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主に映画の感想文を書いています

映画「ウエスト・サイド・ストーリー(2021)」感想|ニューヨーク再開発という時代背景に注目する

観てから2週間ぐらい経ってしまいました。何が。スピルバーグ監督の『ウエスト・サイド・ストーリー』が。

やっぱりなんか、ビッグタイトルすぎて億劫になりますね。宇多丸さんが一万円払ってガチャ回避した気持ちもわかる。でも結局当てちゃったので、今週のムービーウォッチメン放送前に書いてしまわねばと急いでいるところです(【説明】2/18放送のムービーウォッチメンにて次回評論作品のガチャに当たるも諭吉を投じて回避、次に出た『ちょっと思い出しただけ』に変更。しかし翌週2/25のガチャタイムで再び当ててしまい、俺の一万円なんだったんだよ!と吠えながらやむなく受けることに。今週3/4の放送で評論予定。ちなみにガチャ回避の一万円は災害などの募金に使われます)


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映画「ウエスト・サイド・ストーリー」海外版ポスター/かっこいい


で、もちろんいろいろ思ったこと書きたいことはあるんですが(ノートにも書き殴ってあるんですが)、とはいえ巷に感想の出尽くしている時期でしょうし、ここはちょっとピンポイントに、ややニッチな興奮を主として記録しておこうかなと考えています。

先に全体のすごく大きな感想を書いておくと、「映画だ…」という、とにかくそれに尽きる作品でした。そんじょそこらの映画よ!見たか!これが映画だ!! そんな気持ちになっちゃいました。冒頭のサラウンドな口笛から映画館の価値大ありですので、どうかこれは劇場でご覧ください。

さてでは、ここからはややニッチなほうの興奮をお伝えしていきます。キーワードはずばり「ニューヨーク再開発」。1961年の『ウエスト・サイド物語』ではマンハッタンの空撮から始まりますけども、今作はどういうわけかアパートの瓦礫から始まるんですよね。おっ、なんだ? と思っていると、「スラム街撤去」的なワードと「リンカーン・センター」の文字が出てくる。はっ、これは!! まさに「ウエスト・サイド」から始まるんだ……!!

すごく当たり前のことを言っているようではありますが、この物語の舞台となるニューヨーク・マンハッタンの「ウエスト・サイド」って、今はメトロポリタン歌劇場などアカデミックな施設が立ち並ぶリンカーン・センターとなっている場所で、それは1950〜60年代ごろに推進されたスラム街の再開発で生まれたものなんですね。で、そのスラム街に暮らしていたのが本作のマリアでありトニーであるわけです。1961年版の映画ではあくまで時代背景でしかなかった部分ですが、今作はいきなりストレートにそこからくる。興奮です。

なぜそんなことで興奮しているかというと、それは以前わたしが映画『マザーレス・ブルックリン』に大ハマりしたことに関係します。

エドワード・ノートンが監督・脚本・製作・主演をつとめたこの映画。舞台は1950年代ニューヨーク、そして背景に都市計画問題が渦巻くノワールです。もとより都市としてのニューヨーク(マンハッタン)が大好物だったわたしは、この映画をきっかけに当時の都市計画問題について調べ始めます。それをまとめた記事がこちら。

『マザーレス・ブルックリン』には、悪役ポジションで登場するモーゼス・ランドルフという男がいます。このキャラクターは「ロバート・モーゼス」という実在の人物がモデルとなっていて、彼は何をした人なのかというとざっくり言えば「今のニューヨーク」を作った人です。行政側の人間なので大きくクレジットされることはないものの、今のわたしたちが親しむニューヨークの街並みにはかなりの部分モーゼスの息がかかっていると言っていいでしょう。

で、先ほどから挙げているリンカーン・センターも彼の代表的なプロジェクトなんです。彼の功績を記した書籍『評伝ロバート・モーゼス 世界都市ニューヨークの創造主』からいくつか引用してみます。

