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濱口竜介監督作品「ハッピーアワー」「PASSION」「何食わぬ顔」感想|渦巻く本音の会話劇たち

Bunkamuraル・シネマの企画上映濱口竜介監督特集上映《言葉と乗り物》+『寝ても覚めても』特別上映」に丸一日籠ってきました。今回観たのは以下の3本です。

日本映画初となるアカデミー賞作品賞ノミネートにより近作『ドライブ・マイ・カー(2021)』が世界的に注目を集めている濱口竜介監督。その初期作品2本と、317分尺のミニマムな超大作について、鑑賞順に書いていきます。


『PASSION(2008)

東京藝術大学大学院映像研究科の修了作品として製作されたらしい本作、はっきり言って「卒制」的なものから想像するクオリティでは全くありません。なんなら今最新作として出しても疑わないくらい。尋常でない才能を感じて恐ろしいです。

物語は、結婚・出産といったライフステージの転換期に差し掛かった男女たちが、ある飲み会を境に「本当の気持ち」を探し回るもの。本音が渦巻き、倫理観も揺れる。誰がどう見ても濱口作品、という感じの濃密な会話劇でした。あまりに濃密なので3時間尺くらいの体感で観ていたらじつは115分しかなくて驚き。どれだけ煮詰めたのか。

大きな見どころは、最新作『偶然と想像(2021)』のキャストが3人出演していることでしょうか。『偶然と想像』第二話の「教授」こと渋川清彦さん、第三話で「再会」した二人・河井青葉さんと占部房子さん。みなさん少しずつお若いですが、特に河井さんのふんわりとしたつかみどころのなさ、占部さんのジュリエット・ビノシュみなどが印象的でした。

演出面では、会話のキャッチボールならぬフリスビー。それも光る! 真っ暗闇でフリスビーをする発想自体すごいですが、横軸だけでなく縦軸にも展開する「取ったら喋る」システムがぞくぞくしました。それから、突然のホームルーム。「暴力」についてのディスカッションは、今回観た3本に共通するものです。

1本目にして脳味噌フル回転。圧巻の作品でした。「ランドマークタワーが見えているから横浜のようだけど全く知らないロケーション」が頻発することにも痺れました。知っているようで、何も知らない。あの景色は「横浜」の本音?

『何食わぬ顔(long version)(2002)

こちらは東京大学在学中に8mmで撮ったという、今度こそ「自主映画」らしい作品。よかった、こういう感じの素人臭い映画も撮れるんだ、と安心したのも束の間、語っていること描いていることがあまりにもブレていないためやはり恐ろしくなるのでした。これは大林宣彦監督クラスのブレなさだぞ……。

本作のストーリーは、映画研究会の面々を主な登場人物として進んでいきます。死んだ先輩の意志を継いで映画を完成させよう、という「中心人物が登場しない」タイプの作劇で、前半では「追撮」の模様を、後半では劇中劇として「完成した映画」が披露される構成です。

前半はあまりにも地味で、たかが「サンドイッチを落としそうになるシーン」で全身がビクッとしてしまうほど。とはいえ、冒頭で暗闇のなか男子三人がサッカーをするシーンは確実に『PASSION』のフリスビートークを思わせるものであったり、買い物やら便所やらで会話の組み合わせがセッティングされる様などもやはり後の作品に繋がっていく要素だったり、そういったものは随所に散見されます。

そして後半の劇中劇。映像の質や出演者は同じでありながら、今度は一転しっかり劇映画なのです(にくい!)。無言が多かった前半に比べて圧倒的に言葉数の多い「会話劇」になっているし、演出もいちいち濱口映画っぽい。好意の矢印あっちこっち、いじめの話、地震。特に堪らんかったのは終盤、電車の中でひたすら「辞書を音読」するだけのシーン。地下と地上を出たり入ったりする車窓とワードの偶然なリンク。「夏めくの次ナツメグなんだよ?」。ただの音読がなぜこれほどおもしろいのか。これは『ハッピーアワー』にも繋がっていきます。

『ハッピーアワー(2015)

来ましたハッピーアワー! こちらですね、非常に高い評価は聞いておりまして、『寝ても覚めても(2018)』で音楽を担当したtofubeatsさんなんか本作のことを「一番好きな映画です」と言っていた、気がします(ソースは探せていない*1)。で、ただ、317分あるんですよね。

