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映画「血を吸うカメラ(1960)」感想|精神疾患を克服しようと努力するシリアルキラーの物語

ラストナイト・イン・ソーホー(2021)』にまつわる映画といいますか、エドガー・ライト監督のルーツにあるような映画を観ていこうということで先日も『反撥(1965)』『赤い影(1973)』などを観ましたが、今回は1960年のマイケル・パウエル監督作品『血を吸うカメラ』です。


映画「血を吸うカメラ」日本版ポスター
映画「血を吸うカメラ」日本版ポスター


タイトルからしてB級C級のにおいがぷんぷんするのですけども*1、驚いたことにこれが非常にしっかりとした、深みのある作品でした。同年公開のヒッチコック作品『サイコ(1960)』と比較され、より倫理的に過激だったこちらは当時えらい酷評を受けたのだそう。でも今となっては本作のほうが古さを感じさせない内容なんじゃないかなと個人的には思います。

主人公はシリアルキラーの青年。具体的な描写こそありませんが彼が何食わぬ顔で女性たちを次々と殺めていること、またその時に撮影した映像を鑑賞して再度愉しんでいるらしきことが冒頭から察し取れます。彼はカメラのファインダーを通して「人が死の恐怖に怯える表情」を見るのが病的に好きでした。撮影所で助手として働く一方、欲求を満たすため女性たちに度々「カメラを向けて」いたのです。

まあ、よくあるサイコパスの話ではあります。ただ本作で興味深いのは、主人公がこの衝動を「克服」しなければと苦しむ展開です。彼の成育環境は劣悪で、著名な精神科医である父の実験台として彼は常に意図的な恐怖を与えられ、怯える姿を撮影・録音されていました。まず加害者である以前に被害者であったという描き方をされているわけです(殺人犯に感情移入させるというこのへんが、当時の倫理観的にはかなりアウトだったようです)。

そしてあるとき、主人公は女性と恋におちます。普通であれば衝動に駆られて手を下してしまうのだろうと予想するところですが、彼は何度も必死に堪えます。片時も手放さなかったカメラを持たずにデートへ行ったり、精神科医に相談したり、彼女と距離を置こうとしたりします。しかし最終的にどうしようもなく追い詰められた彼は悲劇の結末を選び、幕が下ります。

シリアルキラーサイコパスとされる人物がそれを精神的疾患であると自覚し、克服しようと努力する。この描き方はなかなか見ません。もちろん彼がそれまでに犯した罪は罪でしかありませんし、事情を説明されて「それは可哀想ですね、みなさん許してあげてください」という話では全くありませんが(『ラストナイト・イン・ソーホー』のラストでエロイーズが「懇願」を突っぱねたように)、映画の展開・結末としては『サイコ』の服装倒錯オチよりは現代の鑑賞に耐えうる作品じゃないかなと思いました。

そのほか、映像の色彩が非常に美しいこと、1930〜40年代あたりのハリウッド映画を思わせる撮影所内幕ものの楽しさなど、B級オカルトホラーなのかなと思って観ると全く予想外なおもしろみがいろいろある一本でございました。あと、主人公の愛用しているカメラが今となっては一周回ってiPhoneのトリプルカメラにしか見えないところもおもしろポイントです。

映画「血を吸うカメラ」より
映画「血を吸うカメラ」より

(2021年217本目/U-NEXT)

*1:原題は「のぞき魔」「出歯亀」を意味する『Peeping Tom』で、ヒッチコックの『裏窓(1954)』を連想させます。カメラがキーアイテムとなる点も共通です。