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主に映画の感想文を書いています

映画「ニーゼと光のアトリエ(2015)」感想|芸術療法の先駆者、ニーゼ・ダ・シルヴェイラ医師を描いた実話

実在の精神科医ニーゼ・ダ・シルヴェイラとその功績を描いた映画『ニーゼと光のアトリエ』を観ました。


映画「ニーゼと光のアトリエ」ポスター
映画「ニーゼと光のアトリエ」ポスター


時は1944年、ブラジル。ロボトミー手術や電気ショック療法などが最先端とされていた時代に、そういった荒療治とは対極にある芸術療法のパイオニアとして奮闘した医師ニーゼ。ドキュメンタリーなのかなと思っていましたが、実話に基づくドラマ作品でした。

序盤。舞台となる精神病院では、刑務所かそれ以下かというレベルで患者の人権が剥奪され、ゴミ同然に扱われています。患者が暴れればその対応は殴る蹴るの封じ込めのみ。トラウマ起因などの精神疾患が改善するはずもありません。行き着く先はさしずめ前頭葉切除の実験体でありましょう。

そんな生き地獄に、鋼鉄の扉を何十回も叩いて入ってきた女医ニーゼ。男性医師たちからの冷たい目に早速晒された彼女は「末端」の作業療法部門に送られます。その実状もやはり作業療法とは名ばかりで、いわば刑務所の作業場的環境。しかし彼女には当面ここしかない。

覚悟を決めたニーゼが細々と始めた改革は、まず患者たちを抑圧せず、好きなようにさせること。否、患者ではなく顧客(クライアント)と呼ぶこと。画材や粘土などを与え、言動ではなくアートで心の内を表現させること。陰湿だった作業場をアトリエに改装し、辛抱強く「顧客」たちの萌芽を見守ります。

かくして試みは成功。むしろ期待以上の成果をあげます。顧客たちの秘めたる芸術的才能は目を見張るものでした。文化人からの注目も集め、作品展を開くまでになり、顧客たちも人間性を少しずつ取り戻していきました。しかしそんな療法とその成果を「最先端の医師たち」が良く思うはずはありません。

──といったお話です。まあなかなか重たくはあるのですがそのぶん「萌芽」の瞬間はとても美しく描かれており、それまでのヘドロのような空気感から一転まるで違う映画かのように暖かい光で包まれるのが救いです。音楽演出も素晴らしく、最初にまさしく「光」がキャンバスに描画されたところで初登場するドラマチックな劇伴はあまりにもニクいです。

顧客たちの変化もさることながらなんといっても「アート」の力で圧倒させる映画だと思うので、実際それだけの説得力を持つ絵画や立体物のクオリティも見事でした。最初の「光」はもちろん、同時進行で他の顧客が抽象的に重ねていくカラフルな油彩の線には本当にゾクゾクしましたし、「窓の外、俯瞰で捉えた風景」の「川」を描き入れるところなども油彩の立体感が非常に効果的でした。

作業療法部門の横暴な男性医師(看護師?)が心を入れ替えていく様も、ちょっといい話すぎるかなとも思いながらわりと素直に嬉しく見てしまいました。同僚に一線引いて侮蔑するシーンや、特に好きなのは「2本タバコ」のシーン! あんなのキュンキュンしちゃいますわ。

ラストが苦虫を噛んだようなビターエンドなのも良かったです。実際の映像が流れるノンフィクション定番の流れも手堅くグッときます。出だしこそ陰湿ながらたいへん心温まる映画でございました。

「心の傷の治癒とアート」というところでは韓国ドラマの『サイコだけど大丈夫』を連想したりもしましたし、この日に続けて観た、日本の刑務所における先進的な更生プログラムのドキュメンタリー『プリズン・サークル(2019)』とも「患者・受刑者を人間として扱う」点など通じるものが多くありました。

(2021年155本目/劇場鑑賞)

同じ日に観た全然関係なさそうなドキュメンタリー『太陽の塔(2018)』との奇妙な共通点についても(太陽の塔のほうに)追記しました。

映画「行き止まりの世界に生まれて(2018)」感想|冒頭、上りかけた鉄階段を引き返す意味

ドキュメンタリー映画『行き止まりの世界に生まれて』を観ました。

イリノイ州の過疎化した町に生まれ育ったスケボー少年たちを、自身もそのコミュニティ出身である映像クリエイターのビン・リュー監督が「スケートビデオ」の延長として撮り続けていった作品です。オバマ前大統領は本作を2018年ベストムービーに選出。未見ですが日本では2020年公開の『mid90s(2018)』と併せてよく名前が挙がっていた印象です。


