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主に映画の感想文を書いています

椿三十郎(1962/4Kデジタルリマスター版)

椿三十郎 [Blu-ray]

椿三十郎 [Blu-ray]

三船敏郎主演、黒澤明監督作品。存命の有名俳優では、加山雄三田中邦衛らも出演。「午前十時の映画祭」にて4Kデジタルリマスター版を劇場鑑賞してきました。

意外とあらすじが書けなかった

「用心棒(1961)」の続編的作品だそうです。前作で桑畑を見ながら「桑畑三十郎」と名乗った浪人、今作では庭の椿を見ながら「椿三十郎、そろそろ四十郎だがな」と名乗ります。のちにこの「椿」が非常に大事な役目を担うことになるのですが…。

一本前に感想文を書いた「晴れて今宵は(1942)」からフレッド・アステアの台詞を借りるならば、「見て、気に入れ!」です(笑)

完璧なエンターテインメント

もう、めちゃくちゃ面白かったです。スクリーンで動く三船敏郎を2018年に拝めるのは感謝しかないです。田中邦衛でクスリとし、まったりな奥方で肩を震わせ、「押入れ侍」では客席全体大爆笑、わたしも涙が出るほど笑いました。

今回も三船敏郎の三十郎は唯一無二の三船敏郎! ギラついて、めんどくさそうで、世話焼きで、茶目っ気で、べらぼう強い。なんというか「魅力的」を具現化したキャラクターなんですよね。とはいえ、です。口が悪くて身なりも汚く、頭をボリボリ、髭をいじいじ、暇ありゃ寝ていて起きても大あくび、…うっかり山岡士郎(初期ver)が頭をよぎりましたがさておき、こんな人物像がなぜ「魅力的」なんだという話で。ヒーローとは複雑な構成物から成っているのですねい。

いつもなら我が道をゆくでギラギラしっぱなしの三十郎ですが、本作でおもしろいのは入江たか子さん演じる奥方の存在。とにかくまったりペースの奥方は、三十郎のギラつきに全てふんわりと対応し、ことあるごとに三十郎のペースをかき乱します。「本当に良い刀はさやに入っているものですよ」という言葉は明らかにのちの三十郎の行動に影響を与えていますし、奥方と娘さんの提案した「椿大作戦」はのちに勝利を招きます。続編らしく「主人公の成長」という要素に大きく貢献しているキャラだと思います。

若き日の加山雄三田中邦衛が準主役級に活躍する「九人の若侍」も、ひっくるめていいキャラです。立ったり座ったり、喋ったり黙ったり、走り出したり止まったり、集団だからこそのシンプルなエンターテインメント性がよいです。田中邦衛がいい具合に愛せるおバカさんを演じてくれているおかげで、客席にも「ええい見ちゃおれん!」という一体感が生まれます。なお加山雄三は若侍グループのリーダー的存在なのですが観ている最中はそれと気付きませんでした(笑) 若い若大将はあんな顔だったのか…。

三十郎が自分とそっくりで気分が悪いと言うのも納得のギラつきを見せた、仲代達矢さん演じる敵方の室戸。このキャラクターに関してはなんといってもラストシーンでしょう。いや、びっくりした。ずっと比較的コメディ寄りのタッチで描かれてきた作品の最後で「あれ」はびっくりした。これはちょっと、旧作とはいえエンターテインメント的に言えばネタバレ案件じゃないかと思うので一応伏せておきます。ぜひ「?!」となってください。あーいうやつの、世界的元祖らしいですよ。

影技法的なところだと、よく言われる黒澤監督の「望遠好き」を初めて認識できました。派手なシーンではなくて最後の大広間のシーンなんですけど、望遠圧縮がかかってて、あっこれ広角側じゃないんだと驚きました。だいぶ距離を取って撮ってるはずなので、どんなスタジオ、どんなセットだったのかなと気になりました。あと、とにかくモブの人数が多いというのも黒澤作品の特徴なのでしょうね。普通に考えるより倍は多いんですよね。その圧倒的な人数の圧があの説得力を生み出しているのですね。

音楽はすごく聴き覚えがあったのですが、「用心棒」から同じテーマを使っているとかでしょうか? それとも、同じ佐藤勝さんなので単なる手癖? 調べても意外と出てこなかったので教えていただけたら嬉しいです。

