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主に映画の感想文を書いています

映画「寝ても覚めても(2018)」感想|観客と袂を分かつヒロイン。理解はできないが、好き。

柴崎友香さんの同名小説を原作とした濱口竜介監督の映画寝ても覚めてもを観ました。はてなブログの編集画面、今ちょうど「【今週のお題】煮ても焼いても」ってのが出てて惑わされます。肉に逆らえない。


映画「寝ても覚めても」ポスター
映画「寝ても覚めても」ポスター


濱口監督といえば現在公開中の『ドライブ・マイ・カー』が話題。と言いつつわたしはこれまで一作も観たことがなく、今回シネマ・チュプキ・タバタの開館5周年アンコール上映にかかっていたことからさしたる動機もなく観ただけだったのですけど、うーん、これはこれは。すごい好きなやつでした。こんなん『ドライブ・マイ・カー』絶対観なきゃいけないですね。

まとまる気がしないので見出し立てまくってどんどんいきます。ぶっきらぼうにいきます。

困惑の掴みがすごい

オープニング。三浦翔平かな?みたいなロン毛ボサボサ猫背ぴたぴたサンダル男が東出くんだったときの衝撃。と、笑ってはいけない感。やばい、東出くんずっとこの出立ちだったらやばい、笑ってしまう。ていうかもしかしてヒロインらしき娘も普通じゃないな、なんだこれは。傍観者・伊藤沙莉さんの怪訝な目つきだけが救い。

とりあえずこのなんだかよくわからない幕開けでわたしの期待は大いに高まる。だって、変な映画が好きだから。

お好み焼きパーティー

いきなり時は流れ、東出2号「亮平」登場。めっちゃいい東出。いい東出昌大の結晶みたいな男。

彼がとことん「いい奴」であることを観客に強く印象付け、かつ「この映画、油断できない」を見せつけてくるお好み焼きパーティーは序盤の大きな見せ場。この上なく最悪な出会いから見事に場の空気を立て直す亮平の人間力、それどころか「あ、こいつらくっつくな?」とすら思わせる脚本力。瀬戸康史さんの独演から先いっさい目が離せなくなる、舞台劇のような緊張感が至高の名シーン。

不意打ちの未曾有

お芝居の昼公演を観に来た亮平が地震に遭う。あまりにも唐突な展開に心底びっくりしつつ、即座に脳内デスクが大わらわ。昼公演……秋冬の装い……交通麻痺の規模……。明確な舞台(時代)設定はこれまでアピールされていなかったはずだが……きたぞ「5年後」! あとはどこかに「2016」が見えれば間違いない……あった2016!!

全編通して震災やそれにまつわるエピソードの詳細が語られることはほとんどない。「東日本大震災」なんてワードは一度も出てこないし、仮設住宅が出てきても、仙台の防潮堤が出てきても、映像が語る以外のことは語られない。

この感じがすごく好みで、韓国映画における近現代史の語られ方と近い気がした。例えば『はちどり(2018)』に出てくる「ソンス大橋崩落事故」みたいな。この映画を数十年後の若者が観たら「あのシーンってどういう意味があるんですか?」とかいう知恵袋が乱立するかもしれない。そんな塩梅の描き方。

語りすぎない脚本の妙

震災についてもそうだがとにかく省略が巧みで、「みなまで語るな」過激派としてはにやけっぱなしの脚本。特に印象的なのが、伊藤沙莉さんと再会した直後のレストランシーン。突然の離席を「ああ、親知らず」で済ませてしまう妙技。

自然な不意打ちを得意にする一方で、「予想がついてしまう」ことをしっかり裏切らないという王道路線での脚本力もすごい。このパターンで特に印象的なのは「麦」がマンションに来るシーン。なぜそう思ったのか覚えていないし説明できないけれど、インターホンが鳴ったあの瞬間「来る…!」と確信したし、その通りのことが起きた。う〜ん、巧。

女友達のキャスティング

ヒロイン唐田えりかさんの両脇をかためる伊藤沙莉さん&山下リオさんという超豪華バイプレイヤーズの存在がただただ素晴らしい。日本映画界で今最も強力な女友達と言っても過言ではない。

なかでも、東京での交友関係が最高の仕上がりを見せているホームパーティーでの一幕はあまりにも平和で美しく忘れがたい。男たちがコンビニへ行っている間ソファでガールズトークに花を咲かす彼女たち。映画の「構成」を踏まえるならばこれが「束の間」であると分かっているからこそ美しい。

そしてその平和な日々が崩れた日。伊藤沙莉さんから届くメールの、なんとナイスな距離感よ。おばあちゃんになった頃、笑い飛ばせるようになっとるとええな。これってつまり、田中美沙子さん演じるあのお母さんが何度も笑い話にしてる「あれ」ってことか。

切なすぎる「ニ」

あのお母さんといえば、あの息子である。渡辺大知さん演じる彼は終盤、なんともコメントしがたい姿で再登場する。端的に、つらい。キッチンで乾かされている管が演出細かい……とか、ツッコミのブザーとか、映画的に楽しめる要素はあるけれど、つらい。

渡辺大知さんといえば、『勝手にふるえてろ(2017)』の「ニ」。母性本能をくすぐられる(わたしは男だが)あの感じは生まれもったものなのだろうか。奇しくも本作のW東出は「イチ」と「ニ」的な話でもあり、ちょっとおもしろい。

感情移入させないヒロイン

言及が最後になってしまったけれど、なんといっても堂々のMVPは唐田えりかさん演じるヒロイン「朝子」。先入観的には東出くんのほうがサイコパス俳優だけど、本作では純朴な顔立ちの彼女こそ得体が知れない。

何より、終盤とある決定的なシーンにおいて劇中世界の人物たちだけでなく観客とも袂を分かつ朝子が強烈。もちろん彼女に感情移入できる心境の観客も一定数はいるだろうけど、わたしは「えええ嘘でしょ」と思ったし、おそらく多数派のほうだと思っている。仙台の改札口で立ち尽くす仲本工事さんが観客代表かもしれない。あのおじさんが言い放つ粗雑な台詞は、しかし真実。

ラストシーンの「ベランダ」「川」「ふたり」。連想するのは『花束みたいな恋をした(2021)』の麦と絹(そうだこっちも麦だった)。「人はなぜ人を愛するのか? その人の何に惹かれ、なぜその人でなくてはならないのか─?」。『花束』の場合はそれがサブカル趣味だったから、精神的余裕を無くしたパズドラ男に幻滅する。いや、そんな単純な話でもないのだけど。でも案外同じような話。振り回される猫さんにもご意見伺いたい。

(2021年162本目/劇場鑑賞)

観終わってから「あっ、これって、あの」とゴシップめいたことに気付いてしまったけれど、それはそれとして、と無思慮に言わせてほしい。好きです、この映画。

追記:『ドライブ・マイ・カー』観ました。