映画「行き止まりの世界に生まれて」ポスター
映画「行き止まりの世界に生まれて」ポスター


本作は現在シネマ・チュプキ・タバタにてスタッフセレクトのアンコール上映企画でかかっています。1本だけでは感想がいまひとつ出てこなかったのですが、同時上映の『プリズン・サークル(2019)』を観たらだいぶ(薄ぼんやりとですけど)見えてきた気がします。


『プリズン・サークル』は、日本の刑務所に初めてカメラが入り、若い受刑者たちを密着取材したドキュメンタリーです。いま「犯罪者」と呼ばれる彼らはそれ以前に「被害者」だったのではないか、それこそ「行き止まりの世界に生まれて」しまったのではないかと思える作品でした。

映画『行き止まりの世界に生まれて』の舞台は「外」ですが、『プリズン・サークル』を観た後だと「周囲の支えで間一髪プリズンを免れた、かろうじてサークルに恵まれていた若者たち」に見えてきます。例えば、最も危なっかしい「ザック」は、どんな時でも笑顔です。とことん自堕落に生きてやろうと吐露するシーンでも張り付いたような笑顔です。のちに彼は「道化師になっていた」と語ります。

『プリズン〜』に登場する若い受刑者も、ネガティブな感情をポジティブに変換してしまう癖があると言っていました。フィジカルな痛みは感じるがメンタルの痛みは感じられないと。ああ、ザックはこれか、と思いました。監督のトークによれば、完成した映画を実際観たザックは泣いていたそうです。泣けるようになってよかった。

また『行き止まり〜』の彼らが『プリズン〜』の彼らと違うのは、成育環境が悪くても仲間には恵まれていたと思われる点です。彼らには心の内を少しでも話せる場があった。堕ちる寸前で引き止めてくれる人がいた。自分に向き合う時間を作れるスケートボードというツールがあった。

それで言うと、冒頭のシーンが印象的だったことを思い出します。高いビルの上から大技でもキメようとしていたのでしょうか、主役の3人が鉄階段を上っていくも、危ないからやめよう、てめえ怖気付いてんのか、だって死にたくないよ、そうだなやめようと降りていく場面。妙に安心できるくだりですが、オープニングに入れた意図はわかりませんでした。

でも監督のインタビューを読んでいたらこんなやりとりがあって(補足しておくと本作はDVへの問題提起も大きな要素になっています)。

―暴力をなくすために、何をすべきとお考えですか?

個人レベルでは、暴力が起きた時に、それをきっちりと指摘するということ。全体としては、ただ暴力を罰するのではなく、暴力が起きる前に止める方法を見つけていかなければいけないと思います。

それでも前に進むために。スケーター監督が語ってくれたこと。映画『行き止まりの世界に生まれて』オンライントークレポート@新宿シネマカリテ <全文>|映画配給会社ビターズ・エンド|note

「暴力が起きる前に止める」にかかっていたのか!と腑に落ちました。共同体、コミュニケーション、未然に悲劇を阻止。そんなキーワードが込められたあの短いワンシーン。「記録映像」は編集で「映画」になるのだな、とあらためて唸らされました。

また、監督が実母相手に本格的なインタビュー撮影を行う場面も印象的でした。母親は涙ながらに「映画でもなんでも作って。過去は変えられないけど」と言います。そう、映画で過去は変えられないけど映画から学んで未来を変えることはできる。大林宣彦監督のフィロソフィーがこんなところにも!(突然読んだ方すみません、わたしは熱烈な大林ファンです)

映像が非常に綺麗なのも特筆すべきところです。ドキュメンタリーというと生々しい質感を想像してしまいますが、ビン・リュー監督のタッチは柔らかく繊細で美しい。こんなふうに撮ってもらえたらそりゃ仲間も嬉しいでしょう。ザックの家の屋根にみんなが集う独立記念日とか単純にエモいし。まるで映画みたいだよ。

「スケートビデオ」としてもかなり気持ちのいい映像でした。最初に補足しそびれましたが、「映像を撮る」というのはスケートカルチャー特有のものらしいです。彼らの町の道路はめちゃくちゃ広々としていて、一切の障害なく滑走していく様が本当に気持ちよさそう。でも車通りがないのはつまり……過疎だからか……。そんな劣悪な町に見えるほど汚くはない、のは撮影スキルなのか、そうなのか。

正直スケボーって全く興味がなくて、評判の高かった『mid90s』を観てないのもそういうことで。とはいえこんな気持ちいい映像を見てしまうとチョロいので多少は興味が出てしまいました。これを先に観てたらオリンピックのスケボーも見てたかもしれないな。あのタイミングでAirPodsだけは買ったんですけどね(参考:スケボー中継でAirPodsがトレンド入り「イメージ爆上がり」「落ちないのがすごい」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

(2021年156本目/劇場鑑賞)

ニナに幸あれ。