353log

主に映画の感想文を書いています

気まぐれ自叙伝 わたしの音楽遍歴【第1章:存外、父は偉大なり】

さも映画好きのようにふるまっている当ブログでのわたしですが、元々は音楽しか趣味がないような人でした。何か新しい趣味を作ろうと思って映画を観始めたのがここ数年のこと。

読み物っぽい文章を書きたい欲が高まっているので、いっちょ自叙伝風に音楽遍歴を振り返ってみようと思います。連載回数は不明。しばしお付き合いくださいませ。


1986年生まれ

名盤や名作映画が多いような印象をなんとなく持っている1986年。時代設定が1986年、という物語にも結構よく出会う。この年の生まれであることを漠然と誇りに思う。

母親はピアノ教室の先生、父親は聴き専のクラシックマニア。母に惚れた35年前くらいの父は、不純な動機100%でピアノを習いに行った。これが馴れ初めである。結婚からほどなくしてわたしが生まれ、一人息子として育てられた。

ピアノ教室には自宅のリビングを使っていたため(父が母に買った最高額のプレゼント、グランドピアノがある。というと金持ちのように聞こえるが、賃貸の団地である)、学校から帰ってきても夕飯時までリビングには入れない生活だった。漏れ聞こえてくるたどたどしい練習曲をひたすら聴かされて育った。そんなわけで、高校生ぐらいまでピアノが嫌いだった。何度か発表会に出たようだが、真面目に練習したことはない。

父の英才教育?

父はクラシックマニアと書いたが、雑多に聴く人でもあった。幼い頃は父の部屋でよく一緒にレコードを聴いた。なお念のため、両親とも健在である。

当時のわたしがお気に入りだったのは岩崎宏美(「シンデレラ・ハネムーン」と「思秋期」が入っていたので「思秋期から…男と女」かと思われるがジャケットにどうも見覚えがないのでベストアルバムか何かかもしれない)バーンスタイン指揮の『ウエスト・サイド・ストーリー』、冨田勲の『惑星』など、今思うとなかなか多岐にわたる。御多分に洩れず回転数を変えた「マリア」などでけらけら楽しんでいたし、『惑星』を聴くときには決まって部屋の電気を消しステレオのLEDを星に見立ててロマンチックしていた。

また、家のみならずカーステレオなどでも繰り返し聴いていたのがカシオペアの『Photographs』。おそらく人生で最も聴いたアルバムだと思う。1曲目の「Looking Up」には未だ高揚感を覚える。楽器を何も嗜まない頃だったので、いつも楽器パートを歌っていた。声色を変え歌いまくるわたしのことを父は「人セサイザー(ジンセサイザー)」と呼んでいた。声変わりを境に全く歌わなくなってしまうのだが。カシオペアについてはまた後で触れたい。

PHOTOGRAPHS

PHOTOGRAPHS

幼少期の音楽体験は掘り出すときりがない。父は『宇宙戦艦ヤマト』シリーズが大好きで(その趣味は未だ変わらず、近年のリブート版なども漏らさず追っている模様)サントラをLPでもCDでも多数持っており、わたしも散々聴いた。ヤマトというとあの勇ましいマーチが有名すぎるのだが、宮川泰羽田健太郎が手掛けるその劇伴は情緒に溢れ本当に素晴らしいのだ。とはいえ、ここにはやはり軽快な「コスモタイガーのテーマ」を貼っておく。

新コスモタイガー

新コスモタイガー

  • 宮川泰指揮/シンフォニック・オーケストラ・ヤマト
  • アニメ
  • ¥255

クラシックマニアとしての父は、作曲家だとショスタコーヴィチをひときわ好んでいたイメージがある。よってわたしは、ヤマトのみならず勇ましい軍歌のようなロシア製交響曲を山ほど聴いて育った。のちに吹奏楽を始めることになったのも、太鼓がばかすか鳴り響くショスタコに馴染んでいたからかもしれない。弦楽器中心のお上品なクラシックにはあまり興味がなかったのである。

NHK交響楽団などオーケストラのコンサートにもよく連れていってもらった。多くが安価な天井席だったが、打楽器など「見て楽しい楽器」を見渡しやすいそういった席のほうがわたし的にも都合が良かった。特に印象的なのはサン=サーンスの所謂「オルガン付き」で、これは2回ほど行った覚えがあり、好きなクラシックの曲は?と訊かれて真っ先に思い浮かぶのは多分この曲だ。ホール全体が楽器として振動するパイプオルガンの魅力に取り憑かれた。ちなみに『ヤマト』にも、パイプオルガンをフィーチャーした「白色彗星」という有名な曲がある。

白色彗星

白色彗星

現在あまり父をリスペクトしていないわたしとしては、こうして振り返ってみると存外この父親の存在がわたしを作り上げているという否定できぬ事実に不本意な感情を禁じ得ない。少しは感謝の念を足しておこうと思う。というかまあ、かなり感謝する必要があるのかもしれない。

というのも、対する母親はピアノやフルート、声楽などを守備範囲としているが、プレイヤー志向ではなくあくまで教えることが好きな人だ。音楽が趣味というわけでもなさそうで、ぱっと思い起こせる母の「趣味」といえば、深夜にひとりリビングで大きなパズルをしていたことくらいだ。したがってますます、わたしの音楽的嗜好の大半は父の影響と言っていい。

父を少し見直したところで、次章へ続く。