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主に映画の感想文を書いています

坂本真綾との(一方的)馴れ初め話

なにかライブレポ以外のものを書いてみようかなあ、ということでiPadのタイピング練習がてら雑記を書いてみる。題して「坂本真綾との(一方的)馴れ初め話」。なおこの原稿(ライターっぽい!)を書いているのは高崎行き湘南新宿ラインの車内である。今日は冬季青春18きっぷ最終日。うまいこと休みが取れたので、懐かしの富岡製糸場(昨年夏、坂本真綾が野外ライブを開催した)まで行ってみようというプラン。ただし、真の目的は車内でこういったゆったりな時間をとることだったりする。グリーン車は快適です。


坂本真綾との出会いを語るためには、まず菅野よう子との出会いから語らねばならない。と言ってもこれは大して長い話にはならない。というのも僕が菅野よう子と出会ったのは比較的最近なのだ。せいぜい5年前ぐらいだろうか。菅野よう子好きな友人が強引に押し付けてきた「COWBOY BEBOP」「WOLF'S RAIN」「攻殻機動隊」などのサントラが出会いだ。僕はアニメをほとんど観ずに育ってきた人間だったので、最初はそれがサントラであるということもいまいち認識していなかった。まあ実際この三作はいずれも一般人の感覚からすると到底「アニメの音楽」とは思えないようなクオリティなわけで、菅野よう子との出会いとしては申し分のないセレクトだった。友人に感謝。

さて、あまりここを突っ込みすぎると話が「菅野よう子との馴れ初め」になってしまうのでそこは少し端折るとして、この三作のなかで坂本真綾がフィーチャーされているのはどれかというと「WOLF'S RAIN」であり、僕が好んで聴いていたのもこのサントラだった。サウンド曲調ともに好みのドンピシャだった。そしてこのサントラの二枚目最後に収録されている「cloud 9」という曲に惚れた。僕と坂本真綾との出会いだった。

当時の僕は椎名林檎YUKIが好きで、音楽的嗜好が女性ボーカルに傾いていた頃だった(それまではB'z一筋みたいな人だった)。男性の歌声からは得られない女性の歌声の魅力にゾッコンだったが、いかんせん椎名林檎YUKIも濃かった。聴くのに少なからず気合いがいる、悪く言えば「疲れる」声だった。そんなときに出会った坂本真綾の声。「あ、こんなさらっとした声のひとがいるんだ」。これまで自分の中になかったタイプの歌声に、僕は惚れた。その後しばらく坂本真綾の楽曲が僕のライブラリに増えることはなかったが、耳が求めているときにはちょくちょくこの「cloud 9」を聴くようになった(意外と「gravity」は聴いていなかったな)。今になって思うとこの「cloud 9」は全坂本真綾楽曲のなかでも異質な「さらっと感」な曲だと思うので、最初に聴いたのがこの曲だというのはなかなか興味深い。

運命的な出会いを果たしたように思われたが、じつはここから特に進展もなく数年が経過する。二回目のきっかけは、もはや伝説の超プレミア菅野よう子ライブ「超時空七夕ソニック」のチケットが取れたことだった。このまたとない機会を万全に楽しむため、チケットが取れてからライブまでの二ヶ月間ほど、僕は異常なまでの予習に精を出した。菅野よう子の作品をひたすら買い集め、関わったアニメもほぼ全てレンタルで鑑賞し、ライブ前夜にマクロスプラス劇場版とエスカフローネ劇場版を二本立てするぐらいの超ハードスケジュールでその日に備えた。その流れのなかで当然ながら坂本真綾の作品も買い揃えていった。結果、ワルシャワフィルを従えた坂本真綾が僕の初ナマ真綾となったわけだが、もったいないことにまだこの時点ではわたくし、坂本真綾ファンではないのであった。

