353log

主に映画の感想文を書いています

紳士協定(1947)

紳士協定 [DVD] FRT-071

紳士協定 [DVD] FRT-071

グレゴリー・ペック&ドロシー・マクガイア主演の社会派映画。

あらすじ

ライターのフィリップは、「反ユダヤ主義」を新連載の題材とするよう出版社から依頼される。センシティブな論題であることから気乗りのしないフィリップだったが、幼い息子に「反ユダヤ主義って?」と説明を求められたことがきっかけとなり依頼を受けることにする。

これまでは題材に合わせて潜入取材をするのが常だったフィリップ。しかし今回ばかりは、非ユダヤ人の自分が書けることには限界があると悩む。考えた末に辿り着いた奇抜なアイデア、それは「自分がユダヤ人になる」というものだった。

雑感

いつのまにかTSUTAYAディスカスのリストに入っていて、いつ入れたか思い出せないのですが(笑) ユダヤ繋がりで入れたとするとおそらく「ジャズ・シンガー(1927)」、もしくは直球に「シンドラーのリスト(1993)」の時なのでしょう。覚えとけよっていう。

さて、非常におもしろい作品でした。フィリップが気乗りしなかったように、観る側としても「反ユダヤ主義を扱った映画」なんて言われるとだいぶ身構えてしまうものです。しかしこの映画はこのテーマにして、驚くほど掴みがいい!

この仕事あんまり受けたくないんだよね〜と朝食を食べながら母親にボヤくフィリップ。それを聞いていた彼の息子が言います、「反ユダヤ主義って、なに?」。そう!それ!知りたかった!訊いてくれてありがとう! それを受けてフィリップは「つまりね」と丁寧に、本当に誰でもわかるように説明してくれます。まずここで間口を広げてくれる、観客をひとりも置いていかない、これが本作の惚れさすポイント1です。

わかりやすく説明するのはなかなか大変だね、と額を拭うフィリップに対し、「うまく話してやれたらいいと思うね」と背中を押す母親。なるほどそういう映画なのね! わかった、観るよ! なんてスマートな導入なんでしょう。小難しい演出一切なし。シビれます。わかりやすいって格好良い!と心底思えるオープニングでした。

「紳士協定」とは「暗黙の了解」、言い方を変えれば「見て見ぬ振り」。連載を依頼した編集長は、ユダヤ差別について「見て見ぬ振りの傍観者を引っ張り出せ!」とフィリップを焚きつけます。悩んだ末にフィリップは「僕がユダヤ人になればいいんだ」というアイデアに達します。ここで彼が同時に閃いた「私は6ヶ月ユダヤ人だった」というタイトルのキャッチーなことよ。絶対おもしろいじゃん!とタイトルだけで確信できてしまう。惚れさすポイント2です。

Wikipediaによれば日本公開時には「いま、答えてほしい! あなたも“紳士協定”に組する人なのか-」というコピーがついていたようですが、これはまさに編集長の言ったことですね。個人的にとても頭をぶん殴られた映画「ドリーム(2016)」で、黒人差別をする白人どもに憎悪を抱いているスクリーンの前のお前は果たして本当に憎悪を抱ける側の人間なのかい?と問い詰められていくあの感じと同じです。差別の醜さはよくわかった。で、君はなんなの? どうするの? っていう。

本作にはざっくり3つの立ち位置が存在していると思います。行動力と発言力を持っているフィリップ。観客が共感しやすい傍観者のキャシー。当事者のデイヴ。

フィリップは元々はフラットな考え方であり、ユダヤ差別に関して客観的には良くない事と認識していながらも日頃から辟易としているわけではなさそうです。そんな彼が「ユダヤ人になってみた」ら、当初の思惑よりも憑依してしまった様子。当事者ではないのに敏感になりすぎ、何もかもを遺憾に思うようになってしまいました。さながら、すぐ炎上するSNSのヒリつきです。声を上げてはいますが、偽善者のような印象も強いです。

対するキャシーは「紳士協定タイプ」であり、多くの人が多分こうだと思います。でも、じつはフィリップよりも考えが深いのかも。元から反ユダヤ主義に対して嫌悪を抱いており、近しい人や行動力・発言力のある人にはその話をするようにしているからです。辟易とはしている、しかし当事者でもないのにわざわざ波風を立てるのは…と考えている。ラストシーンで改心していますが、元のままでも十分いいひとだよと思っちゃう。わたしは彼女の方が感情移入できます。

デイヴはユダヤ人、当事者です。「ユダヤごっこ」の話を聞いて「なんでそんなバカなことを?!」と怒っているようにも見えるデイヴ。最終的にはキャシーに対し「立ち上がってくれたら嬉しいよ」と伝えているので、見て見ぬ振りをせずに行動してくれるのは歓迎、な様子。でも、少なくともフィリップに対してはどんな心境だったんだろうな〜と考えてしまいます。

身近で少しずつ状況が改善していくのを見た母親が「ほらね、やっぱりまだ死ねないよ」と言い、その前には「未来から見たら今はきっとびっくりするような激動の世紀かもしれない」とも言っています。残念ながらそんなに変わっているとも思えないのですが、本作の日本公開が40年遅れの1987年でまったく問題なく通用していたということは、とても普遍的な映画でもあるのですね。もちろん、2018年でも様々なことに通用する内容です。

おそらくこの映画、正しい着地点があるわけではなくて、考えるきっかけを作ってくれる映画のはず。なので今回は他所の感想や解説を一切読まずに書いてみました。

(2018年189本目)