷりにある。とにかくめちゃめちゃときめく。男子2人・女子1人の絵に描いたような三角関係を、と言ってもドロドロではなく爽やかに堪能することができる。あんまりこういう、日本版キャスティングの夢想的なことはしないほうがいいとは思うのだが、鈴木亮平×仲野太賀×上白石萌音、の布陣でわたしは脳内ローカライズしていた。スチルや予告編からは気付けなかったけど、ジョン・シュッインさんが超魅力的ヒロインすぎて罪深い。子役たちも隅々までよい。幼少期の男子2人が廊下に立たされながら波動拳みたいなハート喰らったり喰らわせたりするくだり好きすぎ。
最初に書いたように「ろう者の世界を描いた作品」は近年特に多いので、そのカテゴライズで見るとスルーしてしまいそうになるかもしれないが、何よりもとにかく「魅力的な映画」だという点を強調しておきたい。観賞後一週間ほどが経過した今でも、わたしはわりと本気でこの映画に恋している。