なんのかんの言っても自分は菅野よう子ファン(シャレではない)。菅野よう子の使用する声帯楽器としての坂本真綾が好きなだけで、パーソナルには興味がない。そう思っていた僕は、既に菅野よう子から独立していた「現在の坂本真綾」にはこれっぽっちも興味がなかった。むしろ、嫌悪感や拒絶感すら覚えていた。そんな僕に、三度目のきっかけが現れる。ベストアルバム「everywhere」のリリースである。唐突に店でポップを見かけ、おお真綾じゃん、なにベスト出すの? ふーん。え、作曲しちゃったの? いやいやいや勘弁してくださいよ…あーあ。…ってなぐらいの、本当にそんな反応だった自分。今からすると考えられないのだが、真実だ。だが、何故かここで僕はこの「everywhere」を購入する。懐かしかったからというのと、到底買う気にはなれない独立後の曲もちょっと聴いてみっか、という思いからだ。で、聴いた。どっこい、良かった。

これもまあ今になって思うと、「ループ」がsunset sideになっててよかったなあとかいろいろヒヤッとする部分もあるのだが、そこも含めて真綾の選曲がお見事だったのだな。往年の菅野曲に紛れた独立後の楽曲たちは、悪くないどころか、菅野曲にはない軽さを持っていてすごく良かった。坂本真綾のファーストインプレッションは「軽い」だったわけだけど、今になって思うと菅野よう子の楽曲は基本「重い」のである。「疲れる」のである。薄皮一枚剥がれた感じのスカッとした「現在の坂本真綾」にもまた、僕は惚れた。

改めて惚れ直したこの日、武道館では坂本真綾30歳と歌手デビュー15周年を記念するスペシャルなライブがおこなわれていた。もうちょっと早く惚れ直してあの武道館に行っていたら、人生変わったかなあ。さておき、期せずして偏見の解けた僕は独立後の作品もようやく集め始め、当時出ていた初のライブDVD(かぜよみツアー)で好き度がまたぐんと上昇。そして程なくしてリリースされた先日の武道館ライブDVDを観て、これまで感じたことのない衝撃を受ける。上手い…素晴らしい…非の打ち所がない…。正直、七夕ソニックで観たときもかぜよみライブのDVDを観たときも「CDには敵わない」という印象だったのだが、このときの印象は「CDより上手い」だった。そして信じられなかった。そこで、もう一度本物を観て確認すべく僕は坂本真綾のファンクラブに入った。すごい斜めな入り方をして申し訳ないと思っている。

そんなこんなしている間に、15周年キャンペーン中の坂本真綾さんはとにかく活発な活動をされていた。僕も僕でシングル、アルバム、エッセイとしっかり買わせていただき、昨年ついに放送500回を迎えたレギュラーラジオ番組「ビタミンM」も聴き始めた。Twitterでファン仲間が増えたこともあり、いつぞやの斜めな見方はどこへやら、もうすっかり完全な真綾ファンだった。そしてライブツアーが始まり、僕にとっての初ライブも目前!と思っていたとき、東日本大震災が発生。始まったばかりのツアーをどうするか、沢山の重すぎる決断を強いられていたであろう坂本真綾は、強かった。悩みに悩み抜いて予定通り決行された2011年3月31日のライブを見届けた僕は、終演後すぐに「またひとり、一生ついていかなきゃいけない歌手が増えた」とTwitterに書き込んだ。2010年3月31日、斜めな気持ちでベストアルバム「everywhere」を買ってからたった一年後のことである。

そこからはもう、見ての通り。結局2011年は生の坂本真綾を5回も観に行った。結婚報道にも祝福の感情で対応できた。いつの間にやら、坂本真綾という「個人」を心から応援できるようになっていた。早いものであと数ヶ月もすれば32歳。歌手活動も17周年。You can't catch meな彼女はこれからも沢山びっくりさせてくれることと思うが、いつまでも食らいついていければきっと楽しい。


ところで今は帰りの湘南新宿ライン。数ヶ月前にびしょ濡れの「にいづまあや」を祝福してきた富岡製糸場は、なんとも懐かしかった。一日かけて坂本真綾のことを考えていたのかと思うとあいたたたな気分がしなくもないが、正直なところ幸せである。そんなところで筆を置く。否、……タッチパネルから指を離す…?