午前十時の映画祭

初体験でした! 先月より「世界のクロサワ時代劇」と題して「用心棒」と本作、それから「七人の侍」の3作品を4Kデジタルリマスター版で上映する期間なのですが、「用心棒」は先日自宅鑑賞したためスルーしての本作。しかしこんなに楽しいのだったら「用心棒」も行くべきだったか…。 4Kレストア作業については、担当された東京現像所のこちらの記事がたいへん興味深いです。修復作業、やってみたい…。

よく言われる「髪の毛の一本一本まで見える」というのはまさにその通り、な解像度でした。やはりアナログの素材というものはすごいんですね。音像に関してもじつに明瞭で、わたしこの時代の日本映画はつい字幕付きで観てしまうのですが、字幕なしでも全く問題なく聞き取ることができました。もっとも、聞き取れないほどなのは「七人の侍(1954)」ぐらいなのかもしれませんが。

シネスコ作品ということで、映画館の大きなスクリーンで観たときの没入感が段違いです。これはこのサイズ感で観るものだ…と思ってしまった、というか味をしめてしまいました。普段なら大きなスクリーンで観ることは叶わないこういった作品を、レストアまでして完璧に体験させてくれる「午前十時の映画祭」、素晴らしい企画です。次は「雨に唄えば(1952)」が来るので、Blu-rayまで持っている作品ではありますが必ず観に行きます! 年末年始の「パリの恋人(1957)」も楽しみすぎて今から禿げそうです。ヘプバーンとアステアがスクリーンで観れる!!

余談をひとつ。上映前に「午前十時の映画祭」の次回予告で「雨に唄えば」が出たとき、後方の年配女性が「私これ観に行ったわ」とおっしゃっていて感動。「一度、スクリーンで見たかった。もう一度、スクリーンで見たかった。」というキャッチコピーがドンピシャに当てはまる状況で、思わず目頭が熱くなりました。

(2018年143本目 劇場鑑賞)

晴れて今宵は(1942)

「踊る結婚式(1941)」に続く、フレッド・アステアリタ・ヘイワースのコンビ2作目。監督は「ロバータ(1935)」も手がけたウィリアム・A・サイター。

あらすじ

裕福な家に生まれ育った四人姉妹の長女が結婚した。交際相手のいる三女と四女は追うように結婚したがるが、上から順番にという父親の方針によりお預けを食らっている。しかし肝心の次女マリア(リタ・ヘイワース)は美人だというのに「中身が冷蔵庫」で男っ気が皆無だった。どうにかしてくれという末娘たちの頼みから父親は「無名の求愛者」をでっちあげ、自ら書いた嘘のラブレターと花を娘に送り続ける。凍った恋心を蘇らせるためだった。

初めは鼻にもかけなかったマリアだが、次第に手紙の主へ興味を持ち始め、父親がうっかり送り忘れていた時には心を病ませた。同じ頃、仕事を求めてナイトクラブのオーナーである父親に接触を試みていたダンサーのロバート(フレッド・アステア)は、ひょんなことから手紙の配達役となり、何も知らずに指定先へ届ける。久しぶりの贈り物に胸を高鳴らせた彼女はロバートこそが「求愛者」であると誤解し恋心に火をつけるも、彼を良く思わない父親は慌てて猛反対。仕事を与えることと引き換えに娘を幻滅させろ、とロバートに命ずるのであった。

罪深きリタ・ヘイワース

「踊る結婚式(1941)」「ギルダ(1946)」と続けざまに観てきまして、ただただリタ・ヘイワースを拝みたいだけの男になっております。本作は萩尾望都の初期作品を思わせるようなお嬢様たちとパパと、みたいなお話でとても華やか。早くも冒頭から美人四姉妹の着飾った姿で始まりますが、そんななかでも登場した瞬間「別格」のオーラを放っている次女マリアことリタ・ヘイワース。わたしジンジャー・ロジャースとかは未だに他の人と間違えたりするので、いかに圧倒的ルックスかということでしょう。

のちの「ギルダ」でとても印象的だったバックライトはこの頃もふんだんに使われていて、赤毛が白黒に映えます。「ギルダ」ほどの妖艶さは出していないものの、美しすぎることには変わりありません。アステア演じるロバートも、アステアの役柄としては珍しく「あっちを向いていてくれないか。見られると何も言えない。心臓が止まりそうだ。」なんて言うほどクラックラ。まあもう、そういう脚本にせざるを得ない罪な美貌なのですよリタ・ヘイワース