 モーゼスは住宅供給にも極めて熱心で、都心のあちこちに散らばるスラム街にブルドーザーを入れ更地にした土地の総面積は三〇〇エーカーにものぼり、そこに二万八四〇〇戸を収容する高層住宅の数々を建設した。

 彼が関与した作品群はまだほかにも無数にあった。リンカーンセンター、国連ビル、シェースタジアム、ジョーンズ・ビーチ、セントラルパーク動物園と枚挙にいとまがないが、今日のニューヨークの繁栄を支える都市インフラの充実はモーゼスなしには語れない。偉大なマスタービルダーとして、モーゼスの推し進めたニューヨーク都市創造は全米に伝播し、その影響は計り知れなかった。

(「評伝ロバート・モーゼス 世界都市ニューヨークの創造主」p14より)
 セントラルパークの西南端の入り口であるコロンブス・サークル周辺の五八丁目から六〇丁目にかけて、スラム撤去、そして大規模催事会場コロシアムの開発を行った。(中略)モーゼスは、このコロシアムを手始めにウエスト・サイドの蘇生に手をつける。「進歩の大鎌は北に進む」とばかりに、さらに北上してセントラルパークの西側にタイトル1を適用した大規模事業を展開し、リンカーンセンターを誕生させた。

(「評伝ロバート・モーゼス 世界都市ニューヨークの創造主」p194より)

わたしあくまで後世の人間として、愛すべき今の大都市ニューヨークを作り上げてくれたモーゼスのことは擁護派なんですリンカーン・センターにも行きました。ただ、何事も「視点」ですよね。今回の映画を観たあとにこれらの記述を読むと、ほんの一行とかそこらで書かれている部分に、狭〜〜い行間の部分に『ウエスト・サイド・ストーリー』があるわけですから。なるほどモーゼス、ぐぬぬ、という気持ちにもなってしまう。まあ、これは歴史のおもしろさとしておきます。

ちなみに! 今回の映画には「ロバート・モーゼス」の名前が出てくるんです! 確か『アメリカ』のシーンだったか、アニータ中心に街中を練り歩いていくなかで、再開発に反対する人たちが「ロバート・モーゼス」と書かれたプラカードを持ってデモしてるんですよ。新興住宅地の広告パネルなんかも同じシーンに出てきますので、これからご覧になる方はちょっと気にしてみていただけたらと。あのあたりは『イン・ザ・ハイツ(2021)』とも重なる場面でしたね。

あとはなんだろう、そうそう、『ウエスト・サイド・ストーリー』といえばあの「ロープに洗濯物」なマリアのアパートが印象的ですけども。わたし(ここまでいろいろ熱弁しておきながらまことに)恥ずかしながらあの風景をスラム街だとは認識していなくて。今回、映画を観てから前述の書籍を読み返していたら、そのものずばりマリアのアパートな「あの風景」が「当時のニューヨークのスラム街の光景」として写真で出てきたんです(p16)。読んでるはずなのに覚えてなくて、ギョッとしました。

こういった都市の歴史にご興味ある方でしたらかなり楽しめる一冊『評伝ロバート・モーゼス』。非常におすすめです。映画『マザーレス・ブルックリン』も再度併せておすすめいたします。

今回わたしは偶然そのへんのことを調べていたので背景として「よく見えた」のですけど、もっと隅々まで解像度高く見たい知りたい……と全編通して思わされるスピルバーグ版でした。以上ここまで、ニッチかもしれないほうの感想でした。

やっぱり書きたいはみ出し雑感
  • 雇用環境が生々しい描写に変わっており印象的だった。マリアの仕事が「夜」だと言うのだが、なにやら繁華街を歩いているのでどこへ行くのだろうと思っていたら深夜のビル清掃だったんである。確かに、そうなのかもしれない……。