さすがに怖気付いてしまいこれまで観れずにいたのですが、今回ル・シネマで観れる! 映画館という環境で観れる! 今しかない! そんなわけで前述の2作品を観た後さらに5時間17分+10分間の休憩2回(!)付きで5時間37分、まあ実質6時間くらい浸ってまいりました。これがまた、お客さん大入りなんですよ。なんて素晴らしいんだ。

さて本作、長尺だからって感想まであまり長くしたくはないのですが、とりあえず「4人のアラフォー女性」を中心とした、やはり「本当の気持ち・本音」にまつわる物語です。


映画「ハッピーアワー」ポスター
映画「ハッピーアワー」ポスター


キービジュアルになっている「ケーブルカーに女4人」のシーン。これ一体どこで出てくるのかな〜と楽しみにしていたらいきなりド頭でした。馴染みのない顔が、やけに人間臭い顔が4つ。これからの5時間17分で、この4つの顔が自分の人生に入り込んでくるのかと思うとわくわくします。どうやら場所は神戸・六甲山。雲に覆われ何も見えやしない展望所でランチボックスを広げた彼女たちが早くも次の旅を計画しています。ラストシーンでは「ハッピーアワー」が見れるのかしら。誰しもそんなことをとりあえずは予想してみる幕開けですが、ま、そんなはずはありません。

この映画は「5時間17分」をどう使っているのか。それは「実体験」だと思いました。劇中で2回ほど、虚実の境が消える「ほぼノーカット」の部分があります。ひとつは序盤「ワークショップ」。もうひとつは終盤「朗読会とアフタートーク」。軽い気持ちで参加したワークショップでは、徐々に「胡散臭く」なっていく様を(やべえ)と思いながらそれでも最後まで参加させられます。朗読会ではひとしきり新作小説のお披露目朗読を拝聴したのち、質疑応答まで含めたあまりにも飾りのないアフタートークにやはり最後まで参加してしまいます。

普通なら適当なところでカットされるこれらの場面、本作はなんたって時間がありますから全部参加できてしまうわけです。これはもはや映画体験を越えた実体験。何も奇抜なことはしていないのに、映画という固定概念の上ではとんでもなく奇抜。不思議でした。そしてこれら2つの場面に共通してついてくるのが「打ち上げ」です。イベントを「実体験」してきた観客は、つまり打ち上げにも実感を持って「同席」することになります。そして地獄を見ます。耐え切れないほどスリリングな会話に、わたしは2回の休憩どちらも「怖い……」とつぶやきました。

そんなわけで、通常「映画」という枠組みでは時間不足で描き切れないところまで描けていることが本作の特徴と言えましょう。5時間17分、テレビドラマ換算だと5〜6話程度ですがそれだとちょっと感覚が違って、より近いのは「朝ドラ約1ヶ月分」かなと思いました。朝ドラは通常のドラマシリーズだと描き切れない行間まで描けることが大きな魅力。本作の濃密さは朝ドラに近いです。朝ドラの魅力は総集編では伝わらない。『ハッピーアワー』の魅力も、感想文ではきっと伝わらない。観て!と言うほかないのかもしれません。

なのでまあ、もう細かい部分の感想は終わりにして(現時点で4,000字近いし)観終えてみての感想なんですが、好きなように生きたいと思いました。今でも十分好きなように生きてるんだけど、もっと自分に正直に、好きなように生きてみたい。人生の可能性はいくらだってひらけているのだから。縛られてはいけない。5時間17分の映画があってもいいように、わたしの人生も、みんなの人生も、もっと規格外であっていい。

もちろん現実としては、そう簡単な話ではないでしょう。それこそ「映画」にでもしてもらわない限り肯定されないことかもしれない。だけどこの気持ちを持てたことは大きい。人生のロールモデルたる彼女たちと出会えたことは大きい。劇中、最終的に彼女たちが置かれた境遇は概ねハッピーアワー的なるものとは程遠い。しかし、くたびれた顔で反射的に電車へ乗り込んでしまった彼女も、白んだ空を見ながら長い道のりを歩く彼女も、すごく解放されて見えた。

——そんな、ちょっとこいつ大丈夫か的なことを心から思えるほどの体験ができる5時間17分でした。キービジュアルになっている「ケーブルカーに女4人」のシーン。いま見ると、まったく見え方が違うのです。

(2022年44〜46本目/劇場鑑賞)

最強のサブテキストを買わねばです。そして『ドライブ・マイ・カー』も今一度観直してみたい。アカデミー賞、どうなるでしょうね。あ、最終的に5,100文字です。駄長文にお付き合いいただきありがとうございました。

追記:翌週も特集上映でル・シネマに籠城。『親密さ(2012)』ほかの感想はこちらから。