もちろん彼女の場合は美貌だけでなく、ダンサー上がりゆえの見事なダンスも見ものです。「踊る結婚式」の冒頭でもアステアに寸分違わず食らいついてくるダンスをしており驚いたものですが、今回もキレのあるダンスから優雅なダンスまで大いに魅せてくれます。ただ、吹き替えなのに歌のシーンがやたら多いのはちょっと気になります(笑) ミュージカルだから仕方ないか。

アステア映画の楽しさを噛みしめる

競馬好きなダンサーという役のアステア、これはつまり本人通りということで。アステアは副業で馬主もやっていたほどの競馬好きです。なぜかアルゼンチンが舞台の本作では、「NYでは人気ダンサー」なアステアも無名のダンサー。どうにかナイトクラブで仕事をもらおうとオーナーのオフィスで芸を披露するシーンがあるのですが、これが絶品。アステア曰く「見て、気に入れ!」

思わず前かがみになり、あんぐりと口を開けてしまうようなパフォーマンスです。ほんとね、こーいうやつが、アステアはすごいんですよね!! 「恋愛準決勝戦(1951)」の帽子掛けダンスとか、他にも山ほどあると思いますけど、長回しで一体何テイク撮ったんだろうと思わせるような超絶小技の畳み掛け。あ〜〜アステアはすげえなあ〜〜楽しいなあ〜〜と嬉しい溜め息が出てしまいます。

ちなみにこのダンスは、スタジオ近くの葬儀場の一室を借りてリハーサルしていたのだそう。自伝で覚えのあったエピソードですが、これだったとは。

コロンビアの敷地内は当時いろいろな撮影で満杯で、リハーサルの場所を見つけるのが難しかった。リタとわたしはまずしばらくのあいだ、ハリウッドの街の市民会館で稽古をした。それから実際の撮影が始まるまでの残りの時間、スタジオの近くで使用可能だったのは、サンタモニカ大通りに面したハリウッド墓地内にある、葬儀場の一室だけだった。そこは建物の二階にある談話室のような部屋で、広大な墓石の海を見下ろすことができた。最も華やかで、最もグラマラスなエンタテインメントを、この驚くべき仕事場で考案することになっているという事態を、わたしたちは大いに笑い話にした。

(「フレッド・アステア自伝」p327より引用)

アステア映画を観たあとは必ずこの「フレッド・アステア自伝」の該当箇所を読み返しているのですが、アステアの語り口が軽妙で何度読んでも楽しめます。ファンには非常におすすめの一冊です。

フレッド・アステア自伝 Steps in Time

フレッド・アステア自伝 Steps in Time

この自伝を読んでいると、いかにアステアが常に新しいパフォーマンスを模索していたかということが伝わってきます。もう20本以上アステアの作品、それもざっくり言えば似たようなタイプの作品ばかりを観てきているのに、観るたびにこれだけ長文を書けてしまうほど楽しめているというのは、まさにそのアステアの努力があってこそと言えるでしょう。

ザビア・クガート

舞台のブエノスアイレスがタンゴの本場だからか、ラテン音楽の巨匠であるらしいザビア・クガートと彼の楽団が全編通して出演しています。序盤のアテフリじゃない(とはいえ別録りかもしれませんが)演奏シーンは本物のバンドならでは。ドラム(当時のティンバレス?)のヘッドに手を押し付けてピッチベンドさせる奏法、マレット4本持ちのマリンバ演奏、しっかり3-2を刻むクラーベの女性などなど、わたしアマチュア打楽器奏者なのでそういうところばかり見てしまいますけどしっかりリアルな映像になっております。

バンドリーダーのクガートは助演男優賞レベルの出演をしていて、じつに芸達者。途中でクガートが似顔絵を描いているシーンがありますが、彼はかつて漫画家だったのだとか。それも新聞社の漫画家ということなので風刺漫画家ってことでしょうね、実際このシーンが風刺画ですから納得です(笑)

といったところで。脚本的には「踊る結婚式」同様にラストで「ん?」と少々腑に落ちない感じになったりもしつつ、麗しきリタ・ヘイワースと常に新しいフレッド・アステアを堪能できるとてもよい作品でした。

(2018年142本目)