終戦から75年の日、池袋・新文芸坐で大林宣彦監督の戦争三部作「この空の花」「野のなななのか」「花筐」を観た
池袋の名画座・新文芸坐さんにて、「追悼・大林宣彦 〜永遠の魔法〜④ 戦後75回目の夏に…」と題された『この空の花 長岡花火物語('12)』『野のなななのか('14)』『花筐/HANAGATAMI('17)』の3本立てを観てきました。新文芸坐さん、企画ありがとうございます。
いずれも既に観ている作品、かつ3時間近い長尺の作品ばかりということで非常にヘヴィーなプログラムなのですが、上映日が8月15日、終戦から75年の日であるところに惹かれました。というのも「戦争三部作」と呼ばれたこの3本の映画こそが、これまで日本の戦争について関心を持てずにいたわたしの意識を変えてくれた作品だったからです。2020年の8月15日はこの3本に捧げようと決めました。
朝の11時から、作品間の休憩を30分ずつ挟んで上映終了は20時半。満員御礼の客席には意外や若い人が多く、見たところわたしの周りは20〜30代の人ばかりだったようです。みんなこの一日を大林宣彦に捧げる心意気か。エモい。
たしか初見時に1回ずつ繰り返し観ているので、今回は3作品とも3回目になるはず。あらためて観ることで、そして3本続けて観ることでどんな新たな印象を受けられるか、それを楽しみにしていました。では1本ずつ雑感を書いていきましょう。(追記: 上記のようなことを言っておきながら戦争映画としての感想を当初全く書いていなかったため、各作品の最後にそれぞれコラムを付け足しました)
例によって長いので目次
- 「この空の花 長岡花火物語」
- 「野のなななのか」
- 「花筐/HANAGATAMI」
各作品の最初には、初見時の感想を貼っておきます。
「この空の花 長岡花火物語(2012)」
これが今回いちばん印象的だったかもしれません。とにかく泣いた。オープニングクレジットの「大林恭子」でまずひと泣きするという始末です、という極端な例はさておき。初見時も確かにこの作品には泣かされました。とはいえそれは終盤「まだ戦争には間に合いますか」の猛烈な舞台劇に力技でねじ伏せられたのであって、前半部は困惑のほうが大きかった。きっと初見の場合は多くの方がそうなのではと思います。
この映画は歴代大林作品のなかでも「破格のぶっ飛んだ作品」という表現が特にしっくりくる作品のひとつです。しかし驚いたことに3回目の今回、そんな印象は持たなくなっていました。気付けば「変な映画」などと思うことなく、最初から最後まで見惚れていたのです。つくづく大林映画というのは、月並みな表現ではありますが「観るほどに本質が見えてくる」のだと実感しました。
で、「とにかく泣いた」ほうの話。これはなんなんでしょうね、ぶっちゃけ最近どの映画観てもぼろぼろ泣いているので判断基準にならないのではないかとも思ったのですけど、じつは続く2作ではほとんど泣かなかったんです。とするとやはりこの作品がひときわ感情を揺さぶってくるのは確かなのでしょう。
続く2作とも共通する話になりますが、初見時から今回までの間にわたしは監督の著書等を読み漁ってきました。そのうえで観る大林作品、なかでもこの『この空の花』は、「キャラクターに監督が乗り移っている」シーンの多いこと多いこと。これは監督の言葉だ……と気付くたび涙が勝手に。また輪をかけるように久石譲さんのテーマ曲が涙腺クラッシャーだもんで、もう勘弁してくれよ!!と感受性も涙も早々に使い果たす1本目でした。
戦争映画として
初見時には恥ずかしながら山本五十六のことすら名前しか知らないような状態でした。のちに観た『連合艦隊司令長官 山本五十六(1968)』の冒頭では長岡で渡し舟に乗る山本五十六の姿が描かれますが、そこで「おっ、長岡」と身近に思えたのはこの映画のおかげです。また、ちょうど前日に九段下の昭和館にて焼夷弾の実物を見てきたところだったので、あのあたりのシーンもよりリアルに感じられました。
それ以外にもとにかくこの映画の初見時は知らないことだらけでしたから、全体通して知っていること分かることがだいぶ増えていて嬉しい、という小学生レベルの喜びがありました。
「野のなななのか(2014)」
この3本のなかでいちばん好きな作品です。たまらなく好きです。それは揺らぎませんでした。魅力を言語化するのはむずかしいのですが、キャストが好き、縦横無尽な会話劇が好き、色味が好き、音楽が好き、「野のなななのか」という字面が好き、まあ総合的に好きなのでしょう。
キャスト面では、まず寺島咲さんの顔と声が好きで、村田雄浩さんと松重豊さんの豪華おじさんたちも好き。常盤貴子さんは他の作品をあんまり知らないけど絶対この作品がいちばん美しく撮れてると思うし、ダブルヒロインのはずなのに後半まで姿を現さない安達祐実さんのミステリアス美少女と“青空”は反則だし、冒頭で死してなお雄弁に喋りまくる品川“だったろうか”徹さんも大好きだし、オールスターキャスト映画の「最高」に溢れてるのですよね。
縦横無尽な会話劇。これは初見ではなかなか読み取りづらいところでしょう。2回目を観たとき、冒頭の病院でのマシンガン親戚トークがまるで別物のような鮮明さで見えてきてびっくりしたものです。大林映画は最低2回は観なければだめだ……と気付かされた最初の体験でした。また本作は「なななのか」をはじめ馴染みのない言葉が多く出てくる作品でもあるのですが、観客が「ん?」と思うであろうそれらがひとつ残らず伏線回収のようにどこかで必ず説明される脚本の妙。
大林監督の映画はサプライズに満ちていると思うのです。素知らぬ顔をしているように見えて、「ちゃんと覚えていますよ、はいプレゼント」と花束を手渡してくれるような、そんな瞬間が一度ならずあちこちに散りばめられている。だから好きになっちゃってしょうがない。