  • 生々しいといえば、命の重みも全体的に増している。「死ぬ」ということをかなり具体的に描いている。罪を繰り返さないようどうにかぎりぎりまで踏ん張るトニー、しかし……。決闘シーンのなるべくしてなってしまった感は、説得力と悲しさが強まっていた。

  • 1961年版はリフを悪玉、ベルナルドを善玉のような描き分けにしていたと思うが、今回は逆になっていたのがおもしろかった。マイク・ファイスト演じるリフの深みがとてもよかった、イコール悲しい。とにかくこの作品は、描写が丁寧になればなるほど悲しい。

  • 1961年版ではおちゃらけていた「クラプキ巡査どの」は、今回とても悲壮感の見え隠れする、かつ舞台映えする一曲となっていた。歌詞の「女装」とかそういう部分はそのまんま残しているのだけど、1961年版よりも彼らの背景が見えやすいので不適切な表現という印象は意外に受けなかった。午前10時の映画祭で先日『スタンド・バイ・ミー(1986)』を観たが、あの作品に流れている「誰にもそれぞれの地獄がある」みたいな感じが今回の「クラプキ巡査どの」にもある。

  • 曲順が結構違うので(なおわたしは1961年映画版しか知らない)、わりと最後のほうまで「今回は最悪の結果にならないんじゃないか??」と期待していた。

  • 個人的には新旧映画版どちらも、チノのことがよくわからない。

  • ドクの店の女性店主リタ・モレノさんは1961年版のアニータだったのか……!! 全然気付かなかった。すごく大事な役どころで、素晴らしい抜擢。そして今回のアニータ、アリアナ・デボーズさんも素晴らしい。強さ、かっこよさ、ダンスのキレ。最高。最後にあのデマを信じちゃうところは彼女っぽくないと思うんだけども。

  • レイチェル・ゼグラーさんのマリアも総じて素晴らしかった。ベルナルド一家の家族みをしっかり演出していたことが、様々な面で効果的だった。朝の情事を横目に「私いるんだけど」とか、何よりマリア自身のアリバイ朝支度シーンの可愛さったら。末っ子感たまらんわ。で、言うまでもなく、イコール悲しい。

  • 何を今更だけど、名曲揃いですごい。『トゥナイト』とかうわ〜〜〜って涙出てきちゃったもん。演奏もバッキバキの新録でかっこいい。ただ全体的にリアル度が増してるぶん、ジュークボックスからあの音質でマンボ流れてきたのにはちょっと冷めちゃった。

  • チャチャでマリアとトニーが二人だけの世界になるとこ、1961年版だと当時なりの視覚効果で頑張ってるんだけど、今回は単にカメラの動きと望遠使いだけで見事に「その雰囲気」を出していて感動した。

  • 物干しロープそういう仕組みになってたんだ。

  • トニーなんでそこにベッド置いたの。めっちゃゴミ落ちてくんじゃん多分。


はみ出し雑感が思いっきり長えな。失礼しました。これにて終了ですが、最後にもう一つだけ。「スピルバーグがミュージカル??」と思われた方は、ぜひドラマシリーズSMASHをご覧ください。スピルバーグ、ミュージカルやってます。 海外ドラマ「SMASH」シーズン1 雑感/スピルバーグ製作総指揮〈マリリン・モンローの人生を題材にしたミュージカル〉の製作舞台裏を描くドラマ


以上、スピルバーグ『ウエスト・サイド・ストーリー』感想でした。スピルバーグが新作出してる時代に生きてて超ラッキー。つくづくそう思うのです。

(2022年27本目/劇場鑑賞)

1961年版も直前に予習(復習?)してから観ました。鮮明な記憶で比較して観れるとおもしろいので、予習復習おすすめです。

追記:後日、ムービーウォッチメンの放送をチェック。3/4の回はOPから隙間時間に至るまでひたすらウエストサイド回でした。そして、宇多丸さんいきなりロバート・モーゼスの話をするという……。先に書いといて良かった……!(なんの張り合い)