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主に映画の感想文を書いています

ゴッドファーザー PARTII(1974)

ゴッドファーザー(1972)」の続編かつ前日譚。なんでも続編映画のタイトルに「パート2」と付けたのは本作が初なんだとか。監督は前作に引き続きフランシス・フォード・コッポラ。主演はアル・パチーノロバート・デ・ニーロ。久しぶりに「パート1」を観直してからの、こちらは初鑑賞です。 本作もPrime Videoで2018年10月現在会員特典となってます。

あらすじ

父ヴィトー・コルレオーネの幼少期〜壮年期と、父を継いだ息子マイケル・コルレオーネのその後、ふたつの時間軸が交錯して物語は進む。

1901年、シチリアのコルレオーネ。幼きヴィトーは、地元マフィアのボスであるドン・チッチオの手により父母さらには兄をも失い、ひとりニューヨークへと身を隠す。入国管理官が地名を名前と勘違いしたため、彼の名は「ヴィトー・コルレオーネ」として登録される。時は経ち、リトル・イタリーで堅実に働くヴィトーロバート・デ・ニーロだったが、この地区を牛耳るドン・ファヌッチに職を奪われてしまう。ヴィトーは隣人のクレメンザらと手を組んで犯罪に手を染め、ファヌッチを暗殺して同地区の新たなドンとなる。

1951年、ネバダ。父ヴィトーを亡くしドンとなったマイケルアル・パチーノは、「ファミリー」の抱える様々な問題、妻をはじめとした家族の問題等々で気の休まらない日々を送る。血の繋がったファミリーは兄のフレドだけだが、あてにならない。愛想を尽かした妻ケイは、授かっていた男児を堕胎してマイケルのもとを去る。「粛清」を終えて一件落着したマイケルに、もはや近しい者は残っていなかった。

感想を書いてようやく頭が整理されそう

1901年、前日譚パート。結婚式はもちろん、葬列も器楽隊が率いるシチリア。PART1にも出てきた「門」が出てきて興奮。いつも門だけがクローズアップされていて分かりませんでしたが、教会だそうです(シチリアに実在)。「この子は絶対に復讐なんてしません」と母親に言わしめた少年ヴィトーの姿から物語は始まります。

勘違いから「あの名前」が生まれるくだりで「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー(2018)」の名前のくだりを連想したんですけど、調べていたらEp.4でもハン・ソロのシーンで本作がオマージュされているらしく(覚えてない…)、これは意図的かもしれない。

もうひとつの時代は前作の後日譚。前作同様パーティーから幕を開けます。先日「エル・スール(1983)」で認識して以来やたらと出くわす聖体拝受。きっとこれまでもたくさん見てきていたのだろう…。屋外で長机を囲む宴席は「フェリーニのアマルコルド(1973)」っぽいなあと思っていたら、公開年ほぼ同じ、しかも音楽もニーノ・ロータという偶然の一致。なるほど納得感。

パーティーのシーンで少年合唱団が歌うのは「Mr.Wonderful」。椎名林檎の「唄ひ手冥利」に入ってたやつじゃん!という反応をするわたし。ちょいと揚げ足を取ると、この曲は1955年に発表されたらしいので、1951年のシーンには本来存在し得ません。いや未発表新曲だった可能性も。コルレオーネ・ファミリーの力があるもんな。

音楽といえば、本作で新たに加わった「ゴッドファーザーPART2のテーマ」がとてもよいです。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ1984」の音楽はこのへんが影響してたりするのかな?と思うような、似た雰囲気の劇伴。壮年期ヴィトーのパートが「ワンス・アポン〜」み溢れる感じなので、余計に。

なお「愛のテーマ」は2時間45分ほど経ったところ(前作同様、シチリアへ帰った場面)でようやくワンフレーズ、それとエンドロールの、計2回しか流れません。こないだテキトーなこと書いちゃった。

