映画「モガディシュ 脱出までの14日間(2021)」感想|到底追いつけない韓国映画の志とクオリティが悔しい
久しぶりの映画館。リュ・スンワン監督作品『モガディシュ 脱出までの14日間』を観てきました。
凄かったです。息呑みっぱなしでした。結論から言うと、韓国はこういう映画に莫大なお金をかけることができ、とてつもないクオリティの作品を仕上げることができ、そしてそれを大ヒットさせることができる国だということをあらためて思い知らされました。正直悔しい。モヤモヤする。日本にね。そんな気持ちになった方、多いんじゃないかと思います。
時は1990年。国連未加盟の韓国は、賛成票を投じてもらうべくアフリカ諸国でロビー活動をしています。ついでに北朝鮮も同じことをしています。常時にらめっこ状態です。しかしソマリアの首都モガディシュに駐在中、ソマリアは当時独裁政権なのですけど、各国の大使たちはそのソマリア政府と一応繋がっているわけなので、反政府軍が全ての大使館を敵認定して宣戦布告してきます。
で実際次々と大使館は攻撃されてしまいます。北朝鮮の大使館も壊滅的にやられ、中国大使館を目指して命からがら飛び出しますがそちらも火の手が上がり、最後の最後の最後の手段で「南朝鮮」の大使館に匿ってもらえるよう直談判。まあなんか有利に働くこともあるだろと渋々受け入れた韓国側ですが、もはや暴動ではなく内戦と化した状況に韓国大使館も当然無事ではなく、お互いのパイプを活かしながら一時の精神的休戦で共に脱出方法を考えようということになる、そういうお話です。
『アルゴ(2012)』みたいな映画を想像していたので、それも合ってるんですが、加えて「南北もの」だったことが意外でした。いや、ポスターに「北朝鮮」ってワードあるんですけどね。わたしとにかく事前情報を無意識に遮断するタイプなので、書いてあっても目に入らないんですよね。それでいっつもポスターに書いてあるようなことにすら「そんな映画だったのか!!」と驚いている、めでたい人です。
やっぱりなんでしょう、『シュリ(1999)』『JSA(2000)』から『工作 黒金星と呼ばれた男(2018)』だったり、そして『愛の不時着』などなど絶え間なく生み出されていく「南北もの」は、現在進行形で未解決の問題だからこそ「こうだったらいいのにな」と非常にビターな後味を残し、かつ胸が熱くなることもある程度約束されている、韓国エンタメのじつに皮肉な「強み」ですよね。
本作のそれは心温まる場面もまずしっかりあって、特にあの晩餐シーン。そこまでの緊張感から、食卓を囲んだだけで泣ける、っていう。それでいて最後の最後、非常にシビアなあの「機微」。あれをラストカットにできる韓国映画は本当に質が高いなと唸らされました。
ソマリアの騒乱の残忍さ生々しさも、全く半端ではない描き方がされていて。比較的序盤、これはまずいことになってきたぞという段階での、とある青年の顛末。警棒ってもう少しソフトな素材のイメージがあるんですけど、明らかに人を殺すための棒だぞこれはという、疑いようのない「致死」の音、飛び散る何か。あのシーンで遅ればせながら、こんな覚悟して観なきゃいけない映画だったかと気付いたかたちです。
幼い子どもたちが銃を持ってヒャッハーしてるような状態もエグくて、『シティ・オブ・ゴッド(2002)』なんかを思い出しましたけども。あの「3人の子ども」のシーンは息も瞬きもできない感じでしたね。しかもそこで感情移入させられているのが北朝鮮の人たちである、というのがまた作りとしてうまくて。「受け入れる/受け入れない」に関しても、『マイスモールランド(2022)』『FLEE フリー(2021)』といった作品で難民問題を身近に感じた後だと全く他人事ではないというか。
最近よく見るな?!ってなる終盤のカーチェイスも、あそこまでの状況を見せられているとわりと妥当な行為であって、緊迫した空気のなかでかろうじて満身創痍のエンタメ感を放ってもおり、とはいえ白旗が白旗じゃなくなっちゃう某くだりなどは思わず笑ってしまったもののすぐ笑えなくなり(忙しい)。いやはや。
結論はとにかく最初に書いた通りでございます。凄かった!そして落ち込んだ。これはぜひとも、劇場でその「差」を見せつけられて愕然としてください、な映画です。
(2022年118本目/劇場鑑賞)