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映画「トガニ 幼き瞳の告発(2011)」感想|公開後に司法をも動かした、社会派韓国映画ひとつの頂点。

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韓国映画『トガニ 幼き瞳の告発』を観ました。ずっと観たかったこの作品、なんといっても『新感染 ファイナル・エクスプレス(2016)』『82年生まれ、キム・ジヨン(2019)』へと続いていくコン・ユ×チョン・ユミの初共演作なのです。が、そのわりには流通しておらず、TSUTAYA DISCASでDVDを宅配レンタルしてようやく鑑賞が叶いました(Huluには入っている模様。Huluたまにそういうのある)

内容は、少なくとも明るい話ではないことは明白です。ただまあ韓国映画は総じてダークサイドを描きがちですから特別身構えることもなく、やっぱコン・ユは顔いいわ〜〜なんてヘラヘラ観ていたのですけども。いやはや、これが全く、今まで観た全映画の中でも掛け値なしにトップクラスの「観ていてつらい」映画でした。

本作は、実際にあった性的暴行事件を描いた同名小説が原作となっています。事件の被害者は幼い少年少女たち。事件の舞台は聾学校。そして事件の犯人たちは、職員および校長。仮に「物語」だとしても悪趣味極まりないのに、2000年代に韓国で起きた実話だというのですから言葉も出ません。

筋書きはこうです。まずコン・ユさん演じる美術教師の主人公が聾学校に赴任。そこでは教員たちから生徒たちへの日常的な性的暴行が黙認されていた。その現場を目撃してしまった主人公はどうにも看過できなくなり、チョン・ユミさん演じる人権センターの職員に連絡。以降、ふたりを中心とした働きにより学園内の悪行が暴かれ、司法に託される──。ここまでだと、勧善懲悪のカタルシスが待ち受けているように見えます。実際に映画を観ていてもそうで、劣勢から優勢にひっくり返っていくムードが一時は確実にありました。そう、一時は。つまり……。

この映画は非常に納得しがたい結末を迎え、苦く渋くブラックアウトしていきます。ノンフィクション作品お約束の「その後」が本作でもエンドロールの前にテロップとして捕捉されるのですが*1 表示される文章は脚注に引用)、それを読んだとき珍しく心から悲しくなって涙が出ました。それも映画の中のことに涙したのではなくて、映画の外のことに涙した感覚でした。

扱っている題材に対してあまりにバッドエンドではないかとも思える後味の本作。しかし、本当の結末は映画公開後に「映画の外」で付け足されることになります。この映画が韓国で話題を呼ぶと、あまりにバッドエンドな「現実」へ非難と再捜査を求める声が高まり、当初軽すぎる量刑だった加害者たちの再逮捕・再起訴、ひいては通称「トガニ法」と呼ばれる法改正にまで繋がったそうなのです。

映画学者・鷲谷花さんによるユリイカ2020年5月号「総特集=韓国映画の最前線」号掲載の論考「韓国映画史におけるメロドラマ的『法廷』の系譜」では、この「映画の中」の結末に関してまずこんな言葉を引用しています。

ピーター・ブルックスは、「メロドラマの結末の要点は、たんなる美徳の勝利よりも、観客にとって道徳的に見通しやすい世界を作り出し、倫理的な力と責務を明示することにある」と述べている。(p248)

ピーター・ブルックスさんは「メロドラマ論の基本的な文献のひとつ」だという『メロドラマ的想像力』の著者さんらしいです(p242より)。

また、この言葉を本作に当てはめるとこうなります。同じ論考から長めに引用します。

『トガニ』の結末では、実際の事件と同じく、加害者に対しては不当に軽い量刑が言い渡されるばかりか、聴覚障害をもつ児童が、福祉施設の内部で性的虐待を受けるという事態を作り出し、放置し、被害者の救済を拒絶してきた地域社会の構造は手つかずのまま存置される。必ずしも美徳と真実が「勝利する」わけではないが、しかし『トガニ』を構成する一連の出来事が、善と悪の闘争であることは、このうえなく明瞭に提示され、観客は証人もしくは陪審員としての立場に身を置いて、一部始終を目撃する。映画を通じて善と悪を認知した観客が、映画の外部の現実の世界で、悪と闘う運動に参加することにより、映画の内部では実現しなかった善の勝利は、実在の事件の再捜査及び加害者の逮捕と、「トガニ法」の成立という形で、部分的には実現されることとなった。(あらためての引用元: ユリイカ2020年5月号「総特集=韓国映画の最前線」号掲載の論考「韓国映画史におけるメロドラマ的『法廷』の系譜(鷲谷花)」より/p248)

「映画で歴史は変えられないが、未来を変えることはできる」とは、昨年亡くなられた大林宣彦監督の言葉です。まさにその、この上ない例が本作にはあると言えましょう。ただ、これほどの結果へと繋がったのはやはり民主化運動が記憶に新しい韓国の人々だからこそ、とも思えてしまいます。ちなみに事件の起きた学校、劇中では架空の地名になっていますが本当は光州だそうです。光州は民主化運動へと繋がる「光州事件」が起きた場所。事件についてはたとえば『タクシー運転手 約束は海を越えて(2017)』などで描かれました。確かに、光州にしてしまったらそれだけで不本意なメッセージ性が出てしまっていたかもしれませんね。

冒頭では「観ていてつらい」映画だったと書きましたが、しかし観てよかった、観るべき映画だったとも思いました。「その後」への評価も含め、ぜひ多くの方にご覧いただきたい作品です。間違いなくこれは社会派韓国映画ひとつの頂点と言えます。

(2021年4本目/TSUTAYA DISCAS

ああそうだ、ひとつだけ書いておきたい。韓国映画・ドラマ界におけるチャン・ソヨンさんのバイプレイヤー的貢献度、もはや何か表彰されて然るべき……!! 今回の役(手話通訳者)もあれは端役とはいえ後半かなり意味を持つ存在だし役作りの負荷も大きかったはず。『哭声』でも『新感染半島』でも殺されてばかりで、つらい!! 申し遅れましたがそうです、『愛の不時着』で耳野郎の奥様を演じておられたあの方です。まあ、あれがご褒美とも言えるけど。

*1:表示される文章:「2011年現在、加害者の一部は復職し、この事件の裁判は終了しました。しかし真実を解明する闘いは今なお続いています」