この作品は本当に好きなところや新発見が多くて、書いても書いても書ききれません。山下康介さんによるモリコーネ調の音楽(モリコーネも亡くなってしまいましたね……)、やたらカチッと三角形なサンドイッチ(毎回ここが琴線に触れるので好きなシーンらしい)、新たな発見としては春彦の奥さんが「さびしんぼう」さながらの黒い涙を流しながらある種の一人二役を演じていることや、高校生の信子に光男がコーヒーを飲ませるシーンは「喫茶店で新人女優と面接しがち」な監督が重なって見えること、などなど。もっともっと「好きになりそう」な映画です。大好きです。
戦争映画として
『この空の花』では松雪泰子さんや原田夏希さんなどが、本作では主に山崎紘菜さんが、戦争について疎い人々の疑問を代弁してくれます。松雪泰子さんがガイドの人と交わす「〜ってご存知ですか?」「名前だけなら……」なんていうやり取りはあるあるだし、知らないことを恥ずかしがらず積極的に学んでいこうとする山崎紘菜さんの存在はわたしのような観客にとって非常に心強い存在です。
『海辺の映画館』でもやはり大林監督はそういった観客層を置いてきぼりにしません。「広島に原爆が落とされたのって8月の……何日だっけ……?」そんな台詞が登場しますが、こういう「知らないなんて今更言えない」をしっかりフォローしてくれる監督は本当にあたたかい方だと思います。本作劇中で左時枝さんが言う「人間って恐ろしいところがあるからね。いろいろ勉強して反省していかなくちゃね」という言葉にもそのあたたかさがすごく出ています。
「花筐/HANAGATAMI(2017)」
先に書いておくと、これは他2作と比べてそこまでストライクではない作品です。一定水準以上には好きだし見惚れるけど、ここで何か熱弁したいほどの想いは「いまのところ」持っていない作品です(まあ、変わりますからね)。
今回あらためて観て、そうだこれが遺作かもしれなかったんだと思い出しました。なんといっても終盤ついに溢れ出る怨念じみたとてつもない何か。余命宣告を受けてからの執念がダイレクトに表面化している作品であることを再確認しました。本当の遺作となった『海辺の映画館─キネマの玉手箱(2020)』も執念の塊ではありましたが、こう見てみると『花筐』にあったような怨念めいたものは薄れている。「君は飛べるか?!」ピシャリ! という感じではなくなり、ちょっと肩の力を抜いて、いつもの笑顔の語り口に戻っている、そんな気がします。
『海辺の映画館』を観たあとで、ということだと、共通の引用作品が多いことにもハッとさせられました。中原中也の「サーカス」に、山中貞雄の「人情紙風船が遺作では、ちと寂しい」など、あ、もうここで出てたんだ、と気付くこと数回。音楽使いもいろいろ重なっていきますね。『この空の花』から『野のなななのか』への重なりが非常に多いのに対し、こちらは次作へ重なる印象が強いです。
一般的に「戦争三部作」と呼ばれていたこの3作ですが、『海辺の映画館』が加わったことで「戦争四部作」とするのには少し違和感があって、というのもこう並べてみると『花筐』だけ異様に私的なものとして見えるのです。なので、プロフェッサー大林宣彦の講義は『この空の〜』『野の〜』『海辺の〜』の3コマであり、『花筐』は先生の個人的なお話。というのがわたしの解釈。
戦争映画として
現代からの回想形式だった前2作と違い、本作はリアルタイムの物語。昭和モダンの世界ってじつはあんまり趣味じゃなくて、そういう意味でも戦時下そのものを描いた前2作のほうが好きなのですが、とはいえこの作品の持つ強烈な死の匂いは戦争そのものだなとスクリーンで観て思いました。そして真珠湾攻撃の報からいよいよお馴染みの茶色い世界に突入していく。そのものずばりは描かれていなくてもれっきとした戦争映画でした。
このあと『激動の昭和史 軍閥(1970)』という映画を観ていたら、真珠湾攻撃で号外を出したのはうちだけだな!なんていう新聞社のシーンが出てきました。あのとき彼が手にしていた号外はそれだったのかな。戦争映画の数珠繋ぎはそんなところまでも広がっていきます。
終わりに
精根尽き果ててしまうのではと始まる前は思っていましたが、始まってしまえば誇張でなくあっという間でした。何度目かの鑑賞っていうのは普通「観たことのある映画」として観るもの。しかし今回の3本はいずれも全く初見の映画を観ているような感覚になったのが自分でも不思議です。この先また4回5回と観ていくうち、さらに皮がむけて本質に触れられるのだと思います。いわば、まだまだいくらでも新作が観れるのですね。
最初の話に戻ると、わたしは本当にこれまで日本の戦争に関心を持つことができず、戦争経験者によるどんなメッセージもこれといって響かず、という状態でした。そんななか、皮肉にも訃報というかたちでわたしの前に現れた大林監督。遅まきながらすっかり心酔し、フィルモグラフィーを追っていくなかで出会ったこの3作は、戦争のことをもっと知りたい!と初めて思わせてくれました。肝心のその部分を本文に書きそびれましたが……。(追記:そんなことではいかんのでやっぱり書き足しました)
そんなわけで大林監督、貴方がいなければ戦後75年のこの夏もわたしは無関心を貫いていたことでしょう。どんな語り部よりも大林宣彦という語り部がわたしにはフィットしたのです。出会えてよかった。ありがとうございました。そしてこれからもお世話になります。
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