新文芸坐でフィルム上映の「転校生(1982)」を観た
池袋の新文芸坐にて「大林宣彦監督 一周忌追善『転校生』特別上映会」として上映された『転校生』を観てきました。
『転校生』はつい一週間ほど前にWOWOWの放映で初めて観たのですが、(そこに至るまでの経緯は書いたので省略するとして)あんなに長いこと観れずにいたのにいざ観れたとなると今度はこんな短いスパンで、しかもスクリーンで観れちゃうなんて。こっちを最初にするべきだったかも??
さらに今回は国立映画アーカイブ所蔵プリントによるフィルム上映ということで、直近で観たWOWOW版と比べても全く遜色のない質のものをフィルムで観ることができて貴重な体験でした。
『転校生』は、映画会社のプリントは激しく退色しほとんど色が残ってない状態。本日の上映は国立映画アーカイブ所蔵のプリントです。非常に状態のいいプリントです。イベント付き上映会一般1700円、イベント無し1300円です。HPよりチケットは販売しています(オンライン+50円)。是非ご覧ください。 pic.twitter.com/cIFUiZUUlI
— 新文芸坐 (@shin_bungeiza) April 23, 2021
大林作品をフィルムで観ると、監督がよく言っていた「1秒間に24回の暗闇」のことを意識せずにはいられません。1秒間に24枚の絵を映すためには、1秒間に24回シャッターで塞がなければならない。つまり1秒間の映像を観ているようでいて、じつはその半分は暗闇を見ているんだよ、だから人それぞれの思い入れが強くなるんだよ、っていう映画論。
映画というのは、どこかで個人的な感性のメディアなんです。ぼくが映画をやっているおもしろさとは、あくまで見たと信じた映像によってものを描くことなんです。だから本当は、一秒に二四回の極めて客観的な情報を映し出しながら、二四回の極めて主観的な暗闇の情緒にそれがどう変わるのかを表現してるのが映画だと思うのです。(「文藝別冊 大林宣彦」p124「闇──ひとりぼっちの空間」より)
すごく素敵な考え方だなあと思っているので「よーし、暗闇を、見るぞ!」と俄然気合を入れ、目を見開いて拝見してみたのですが、まあそう見えるもんでもない(笑) それはともかくとして国立映画アーカイブ様、ありがとうございました。
短いスパンで2回観た感想としては、やっぱりとにかく(尾美さんも、だけどインパクトで言えば)小林聡美さんの演技がすごすぎる。これに尽きます。入れ替わり演技自体もそうだし、まさに体当たりの裸体シーンの効果よ。
乳房まで出す必要があるのか?と思う人もいるだろうけど、ある。この1982年版は確実に、ある。もしも該当シーンが「エロく」見えていたらその疑問も出てくるのでしょうが、何の色気も感じない、恥じらいのないただの上半身(特に海水浴のシーンは驚愕)と、それに対する尾美さんの恥じらった上半身。この完全な入れ替わりは、心と身体の関係を描いた映画としてただただすごい。
もちろん小林聡美さんは当時ものすごく覚悟の要るお芝居だったわけですし尾美さんも二十歳ごろになるまで恥ずかしくてまともに観れなかったそうですが、いや決しておふたりの少年少女時代、無駄になってないです。これは世界的にみても映画史に残る、価値ある名演です。
しいていえば本来の「斉藤一美」をもうちょっと長く見てみたかったかもしれないですね。それが『廃市(1983)』なのかなあ。
あと、これはおそらくソフト版から差し変わってるのだと思いますが、喫茶店のシーン(入江若葉さんが可愛いところ)で店内BGMとしてユーミンの『守ってあげたい』がかかっていて驚きました。『ねらわれた学園(1981)』からの繋がりがこんなところに! 版権フリーのクラシックで劇伴を固めているなか、唯一の版権曲…??
あとはなんだろうな、モノクロからカラーになるところは何度観ても好きだし(どちらも黒に見えていた鞄がじつは片方赤いのとか、よい)、終盤でまたあの線路を渡りお寺の階段に「回帰」することで「さあ皆さん、戻りますよ!」ってアナウンスする演出もすごくシンプルで好きですね。アケミが出てくるほんのちょっとの間だけ「SF」になるのも好き。
新文芸坐ではわりといつもそうなんですが、ベタなギャグどころで客席(平均年齢高め)から素直に笑いが漏れるのも、当時こんな感じだったのかなと追体験できてよいです。
大林恭子さんのビデオメッセージ上映
上映後に企画されていた大林恭子さんのご登壇はコロナ云々で中止になってしまったのですが(にくい)、監督最後の著書『キネマの玉手箱』の構成を担当された榛名かなめさん進行のもと、撮り下ろしのビデオメッセージが代わりに上映されました。
撮影場所はいつもの自宅事務所と思われる部屋。しかし初めて見るものが置いてあって、それは大林監督の位牌と遺骨。遺骨の箱にはグレーのテンガロンハットが被せてあって……。なんというか、監督が亡くなられた証拠みたいなものを初めて目の当たりにしてしまったので結構ショックでした。
一年が経ったけれど恭子さんはまだ毎日寂しくて仕方ないし、朝起きるたびに泣いてしまうんだそう。60年とにかくずっと一緒だったというおふたり。ちょっと想像のつかない感覚です。
もとは一応『転校生』のトークイベントだったので、気を取り直してそのあたりのお話も。我が子のことのように「聡美ちゃん」「尾美くん」の思い出話を語る恭子さん。なにせ『転校生』は恭子さんが初めてプロデューサーとしてクレジットされた作品ですしね(ギャラは一度も貰ったことがないそうですが)。
ヌードシーンから連想したのか、『彼のオートバイ、彼女の島(1986)』製作時のエピソードなども。この作品では原田貴和子さん(原田知世さんのお姉さん)がとても綺麗なヌードシーンを披露しているのですが、試写会でのお母様の反応が心配だったと。でも試写後、お母様からはむしろ「綺麗に撮っていただいて」とお礼を言われ──なんてことを話しながら突然感極まってしまう恭子さん(涙のポイントはきっとご本人にしか分からず……)。ちなみにそうだ、この作品には尾美×聡美コンビがカメオ出演してるんでした。
恭子さんのビデオメッセージと並行して、生前の大林監督のインタビュー音声もいくつか聴くことができました。こちらは後に書籍『キネマの玉手箱』になった、元のインタビューだそう。もしかすると登壇の中止が決まってから用意してくれたのでしょうか。
インタビュー内では戦争の話もしているのですが、それがどうにも2021年現在コロナ禍の話に聞こえて。特にこの日は3回目の非常事態宣言を翌日に控えた日。監督はかねてより「今は戦前である」と言っていたけれど、なるほど確かに今は戦禍だ。こんな普遍性は、嫌だ。
最後に恭子さんから「好きだった文芸坐にファンの皆さんが集まってくれて大林も喜んでいると思います」「これからも大林の作品を観て、映画にしていってください」。映画は人に観てもらうことで、1秒間に24回の暗闇を感じてもらうことで初めて「映画」になる。恭子さんが言っていたのも多分そういうことだと思うんですけど。かしこまりました、と引き締まる気持ちでした。
そんなわけで、新文芸坐さんこれからも大林作品の上映、続けてください(なお夏にはまた戦争三部作かけますよとアナウンスがありました)。新文芸坐さんのおかげで未配信の作品もかなりの部分をカバーできたのでとても感謝しています。