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主に映画の感想文を書いています

萩尾望都さんの手記「一度きりの大泉の話」がすごくフィットしたという話

「一度きりの大泉の話」書影

漫画家・萩尾望都さんの手記『一度きりの大泉の話』を読みました。

ここのところ話題になっているのをよく見かけて、萩尾望都さんは大好きですし、なんか貴重なお話らしいし、表紙も素敵じゃないの、あらAmazonでベストセラー1位だわ、なんて軽い気持ちでポチっとしてしまったのですけども、あとから内容をチラ見してみると、あれれ、思ったよりヘヴィーな話なのではないか?

ちょっと暗めの部分もあるお話 ── 日記というか記録です。
人生にはいろんな出会いがあります。
これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です。

『一度きりの大泉の話』p5「前書き(そもそものきっかけ)」より

作家・萩尾望都のファンではあるけれど人間・萩尾望都のファンというわけでは特別ない自分にとってこれは全然知らない話、知らなくていい話、読まないほうがいい類の本なのではないか? そうは言ってもPrime会員宅には翌日届いてしまうのです。こわいなあと思いながら読み始め、読み耽り、読み終えました。これは読んでよかった。

一粒で二度美味しい、なんて言葉の全く似合わない内容ではありますが(少なくとも半分は)、わたし的には酸いも甘いもかなり自分向けの一冊として賞味させていただきましたので自分語りも交えつつ雑感を書いておくことにします。

作家・萩尾望都の手記として

萩尾望都作品集 第I期』というのでしょうか、1969年のデビュー作から1976年『アメリカン・パイ』あたりまでを網羅した赤い装丁のシリーズで子供時代のわたしは萩尾作品に親しんでいました。といっても1986年生まれです。作品集は父の蔵書でした。

萩尾先生のキャリアは言わずもがな現在にまで続いているのですがわたしはこの作品集しか読んだことがなく、つまりわたしにとっての「萩尾望都」ははっきりと1969〜1976年に限られているようです。

そんなわけで幼少期から親しみはあったけれど何も知らなかった萩尾作品のこと。この本では、ちょうどわたしが読んでいた範囲のタイトルが次々と登場します。例えば──

◆『ケーキ ケーキ ケーキ』に出てくる洋菓子店の内装は、手塚治虫大先生の監修だった!

◆『ポーの一族』最終話(初回連載時)のあのコマはローマで描かれていた!

◆『とってもしあわせモトちゃん』はイギリスから毎週入稿していた!

◆「キャベツ畑」は大泉にもあった!

『ポー』はもちろん、他のタイトルもみんな思い出深いものばかりです(キャベツ畑=『キャベツ畑の遺産相続人』)。子供の頃ずっと読んでいた作品にこんな内幕が!と大興奮でした。

後半、話がずしんと重くなってからも馴染みのタイトルは続きます。『小鳥の巣』はそんな時期に描かれたものだったのか……。『精霊狩り』シリーズのキャラクターって……。自分で買い直した『ポー』以外は実家にしかないので、今度帰ったとき久しぶりに読んでみようかなと思います。

とにもかくにも知らない話なんかでは全然なく、よーく知っている作品にまつわるエピソードをたくさん読むことができて予想外の収穫、といった感じの一冊でした。逆に1970年代後半から現在に至るまでの作品についてはほぼ触れられていないので、そのあたりの作品がお好きな方にはもしかしたら物足りないかもしれません。

人間・萩尾望都の手記として

これは本当にわたし、これまで全くノータッチで。なんなら萩尾望都という漫画家はもう歴史上の人物だと、ある時期まで思い込んでいたほどです(同じ頃に読んでいた手塚治虫藤子・F・不二雄といった大先生方はもう亡くなっていたか晩年でしたからね)。

加えて今回の手記で大きなウェイトを占める漫画家・竹宮惠子さんのことも全く存じ上げていませんでした。萩尾望都は父の趣味でしたけど父の書架に竹宮作品はなくて、わたしも偶然ここまで全く触れずにきたのですよね。調べていて「『きのう何食べた?』に出てくるジルベール」とようやく繋がった、っていうレベルです。

そんなわけで本書で語られている人間関係についても、「萩尾望都先生とどなたか存じ上げない先生のお話」としてしか読めていません。この本の読者としてはかなり珍しいケースかもしれません。そういう意味では「知らない話」でした。

ではその人間関係の部分がそこまで興味深くなかったかというとそれは真逆で、今回萩尾先生が意を決して書かれたこの件、読めてよかったと心から思います。ただし書かれている件とは関係なく、ごく個人的なことなのですが。

わたしがこの本から得たのは「決別していいんだ」ということでした。わたしも過去に一人、明確に自分のなかで決別した人がいます。若く楽しい時期を一緒に過ごしてきたけれど、今はもう出来るかぎり関わりたくないという人です。

共通の友人が多いので度々名前は耳にしますし、結婚式で会ったりもします。わりと最近、そういった流れで数年ぶりに会話をしました。普通に楽しく懐かしく、嬉しかった。元に戻れたかもしれないと思った。でも後日、共通の友人から「仲直りできた?」と言われて、いや、そういうんじゃねえんだわと心の鉄格子がピシャリ。

その人は、喧嘩とか仲違いではない、きわめて個人的で決定的な何かがあってしまった人。思えば人間関係のことで体調を崩したのって、その時だけかもしれない。名前どころか連想させる文字列を見ただけでもゾクッとするし、トラウマでしかない。そして実際のところ、克服したいわけでもない。

共通の友人が多いぶん、前述の友人の悪意ない言葉にしろ、周りにもなんとなく気を遣わせてしまったりします。本当はすんなり克服しておけばいいんだろうけど、できなくもないんだろうけど。そんなことを思ってました。そこにこの本です。まさかこんなかたちで、自分ごとのように読める人間関係の話が、それも萩尾望都先生によって投下されるとは。

萩尾望都萩尾望都であるために」。これは萩尾さんのマネージャー城章子さんがあとがきにつけたタイトルですが。業界というしがらみがあっても、萩尾さんはこれを頑なに守った。わたしも自分が自分であるために、この人間関係は決別したままでいい。萩尾望都はいわばわたしの幼少期からのソウルメイトみたいなものです。心強い気持ちになりました。

読み終わった今、もはやバイブルのように見えるこの本。奇しくも自分にものすごくフィットした、もしかしてわたしのための本??みたいな一冊でした。読めて本当によかったです。萩尾望都さん、今後どうか静かに過ごせますよう願っています。

一度きりの大泉の話

一度きりの大泉の話


#あとこれ個人的に今回の大きな収穫だったのが、わたしあからさまにBL的なものって興味ないというか好きじゃないんです。にも関わらず『ポー』や『トーマ』といった一応そっち寄りとも取れるお話はなんで抵抗ないんだろうって、ちょっと不思議だったんですよね。その理由が、本書ではっきり分かりました。なるほど!!