ロバート・デ・ニーロは出演作の音楽に恵まれていますね。知っているだけでも「ゴッドファーザーのテーマ」「タクシードライバーのテーマ」、そして本作。ぱっとテーマ曲の思い浮かぶような作品が多い。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984) - 353log


正直なところ、マイケルのパートは難解で理解が追いつきませんでした。裏切り裏切られ系は初見だと厳しいですね…。「裏切りのサーカス(2011)」のときみたいにしっかり相関図書いてメモ片手にもう一度観たらだいぶ分かるんだと思いますが。そこはまあ、Wikipediaとか読んで分かった気になっておきます。

なので、本作ではロバート・デ・ニーロ演じるヴィトーのパートが好きです。ずっとこっちを観ていたいと思うほどでした(だってマイケルのほうひたすら暗いんだもの)。クレメンザ、お隣さんだったんだー!とか、サン・ジェナーロ祭の賑わいを利用してファヌッチを淡々と粛清するシーンとか(巻きつけたタオルは、サイレンサー代わり? 最後は外しちゃってたけど笑)、慕われるタイプのドンに上り詰めていく感じとか。いやほんとこっちをもっと観たい。

徐々に出てくる幼きジュニアたちも可愛いんですけど、切なくもなります。ソニーはちっちゃい頃から血気盛んなのねえとか。フレドの身体が弱くてお父ちゃん心配してるねえとか。マイケル可愛いねえ、「愛してるよ」って言われてるねえとか。ちなみにこの「愛してるよ」のシーンはファヌッチを殺めた後の手で、マイケルの手を握ってるんですよね。そこがなんとも。ああ切ない。

デ・ニーロのヴィトーでびっくりしたのは、声! マーロン・ブランド版ヴィトーの「しゃがれ声」を再現している! これ多分最初のほうはしゃがれてないですよね? なんでもマーロン・ブランドは「喉を撃たれてしゃがれた」設定であの声色にしていたらしいので、本作においてもその裏設定を引き継いで、ドンになったヴィトーがどこかの段階で喉を負傷して、そこからしゃがれた、ってことになってるんだと思うんですよね。うーむ、プロ。デ・ニーロまだ無名時代だというのに、完全なるプロ。

あとはそうだな、シチリアへ帰ったヴィトーがチッチオに報復して(ナイフなのがまたよい)、車の猛バックで退散してくとこ、格好良かったです。ただ、ファーストシーンから不思議だったんですがチッチオの邸宅、セキュリティ甘くない?? 壮年ヴィトーはビジネスの体だからともかく、どこぞの母子まですんなり通すの甘くない?? マフィアって表向きはそんなもんなのかしら。

全然マイケルのほうの話書いてない(笑) すっかり目から輝きのなくなったアル・パチーノ。痛々しいです。「この世の中でひとつ確かなことは、人は殺せる」なんて言っちゃってますからね。お父上は「我々は殺し屋ではない」って言ってたのに。マイケルがこの先PART3でどうなっていくのか、気になるところ。

終盤ではサービス的に前作の開始数年前、まだファミリーがみんな揃っているシーンが登場します。ソニーがコニーにあの旦那を紹介している。つらい。勝手に入隊して非難轟々なマイケルに対し、ひとりだけ「偉いよ、おめでとう」と握手するフレド。つらい。ちょうど真珠湾攻撃のタイミングと被っており「日本人ってのはどうなってるんだ」と言われているのも、つらい。

ヴィトーの誕生日であるこのシーンに、マーロン・ブランドのヴィトーは登場しません。出演を断固拒否したのだとか。あっちはいろいろありますなあ。それとやはり、ここでの「大学坊や」なマイケル=アル・パチーノは「卒業(1967)」のダスティン・ホフマンに見えてしまうのでした。

難解だったけれど、書くことはいっぱいあったしおもしろかったんだな。ということで、この勢いでPART3も観ます。

(2018年217本目)